伊方原発から日本の原発政策を考える

 

大分からフェリーを利用して愛媛に上陸しました。

フェリーは国道197号線としての位置づけなんですよ。

 

国道197号線と伊方原発

 

上陸してほどなく、その伊方原発の見える道の駅伊方きらら館

があり、横にある伊方原発のビジターセンター(案内施設)を

訪問しました。

そこにあったパネルに「はて?」これは何を言いたいのかな?

というものが有りました。

 

宇宙から注がれる放射線は健康に影響は有りませんと・・・

 

放射線は常に微量宇宙から注がれているから健康に問題は

ありませんみたいなこと書かれてますが・・・・・

これ、原発と関係ないでしょ?と思いませんか?

 

CTスキャンは意外と被爆するみたい

私はもうかれこれ30回以上は照射されてるんだけど・・・

たぶん影響出てると思う・・・・・

 

日本にある原発基数はその公式的ブログでも様々ですが

たぶん59基から66基

 

日本は世界の原発基数では米国、フランスに次ぐ

第3位を誇ります。

 

運転可能基数33基

2014年1月現在稼働しているのは12基です。

関西7基、四国1基、九州4基有ります。

伊方原発では3号機が現在稼働中です。

大分、愛媛、山口でそれぞれ裁判所に停止訴訟が出されています。

 

日本の原子力発電所政策が成功したのは読売グループ

トップ正力松太郎氏、国会議員中曽根康弘氏が米国

意向を忠実に実行した結果であります。

 

このお二人が作り上げた「原発安全神話」は2011年3月に

もろくも崩れ去りました。

 

正力松太郎氏

 

中曽根康弘氏

 

私の住んでいた千葉県にも高濃度放射能雨

が降りました。

近くの公園では除染作業が行われ、子供の

遊びは禁止されました。

 

風評被害も酷かった!

福島県からの疎開者は白い目で見られ、福島ナンバーは買取り拒否、

福島県産魚介類野菜は全く売れず、福島県居住者は結婚が破談に

なった例も報告されました。

 

もう一度言いますが、日本の原子力発電所政策が

成功したのは、米国の意向を正力松太郎氏、

中曽根康弘氏が忠実に実行した結果であります。

 

日本に原発を導入し、わが国を原発大国にした人物といえば、

元読売新聞社主の正力松太郎氏と、中曽根康弘元首相の名前が

必ず真っ先にあげられます。

 

当時の二人の関係は、正力氏の意向を、中曽根氏が実現させると

いったように密接過ぎる関係がありました。

さらに正力氏を動かしたのが米国で、米政府―正力―中曽根氏の

太いパイプが築かれていたのでした

そして中曽根氏は、国家予算に初の原子力研究費を実現させました。

 

中曽根氏を背後で指示していたのが読売新聞の社主・正力松太郎氏です。

原子力開発を訴え「原子力の父」と呼ばれた彼は、戦後、戦犯として

訴追されましたが、戦犯訴追解除後、古巣の読売新聞社に復帰しました。

 

 この正力松太郎氏はA級戦犯の疑いで投獄されましたが、

不起訴となり、出獄後に、米国の諜報機関CIA(中央情報局)

の工作に「協力」していたことが、

米国立公文書記録管理局が公開した外交文書

によって明らかになっています。

 

1950年代から60年代にかけて、CIA(中央情報局)は、公職復帰した

政治家、右翼、反社会勢力の人物などを含めた日本の保守層に、資金援助

する形で囲い込みました。

米国の目的は、冷戦下にあった当時、日本の保守政権を安定させる

(日本を共産化させない)こと、情報を提供させ日本の実態を把握すること、

かつ米国の対日政策を推進させることなどがあげられます。

 

米国は核兵器はカネにならないことがわかったので、次に

目につけたのが、原子力発電です。

 

このために、米国は、「原子力の平和利用」の一大宣伝を始めます。

1953年、アイゼンハワー大統領は、国連総会で「平和のための原子力」

政策を打ち出し、「核が生む莫大なエネルギーの平和利用のために

技術供与をしよう」と呼びかけたのでした。

1954年3月に、中曽根氏が主導した初の原子力予算を上程し、

実現させたというのは、この米国政策の延長線上にあったと考えられます。

 

ただし、戦後、日本国民の核アレルギーは極めて強く、日本が原子力

エネルギーを受け入れる見込みはないと見られていました。

そこで、CIAは、日本に原子力を輸出することを可能にするために、

日本国民の原子力に対する恐怖心を取り除くための心理戦を繰り広げます。

そこで利用されたのが、正力氏の読売新聞です。

 

1955年1月、読売新聞は、米国の「平和のための原子力」

プログラムをトップ記事で大々的に紹介し、放送やイベントを

含む半年に渡る一大PR活動を開始したのです。

その2年前にテレビ放送が開始されメディア力が最大限利用されました

 

日本国民はお上の言うことをあまり考えずに従います。

その当時のメディアはまさにお上だったことでしょう。

 

そして1955年(昭和30年)には、原子力基本法が制定されました。

この基本法は自民党成立後、超党派の議員による議員立法で成立し、

ほぼ全会一致で認められました。

当時、自民党・社会党を問わず、「エネルギーは国家百年の計」で、

原子力は、無資源国である日本の国力増進の重要な手段と認識されて

いました。

革新派は、「無資源国の日本が資源を止められたことが無謀な戦争の一因

になった」ことへの反省、保守派は、かつての米ソ冷戦構造下において

「自衛のためなら核兵器を持てる」との発想で「日本の核武装化」への布石、

または少なくとも「核兵器を持てる技術を維持する」という意図があった

とされます。

 

1956年1月に、初代の原子力委員会委員長に就任した正力松太郎氏は、

日本に原子力発電所を5年後に建設する構想を発表するなど、

原発推進政策を推し進めました。

原発建設は日本だけでは出来なので米国の協力が不可欠なのは言うまでも

有りません。

 

こうして、日本は、米国と正力氏中曽根氏の目論見通りに、

原発を各地に建設していくことになったのでした。

正力と中曽根は、政界における原発推進の両輪となって動き、

正力松太郎は「原子力の父」と呼ばれるようになり、中曽根康弘は、

1959年に科学技術庁長官に就任、1982年には総理の座まで射止めました。

 

原発が海に近い過疎地に出来たのは金をばら撒いたからです。

過疎地はお金と雇用創出に誘惑されました。

 

こうして、’70年代、石油ショックを経て、「資源のない日本における原子力

の平和利用』は、国是となり、政官民が一体となって原発を推進していくこと

になったのでした。

 

東日本大震災前まで、日本国内で稼動している原子炉は、54基に及び、

世界で第3位の「原発大国」となりました。

 

自民党政府、官僚機構と電力会社は、一体となって「原子力は日本に

必要不可欠だ」とのキャンペーンを数十年にわたって繰り返した

結果です。

安全性に関しても、「原子力発電は、絶対に必要である」、

「だから原子力発電は、絶対に安全だということにしなければならない」

というロジックが成り立っていました。

 

東日本大震災から13年、原発の是非についての議論はもはや消えて

しまった感があります。

喉元過ぎればなんとやらです。

すぐ忘れる国民的体質も有るでしょう。

 

でももし、その当時1960年代から自然の太陽光、風力、水を利用した

発電にもっと予算を投入していたら、今は自然エネルギー利用輸出大国に

なっていたかも知れません。・・・

もちろんこれは、たらればですが・・・・

 

これだけ原発が残されて居るので、廃炉にも数十年の歳月がかかります。

それでも政府は隣国の恐怖を煽って軍事に予算を増やそうとしています。

 

でももし、いま隣国から核ミサイルが日本の

原発密集地帯に数発撃ち込まれたら

日本はもう数十年いや100年は住めなくなります。

1億人が難民として地球上を彷徨うことになるでしょう。

 

国民の安全と健康の観点から改めてせめて今後50年の

エネルギー政策を考えるべきではないでしょうか?

 

なお、この文章は村尾英俊さんのブログ「日本が原発大国になったわけ」

から要約転記し、加筆修正したものです。

 

1966年6月29日はBEETLESが始めて日本公演のために

来日した日です。

台風の影響で午前3時頃の羽田到着でした。

そして今日6月30日に武道館で最初のパフォーマンスが

披露されたのでした。

その当時の私はまだ小学生で、感激で鼻水垂らして家のTV

を凝視していました。

私はその1年前にラジオから流れて来た「のっぽのサリー」

にアイムダウンとなりました。

ファン歴はそれからなのでもう60年近くになります。

 

私の愛機 リッケンバッカー360

 

妻はリンゴスター役

 

当然聖地巡礼は行きましたよ。

ロンドンは5回、リバプールは4回訪問しました。

 

ロンドン1回目 友人と

 

ロンドン2回目 妻とそこに居た南米のお二人

 

ロンドン3回目 何と道路工事中!

 

ロンドン4回目 ジャーンプ!

 

ロンドン5回目 妻と

 

リバプール1回目

 

リバプール2回目 妻と

 

リバプール3回目

 

リバプール4回目

 

ポールのロンドン公演にも追っかけて行きました。

 

ロンドンO2アリーナ前 友人と

 

前から5列目でガン見

 

もちろんポールの日本公演は全て行きましたよお~。

私の青春時代に素晴らしい思い出を残してくれたBEATLES!

 

EMIアビーロードスタジオ前


 

キャバンクラブの向かいにあるジョンレノン像

 

リバプールにある4人像

 

最後に訪問したのが2019年でした。

今でも懐かしさでいっぱいです!

本当に有り難うございました!

2年間投稿をサボってました。またぼちぼちつぶやいていきます

 

私が最近読んだ本の中で一番感動したのがドイツの首相であった

メルケルさんの出生から首相退任までを追ったドキュメンタリーです。

 

「メルケル 世界一の宰相」

 

この本は決して内面を話さないメルケルさんをよく知るジャーナリストが、

メルケルさん周辺の人々を詳細に取材して、メルケルさんの人物像と共に、彼女の

2005年首相就任から2021年の退任までの16年間に対峙してきた

世界の指導者達を客観的に捉えてきた物語です。

この本で特徴的なのは宿敵プーチンとの何回にも渡る丁々発止の交渉過程です。

 

プーチンはロシアのKGB出身で有り、レーニンを師と仰ぐ帝国主義者です。

プーチンの陰湿な性格が現われたのは、メルケルが首相になって間もない頃の

会談で、メルケルが犬を怖がることを調べ上げ、黒いラブラドールを会談の席に

連れてきたという下りがあります。それに対してメルケルが側近に言った言葉が

とても痛快です。それからもプーチンのいじめが続いたそうです。

 

でもプーチンと渡り合えるのは結局メルケルしか居なかった。

メルケルはドイツ語、英語、ロシア語に堪能なのです。

オバマ米大統領はプーチンの性格が嫌いになり、結局交渉は全てメルケルに

任せてしまったそうです。オバマはメルケルに全く頼りっぱなしで、重大な結論を

しなければ成らないときは、必ずメルケルに電話を入れて「君ならどうする?」

と聞いていたそうです。

 

プーチンに露骨に嫌な顔するメルケルさん

 

またトランプ大統領とも堂々と渡り合ったのも有名な話です。

1枚の写真がその当時の状況を見事に表していますね。

(これはニュースとか記事でも見かけますね)

 

トランプはメルケルが表敬訪問したホワイトハウスで、メルケルが差し出した

手を無視したり、国際会議の場でメルケルに屈したトランプは彼女に向けて

ポケットにあったキャンディーを投げつけたというエピソードも満載です。

 

皆さんもメルケルさんの最後の大一番、コロナ危機で国民に訴えた姿を

ニュースで見たと思います。

その元科学者であるメルケルさんの真摯な訴えに国民の誰もが従った。

だってメルケルさんは嘘を付いたことが無いのを国民はみんな知っていたから。

これ泣けますよね・・・・・どこぞの嘘つき指導者とは月とスッポンです。

 

世界の指導者の裏側の姿とか、この地球が一握りの指導者達によってどう

転ぶかな判らないという厳しい現実が、このメルケルさんの本を読めばよく判ります。

私は敬愛するメルケルさんのとても飾らない実直なところがとても好きです。

導者とはどうあるべきかこの本を読めば理解出来ると思います。

皆さんにも是非お勧めしたい1冊です。

不定期に過去の経験を綴っております。

 

下の文章はFacebookに投稿した2年前の8月の記事です。

脳梗塞で入院して、コロナ渦のためCT検査を受け、肺腺ガンが発見されました。

でもまだ初期段階とのこと・・・・・。

  

   ↓脳梗塞(CT画像)

  

 

人間ドッグのX線検査では初期の肺ガンは見つかりにくいとのこと。

 

      ↓左下の白いモヤモヤがガン細胞

     

 

私は不幸中の幸いということか・・・・・。

肺腺がんの切除術後約2年が経過して今のところ経過は順調です。

切除したのは右肺の下部1/3でした。

 

  そして1年遅れましたが、沖縄移住も実現しました。

 

・・・・・私は若いとき(約30年前)に悪性リンパ腫になり、

医者には生きるも死ぬも50%と言われ、半年の化学療法と放射線治療を

受けて何とか生還復帰しました。

秋野暢子さんがこれから起きるであろう、脱毛も経験しました。

 

ありとあらゆる体に生えていた毛というものが消失しました・・・・・。

産毛も眉毛もまつげも恥毛もありとあらゆる毛です!

まず最初に頭髪がごっそり脱落しました!

 

今は化学療法による副作用がだいぶ軽減されたと思うけど、、、、、

その当時の副作用は地獄に落ちる苦しい体験でした・・・・・・。

 

退院してから一定期間病院に通院しましたが、その病院が見えると

吐き気をもよおしたほどです。

 

人生長く生きればその分本当に色々なことが起きますね。

 

【2年前の気持ちです】

人生には挫折とか困難はつきものだとは思います。

その挫折困難が厳しいものかそうでないと思えるか、それは自分しか判断できません。

 

結論から言うと、私は少し前に脳梗塞になり、入院した病院での種々の検査の結果、

肺がんを患っていることも判明しました。

 

これってどうよ!

 

どう理解したらよいのか・・・・9月から沖縄移住が決定していて既に契約済でしたが、、、、、

当然ドタキャンとなりました(ガックリ)。

晴天の霹靂?天国から地獄へ転落の境地?ってこんな状況を言うのかな・・・・???

 

色々検査の結果、今回は幸いにも脳の毛細血管に血栓が詰まったことが直接的な要因でした。

血栓が出来やすい要因である、糖尿病、動脈硬化、心電図の乱れ等は見つかりませんでした。

2週間の経過観察でその病院は一応退院となりました。

 

現在は右足は90%(普通に歩けるが、走るのはもつれそうで怖い)、右手の動きも90%回復、

右手5本指の連携が上手くいかない(文字が上手く書けない)という程度まで回復しました。

ろれつがまわらないというのもだいぶ改善しましたが、たまに滑舌悪くなります

(もともと滑舌は悪い)。

今回の脳梗塞は比較的症状が軽いラクナ梗塞(楽な梗塞では決してない!)という分類です。

肺がんについてはこの病院で措置できないので大学病院での今年中の手術を予定してます。

今回はこちらが一番やっかいな問題です。

脳梗塞発症者の肺がん手術は一定のリスクがあるとのことなので・・・・。

教訓としては、暑い中での激しい運動は熱中症はもちろんのこと脳梗塞のリスクも高いということ。

 

こうなった結果はもうしょうがない。悔やむより術後の楽しい未来を再構築するしかないな。

今後は肺がん手術に向けて心を切り替えて行きます。

 

以上2年前の心境でした。

最近はちょっと投稿サボってました。

 

一週間前に帰省して4回目のワクチンを接種して昨日沖縄に戻りました。

ファイザー、ファイザー、モデルナと来て、今回はファイザーでした。

いつも通り翌日は腕の痛みと微熱でぐったりしてましたが、2日後には

回復しました。

 

ところで月曜日の「釣瓶の家族に乾杯」見た人おりますかあ?

私がたまに散歩に行く沖縄市総合運動公園を土屋太鳳さんが散策してました。

私と同じ風景を体験しているのは嬉しくなりますね!

来週月曜日も沖縄市の後編がありますので、是非見て下さいね。

 

ちょっと気になったのは昨日羽田から那覇への機内でした。

子供連れや若いカップルでほぼ満員でした。

若いカップルは沖縄観光本を楽しげに見ていましたが、、、、、、、

 

今現在沖縄はコロナ渦が今までで最悪な状態です。

コロナ病床使用率は90%手前で、救急搬送もままならない状態です。

そんなところに観光に来て、もしコロナに罹患したらどうするのかな?

コロナ以外でも病院厳しい状態・・・・

とちょっと気になりました。

今回のコロナウィルスは感染力が強くて、不織布以外は防げないと

言うことです。

私は機内では不織布2枚重ねでツバの広い帽子と眼鏡で下を向い

て完全防御態勢で2時間半を過ごしました。

 

今後も当分は人が多い時間帯とか多い箇所は避けて過ごそうと

思っています。

皆さんも十分注意して下さいね。

今日はちょっと長いです。

ロシアとウクライナの情勢に関心がある方には是非読んで頂きたいです。

 

赤の広場でジャーンプ!!

 

連日西側のメディアによってウクライナの惨状がTVに映し出されています。

でもロシアのラブロフ外相は全く違うことをメディアに訴えます。

ウクライナによって細菌による生物化学兵器が製造されていると・・・・

(第2時世界大戦末期、日本は生物化学兵器を製造、中国人に人体実験をしていた!)

 

ロシア国民の2月末の世論調査でのプーチン支持率は70%以上だと言います。

ロシア国民は嘘のメディア報道に洗脳されているのか・・・・・????

ここで思い出されるのは1991年の湾岸戦争です。

 

この時は米国による偽りの情報(少女の嘘の訴えによるプロパガンダ)により戦争が引き起こされました。

詳細は省略します。

そして2003のイラク侵攻もイラクに大量破壊兵器があるという米国情報機関の偽りの情報で、米国による

戦争が引き起こされました。

その時米国民は熱狂的に戦争を支持しました。

(数年後に大量破壊兵器は無かったと米国は認めました・・・戦争責任は????)

 

だから私は西側発のメディア情報も斜め視線で見ることにしてます。

 

問題はロシア国民にどれだけの真実な情報が伝わっているかだと思います。

メディアはウクライナの惨状だけでなく、もう少しロシアでの情報がどうなっているのか伝えて欲しいものです。

ロシアには中立的立場の日本人が沢山住んでいるのですから

彼らを通じて、ロシアの情報、現状認識の状態を伝えて欲しい!!!。

 

なぜならプーチンをどうにか出来るのはロシア国民しかいないのだから!!!!

 

ウクライナのゼレンスキー大統領は市民に徹底抗戦を呼び掛けています。

それに答えるべくEU諸国と米国は経済制裁のみならず、武器支援もするようです。

そしてプーチン氏はあくまでウクライナ全土占領するまで戦争を続ける覚悟のようです。

あげくにロシアもウクライナも外人部隊を募集しているという・・・????。

 

もう訳が分からない・・・誰の為の戦争・・・・????

 

その行く末は・・・・焦土化した土地に数知れない累々と横たわる屍の山々・・・・。

それが本当の解決策なのでしょうか・・・・???????????

 

私は大学生の時、友達と戦争についても色々議論した記憶があります。

そしてその時付いたあだ名が「ガンジー○○」でした・・・・。(○○には名前が入る)

映画作家の想田和弘さんはブログで以下のように述べています。

その内容がまさに私が今思っていること、いや学生時代からずっと思っていることを端的に述べてくれました。

以下はその抜粋です

【ガンディーのような非暴力不服従の方法は、しばしばタカ派からは「お花畑」「空想的」などと揶揄される。しかし僕は非暴力不服従こそ、倫理的に高潔なだけでなく、実際的にも有効な策であると信じている。

 自国よりも侵略者の方が軍事力で圧倒的優位にあるならば、なおさらだ。

僕に言わせれば、軍事的に圧倒的に劣るのに戦いを挑む方が、よほど「お花畑」であり「空想的」だと思うのだ。

 無論、非暴力不服従で対抗したからといって、国や国民を守れる保障はない。

 しかし繰り返しになるが、国や国民を守れる保障がないのは、武器を取った場合もまったく同様なのである。

実際問題、何十基もの原発がひしめいている日本では、武力で国と国民を守ることは、現実的にほとんど不可能であろう。・・・・・】

抜粋終わり

 

私はウクライナが核放棄したからロシアに攻め込まれた・・・。

だから日本はこれから軍事力強化すべき、核共有すべきだとか、あげくに核を持つべきだとか息巻いている人に言いたい。

 

もしこれから日本が核を持とうとしたら、近隣諸国の緊張を増すだけである。

既に原発が何十基もある状態では核は抑止力になりようがない。

現状では原発を守るすべがないので、原発にミサイルを撃ち込まれたら事実上の日本沈没となるではないか!・・・・・

これにどう反論するのだろうか?

そんなこと考えるより、日本が攻撃の対象とならぬよう、敵を作らない全方位外交を目指すしか日本の生きる道は無いと思うのです。

もっと言えば、隣国の中国、ロシア、韓国、北朝鮮、そしておんぶに抱っこの米国とも共存共栄していく知恵を絞り出すしか無いと思うのです。

ロシアとウクライナが泥沼の持久戦になった場合は、日本は輸入が途絶え、物価上昇&賃金上がらずによるスタグフレーションに陥ります。

既にじわじわ物価が上昇してます。

日本も窮地に追い込まれます!

皆さんはどう思われますか?

どちらしてもまずは今後ウクライナがもっと酷い状態にならないことを切に願います。

想田和弘さんのブログ詳細は以下にあります。

第110回:私たちは軍事国家から侵略を受けたときに、それに対してどう向き合うべきか(想田和弘) | マガジン9 (maga9.jp)

 

2014年9月27日11時52分に発生した、御嶽山(標高3,067メートル)の

火山噴火で、火口付近に居合わせた登山者ら58名が死亡し、6名が行方不明と

なりました。

日本における戦後最悪の火山災害となりました。

 

↓爆発直後

 

↓犠牲者は八丁ダルミが最大(隠れ場所がない)

噴火後の頂上付近

 

私達夫婦はこの2週間前の9月14日ほぼ同時刻に御嶽山の頂上に居ました。

頂上は混雑しており、写真撮影には15分から20分待ちの状態でした。

 

↓八丁ダルミ付近(11時頃)

 

↓頂上記念撮影の順番を20分ぐらい待つ、11時30分頃

 

↓今となっては鎮魂の鐘となってしまった(奇しくも11時52分だった!)

 

人生は本当に一寸先、一秒先は予測がつきません。

 

だから今生きていることに感謝して、ちょっとしたトラブルでめげず、悲しむことは

最小限にして、やりたいことは実行し、常にポジティブな気持ちで生きたいと思ってます。

 

亡くなられた皆様には謹んでお悔やみ申し上げます。

私のビートルズファン歴は50年超になります!

 

10歳の時、ガールフレンド(私が一方的にそう思っていた)の誕生日会

に呼ばれて行ったとき、ラジオから流れてきたのが「のっぽのサリー」

えっ?「のっぽのサル???」と言うと彼女がサリーよ!

私このグループ好き!

と言われたことが衝撃でした(苦笑)。

こっ、この子増せている・・・・・

でも私もポールのその叫ぶ歌声に衝撃を受けたのでした。

それから今までビートルズ好き歴50年超となってしまいました。

 

好きが昂じると聖地巡礼がしたくなりますよね!?

ということで2008年から2019年までにロンドンは5回、リバプールは4回

訪問しました。

 

↓タワーブリッジを背にしてジャーンプ!

 

アビーロードでジャーンプ!

 

この写真は2015年5月ポール・マッカートニーロンドンO2アリーナ公演の

時のスナップです。

ビートルズ友達の女性が行くというので私も行くことにしました。

彼女は英語が堪能なのでWebチケットの取り方も詳しく教えてくれました。

ちなみに私の英語は中学生レベルです(苦笑)。

 

↓ロンドO2アリーナ前(with friend)

 

おかげさまで前から5番目のVIP席が取れました。

だから綺麗な写真も動画も取り放題!

動画はYouTubeで配信してます。

 

↓ポールロンドン公演スナップ(前から5列目)

 

日本では写真ダメ!とかかなりセコいですが、この会場は高級一眼レフ以外はOKでした。

 

ちなみにこの11月25日からディズニー+にてビートルズを追ったドキュメンタリー映画

「GetBack」3部作が配信中です!生のビートルズの姿が見られて楽しかった!

 

↓おまけ(ミスタービーン)ロンドン市内にて

 

世界でジャーンプ!!私の憧れの山スイスアルプス「マッターホルン」です!!

世界で一番好きな山(自然風景)がマッターホルンです。

私が亡くなったらこっそり散骨して欲しいと妻と息子たちに告げてます(爆)。

もし行けなかった場合は日本の北アルプスで我慢しますが・・・・。

 

今までマッターホルン4回訪問し、ハイキングしましたが、ジャーンプ!!したのは2017年7月19日だけです。

高度が高いとジャーンプしたら直ぐ疲れます。

 

山は天気が悪いと全く気分が落ち込みますが、マッターホルンハイキングするときだけは

いつも天気が回復してくれました!。

 

ロープウェイを降りて片道約3時間ぐらい登れば一般ハイカーの終点であるヘルンリ小屋(3260m)に行けます。

 

↓ここから約3時間でヘルンリ小屋

 

↓2700m付近でジャーンプ!

↓2800m付近目指すのは指の先のヘルンリ小屋

 

ここからは垂直の崖となるのでプロ登山家が一緒に登らないと許可されません。

それも登攀可能であるか事前テストがあるそうです。

 

この時は下山時にちょっと雲行き悪くなって、ロープウェイ寸前で雷&豪雨となってしましました。

 

↓こちらは団体ツアーの定番 ゴルナーグラード展望台

 

このコロナ渦もう2年以上海外行ってませんので、なんか行くのが面倒くさくなってきたです(苦笑)。

 

だから最後の海外旅行はいつになるか全く判りませんが・・・スイスアルプス群&マッターホルンとロンドン・リバプールに決めてます!!