昨日書いた

ペテン師と空気男

へのコメントを戴きました

あの物語の中では

ジョークを犯罪と結び付けるのです

一方でジョークは笑いや可笑しさとも結び付く

愉快犯という言葉もありますね

この辺の線引きや何がどう面白いと思われるのか?を名言化したい という事を書いたのですが

(詳細は昨日の記事「ペテン師と空気男 3」参照)

しかし、お笑いというのは、瞬発的に感じたセンスの問題で 何が面白いか?を名言化してしまうと面白くなくなってしまう ものなのだよ

というご指摘を受けたのですね

そうだとは思います

喜怒哀楽 は感情的なものなので 頭で考えてしまうと それは頭で考えた喜怒哀楽になってしまうもの

という様な意味だと受け取りました

しかし、それは前から考えていた事で

例えば 同じ 藤子不二雄作品でも

A先生の笑うセールスマン に漂うブラックさ
(ブラックユーモアという言葉はありますが)



F先生の世界を斜に構えた様な短編物語に漂う雰囲気

にも違いがあって、絵のタッチという事でなく

読めば一瞬で作者は何方か?分かったものです

その違いを言葉にしようと試みた事もありますね

結局 A先生はウェット感 F先生にはドライ感が漂う という様な個人的な印象表現 や

A先生はブラックな世界に浸ってる目線で描いてるが

F先生は何だか傍観者として外から見てる様な眼差しで描いてる

とか色んな線引きを試みたのですが、やっぱりどうも納得出来ない

基本的に物事を明言化するという事は一つの物事の見方を規定して見せてるだけで、そうやって明言化したら直ぐに、物事の実体は陳腐なものになってしまう そんな気もします

だから、明言化 それ自体も瞬間芸なのかもしれないですね