このタイトルで、

人は理解し難いものをどう許容するのか?

という事について考えたくなるのですね

乱歩のパノラマ島奇談の映像化

は1982年ならば、土曜のワイド劇場の新年スペシャル作品とされるのです

パノラマ島とかユートピア願望については、今月のブログテーマにあわせて色々と書きたい事がありますが、

人それぞれ パノラマ島についての持っているイメージて様々だと思っていてね

乱歩の時代ってディズニーランドもなかった訳ですから

恐怖奇形人間 の中では

パノラマ島の映像イメージに 白塗りの舞踏集団の舞 が出て来るのです

自分が白塗りの舞踏集団の舞 を初めて観たのは

やはり 単館上映 中野武蔵野で見た 園子温監督の うつしみ の中で観たのですが ストーリーとの繋がりというのは自分には見出せなかったのですね

その場の空気感とは、独立した身体表現 としてそこに存在してる


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一旦、恐怖奇形人間から話題を逸らしますが、

ノーマルの外側にある、ある種のものを十把一絡げ的にエログロ的とか耽美的という様な言葉で形容してしまう事を昨日も書きましたが自分は問題視してる、実際そういう事に激怒してる人も身の回りに見かける つまりもっと繊細に識別されるべき事柄が稚拙な塗り絵の様に単色でグラデーションもなく塗り分けられてしまっている、と言うのでしょうか?

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それを象徴する様なエピソードがありますね

江戸川乱歩の話からはだいぶ逸れますが、先日高円寺の大道芸でも経験した

大駱駝艦 の金箔ダンスショー

ですが、物凄く人集りが出来る それはああ言った舞踏といったものをそれを目的としたライブショーを観に行くお客様対象でなく、路上ライブとしてオープンに展開する時に、これだけの人集りが出来て、どう言う意図で人は見るのか?

第一に物珍しいから という事が挙げられると思うのですね

又、これは問題になったみたいですが、かつては女性ダンサーはトップレスだった訳ですが、パフォーマンスを撮影してネットにあげる人など出て来たので、最近はトップレスではなくなった それに対してどうだ、こうだ という議論がなされているらしい

こうなって来ると鑑賞者は何目的というのはよく分からなくなって来る (無論 鑑賞の仕方は鑑賞者の自由である、という考え方もある、そこから派生して、作品には作者の意図というものは存在するのか?、もしもあるのならば、その意図は多くの人にその意図が伝わる様な形で作品の中で体現されるべきか?など複数の疑問が湧いて来る)…云々

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まぁ、ここ数日、乱歩作品の事を色々と書いたら、

あんまり理屈をこねくり回さないで、パッと観た時の印象でいいんじゃないの?

というコメントも貰ってます

長くなったから一旦終了