乱歩作品に対する自分の印象が変わったのって

2011年ぐらいからなんですね

乱歩地獄の映画を観たのって、2005年だから、多分観た当初の蟲や芋虫に対する感想と今の感想では随分と変わってしまっていて 簡単に観た当初のイメージを思い出す事すら出来なくなってる

2011年に何があったか?と言うと

2011年8月23日 目玉商品

にある様に 当時 ギャラリー巡りをしてると

難解なアート作品と巡りあう事が多くて

作者に質問したりすると


バタイユの影響、と言う説明を受けて

更には バタイユは絶対読むべきだ!と薦められる

確か 眼球譚 なんて 最も読んではいけない本 にあがっている本の作者の名前だから バタイユには触れた事すらなかった

でも、同時期に複数の人に勧められたので

エロスの涙

を読んで観たのですね それで、バタイユが

エロチシズムについて語る時、それは生に対する称賛の延長にある為にその対極として死についてから考え始める、という様にエロチシズムについての印象が根本から覆されていくのですね

その為にバタイユの著作読んだビフォーアフターでは

乱歩作品の中に登場する倒錯的な世界観

に対する印象が全く変わってしまった気がする

でもバタイユみたいな思想が乱歩の背景にあるか?と言うとそうではない気がするのですね

例えば 横溝正史の映画化される様な代表作は 地方のおどろどろしいと形容していいのかな?因習とかややこしい程の背後にある血縁関係 などが常に作品にのしかかっている

だけど、乱歩にせよ横溝にせよ、(俺がどこまで理解してるか分からないけれど)基本的には

探偵小説作家であって、乱歩的なエログロ、横溝正史の土着的な匂いは、それらを脚色する為の舞台装置みたいな役割を果たしていたのではないか?と思うのですね それは自分が所謂正統派の探偵小説から自分が入ったのと、探偵小説についての考察、エッセイを読んでいるせいもあります

逆に後の人が エログロな題材としてそこを誇張して乱歩を使った と理解してた気もします

それにしては、乱歩の登場人物は冷静に考えれば、あんた何言ってるの?と言う事を罷り通らせようとする語り口調 その引き込み方の美味さを感じますがそれは小説家としての腕なのだと解釈してます

兎に角、自分は根本的に乱歩をそう言う探偵小説家としていて観ていて、有り体な言葉で言えば倒錯的な部分については、バタイユ的な思想という色眼鏡をかけて見る様になってしまっている(多分 乱歩自身にはそういうエロス哲学などはなかったと思う)