村上春樹流の小説家の定義はこうだ

(文庫版 p.26からの引用)

小説家とは、不必要なことをあえて必要とする人種である


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この定義だけ聞くと、突飛なので、

少しこの前後も引用する必要があるかもしれない 以下p.26からの引用

『しかし小説家に言わせれば、そういう不必要なところ、回りくどいところにこそ真実・真理がしっかり潜んでいるのだということになります. なんだか強弁してるみたいですが、小説家はおおむねそう信じて自分の仕事をしているものです. だから「世の中にとって小説なんてなくたってかまわない」という意見があっても当然ですし、それと同時に「世の中にはどうしても小説が必要なのだ」という意見もあって当然なのです. それは念頭に置く時間のスパンの取り方にもよりますし、世界を見る視野の枠の取り方にもよります. より正確に表現するなら、効率の良くない回りくどいものと、効率の良い機敏なものとが裏表になって、我々の住むこの世界が重層的に成り立っているわけです. どちらが欠けても(あるいは圧倒的劣勢になっても)、世界はおそらくいびつなものになってしまいます.』

簡単にはなんとも言えない事だな、というのがこれを読んで最初に思った感想でした.

念頭に置く時間のスパンと言った時に、人類も滅亡してしまうような何千年も先を夢想すれば、やはり必要性など無効な気もしますし、

世界を見る枠というのも、少なからず文字が読める生き物でないと(つまり多分人間でないと)小説は読めない

そんな規模で考えると小説なんて必要ない、そんな気もして来る

いえ、これは勿論極論を言ってみたかったのでスケールの取り方を大袈裟にしてみた

一人の人間が自分の手の届く場所での必要性を議論するのが望ましい、と仮にしてみて話を進めてみましょう

つまり社会的にとか国家的にとか、そういう大きな枠を取り出して来て議論するようなある意味抽象的な話は今はやめようと思いますね

そうすると、確かに自分の人生の中で必要だな と思ったこと、は何度かあります

しかし、それは 個人的な理由 であったり単なる暇潰しであったり、そこから公共性を導き出せるようなものでもない

取り敢えず一旦 考え込むのをやめて先を読み進める事にした