TVドラマ「VIVANT」を見ている。その話ではなく主演の堺雅人さんと小劇場演劇に関する思い出話だ。私は「半沢直樹」などもみていない。
私は20代から30歳過ぎにかけて小劇場をよく見ていた。だいたい1990年から2000年過ぎあたりまでということになる。私が大学のころ第三舞台や夢の遊眠社が話題を提供していた気がする。
私が卒業して小劇場をよく見始めるようになったころ、いわゆる小劇場ブームがまだ続いていたと思う。早稲田の劇研はちょうど双数姉妹と東京オレンジが二枚看板の時期で、どちらも公演があるたびに見ていた。双数姉妹を最初(1994年)に新宿のシアタートップスで見て、その時もらったチラシの中に東京オレンジの公演があったような記憶がある。曖昧だが。どの芝居も見に行くたびに他劇団のチラシがどっさりもらえて、中に面白そうな芝居をみつけたら足を運んでいた。早大劇研に限らず、当時小劇場系はどの芝居も3,000~3,500円くらいでみられた。今はどんなもんなんだろう。堺君(当時から友達と彼を話題にするときは堺君と呼んでいたので、これで続けます)は東京オレンジの看板俳優で、当時から輝いていた。1973年生れなので、私の3歳年下になる。大隈講堂裏の劇研アトリエで定期的に公演が行われ、終演後には堺君も客の見送りに出口のところに出てきて、ひとりずつに「ありがとうございました~」とあの笑顔で頭を下げていたこともあった。劇研のアトリエは当時特設テントって呼んでいた気もするが(VIVANTつながり)キャパが100人はなかったと記憶しているが? 今はどんな風になっているんだろう。当時のままのはずがないというくらいの仮設な空間だった。ちょっと早めに現地に着いたときには、大隈講堂付近で発声練習をしている堺君を見たこともある。よくある「あめんぼあかいなあいうえお」的なことを、ごちゃごちゃ学生がいるところでひとりでフツーにやっていた。一時期観たすべての公演のチラシをファイルに保管していたので、堺君が劇研の幹事長をやっていたときの新人勧誘パンフレットも長年持っていた。捨てないほうがよかったかな。東京オレンジの公演は早大劇研でしか見ていない気がする。
※追記:11/11日放送の「アド街ック天国」に双数姉妹「コサック」の話が出ましたが、私は井ノ原さんが出たほうを見ました。「あ、イノッチだ」と思う程度には有名でしたが、特に客席がそれで沸くこともなく。舞台の上の井ノ原さんは正直パッとしなかったので、今みたいなポジションに就くとは想像もしてませんでした。ちなみに500人出待ちも嘘で、上記の通り堺さんのほうが客を見送ってました。
堺君は当時から「小劇場界のプリンス」と呼ばれていたが、あくまでその世界での有名人という感じだったのが、NHKの朝ドラに出てきた(2000年)。お、堺君ついにテレビ界に、と思ったが、そこではいまいちパッとしなかった(と、私には印象にある)。それか数年後、たまに映画とかドラマに出ているな~とは思っていたけど、私は見ることはなく、大河「新選組!」(2004年)は三谷幸喜が好きで見始めたけど題材が個人的にダメで見なくなった。しかしこの辺から堺君はブレイクし始めたような気がする。あれよあれよという間にテレビや映画で主演するようになり、人気女優とも結婚し、大企業のCMにもバンバン出るようになった。今や国民的俳優のひとりと言って差し支えないだろう。初めて彼を見てから30年ほど経っているが、ここまでメジャーになるとは思ってもみなかった。当時からその世界では輝いてはいたが、至近距離で普通に見られた堺君が。
堺君も若いときは年齢相応に「イキってた」印象はある。今は知的で落ち着いたムードだが。東京オレンジは笑いの要素も多く取り入れていた劇団だったので、堺君が「お笑い」好きなのは間違いない。シリアスな芝居の印象が強いが、コントなんかも演りたいタイプのはずだ。みてないけど「リーガルハイ」とかはそうなのかな? 堺君がコント番組にレギュラーで出るのを見てみたいと、昔から思っていた。
今回VIVANTを見ているのでなんとなく懐かしくなり、当時のことをネットで調べた。「東京オレンジ」の主宰で演出家の横山仁一さんは堺君と一緒に劇団を旗揚げした人物だが、2021年の末に病気で亡くなっていたことがわかった。堺君にとっては青春時代を共に過ごし、盟友とも言っていいはずの人物だ。
ロマンチカというややアングラな劇団もよく見に行ったが、そこの看板女優のひとり横町慶子さんも2010年に脳梗塞で半身不随になり、リハビリで回復を見せるも2016年に亡くなっていたのを知った。横町さんは私の三歳年上だ。現在自分が病身なのもあり、かつて舞台に上がっていたり作っていた同世代ひとたちが病気等で亡くなっているという事実は重く響く。
ロマンチカを代表する女優は原サチコさんで、原さんは現在ドイツ劇場の専属女優になっていた。上智のドイツ語学科卒だ。演出・脚本・主宰は林巻子さん。扱うネタはアングラ的だったが正統派で緻密な文学的感性の持ち主だった。彼女は演劇界、もしくは文学界でひとかどの存在になっていてもおかしくない人物だが、現在の活動などはネットで見つけられなかった。ロマンチカではゴーリキーの「どん底」とかマルキ・ド・サドの「悪徳の栄え・美徳の不幸」、ギリシャ悲劇の「メデイア」などを見た。このラインナップで林巻子さんの嗜好がある程度察せられると思う。どれも冷たく美しく妖しく厳しい情念の世界だった。
以前も書いたが、このブログにもしょっちゅう名前を出している三谷幸喜氏を初めて知ったのは深夜のTVドラマ「子供欲しいね」(1990~1991年)で、役者としてだった。最終回だったと思うが、第三舞台の大高さんと工藤夕貴が夫婦役で主演のドラマに工藤夕貴の挙動不審な兄役で出てきた。その演技とも思えない挙動不審ぶりが猛烈なインパクトで(はっきり言って今と同じ)、三谷幸喜の顔と名前を覚え、あとから脚本家であることを知り、「やっぱり猫が好き」もたぶん当時はまだビデオのころだったような気がするがレンタルで見て、映画「12人の優しい日本人」にはドハマりして50回以上繰り返し再生し、脚本も買った。こちらもあれよあれよというまに大メジャーになったが、東京サンシャインボーイズの芝居は見たことがない。
私が小劇場を見ていた時期の最後のころに盛り上がっていたのが「ジョビジョバ」だ。これもTVに出るようになって秋元康氏が「来年はジョビジョバの年だ」とかメッセージを寄せていたし、ファンの私もそうなるかと思っていたが、こちらはわりと早めに解散してしまった。リーダーのマギーはいまでもたまにTVで見かける。下北駅前劇場で初めて見たときは衝撃で(既に小劇場界隈での人気はすごかった)、思わず同じ公演を二回見に行った。あれは傑作だった。マギーこそ当時すごい「イキって」いた。堺君の比ではない。堺君は「食えない役者」がなんとか売れようと元気よくイキってた印象だが、マギーの自分の才能に対する自信の漲りっぷりはすごかった。それが今見るようなあんな「控えめ」な挙動になるとは思ってもみなかった。ケンミンショーに出るようになるとは。
同じく明大のハイレグジーザスも知り合いが加入したので一度見に行った。その知り合いはすぐ辞めてしまったが、主宰の河原雅彦氏はともさかりえと結婚して離婚したりといろいろありつつ、今も演劇界で演出の仕事などをしている。ハイレグジーザスこそアングラというか、どうやってもメジャーに結びつかない活動をしていたが、河原氏は今は大劇場での演出もしている。河原氏はクドカンとも一緒によく仕事をしている。私は宮藤官九郎氏とは同い年で、クドカン脚本のテレビドラマや映画は見ているが、舞台は「大人計画」も「ネズミの三銃士」も「ウーマンリブ」も見たことがない。他には「猫ニャー」の看板女優・池谷のぶえさんも当時からファンだった。NODA・MAPも好きで何度か見たが、小劇場とは言いがたいのでここではパス。遊眠社は「透明人間の湯気」と解散公演の「ゼンダ城の虜」は見た。第三舞台は見たことがない。青年団もいくつか見た。主役らしい主役がいない芝居なので、志賀廣太郎さんもその「一群」のひとりだった。キャラメルボックスも一回だけ聖蹟桜ヶ丘で見た(1992年)。テレビに出る前の上川隆也さんが主役で、客演で川原和久さん(劇団「ショーマ」)が出ていた。上川さんはその後NHKの大作ドラマ(1995年)の主役に抜擢されていて驚いた。「そとばこまち」の生瀬勝久さんもみたし、1991年に同じく青山円形での5人芝居で生瀬さんと六角精児さん(善人会議)が共演するのもみた。舞台の六角さんを見たのはその時が最初で最後だったが、たった5人の芝居なのにセリフもほとんどなくギターをもって舞台の端に座っていただけ。なのに存在感満載。持つのはいいがギターすらろくに弾いてなかったような。生瀬さん彼も今とほぼ印象が変わらない。30年以上前の話だけど。ちなみにAmazonPrimeで見られる「レモンハート」というドラマの私はファンだが、川原さんが出ている。
演劇人にとっては下積み時代ともいえる小劇場界を私はほぼ同世代の観客として見ていた。上記に名前を挙げた人たちの舞台を当時名前もロクに知らないで見に行ったが、例外なく目の前にあるその演技と存在感に惹きつけられた。役者は大勢いても光る人は光ってしまう。美醜などでは単純に語れない。オーラなどという言葉がよく使われるけど、存在感とか魅力って不思議だ。
私が繰り返し舞台を見に行った中では堺君が突出してメジャーな存在になった。上記に書いたように何らかの形で現在も演劇界・芸能界で活動を続けている人もいれば、亡くなったひともいる。思えば私自身もこの30年、いろいろあったなあ、という感じだ。
