「速読術」で内容をどれだけ把握できるか試しているのをテレビで見たことがある。ほんとにビラビラ~っとページをトランプさばくみたいに何度かビラビラするだけ。仏教の式典でお坊さんが経典をびらびら~っとやって「読み上げた」を形式的に表現するアレとほぼ同じ(映画「ファンシイダンス」で見た)。もしくは南京玉すだれ的な(古っ)。で、結果は内容に対する質問にしっかり答えていたんだけど、全然マネしたいとは思わなかった。
私も「速読術」という言葉を聞くにつけ、何の意味があるんだろうと思っていた。仕事や勉強で大量の資料を読まなくてはならない、という場合は理解できるが、それくらいしか思い当たらない。雑多かつ膨大な情報から自分に必要なもののみを拾うという目的に特化している場合だ。そこに読書の喜びはない。「効率的に情報を得る喜び」があるのみ。特に私の場合、ストーリーの展開はどうでもいいとは言わないが、主に言葉の選び方や言い回しの巧さを楽しむために本を読んでおり、気に入った個所は繰り返し読む。そんな私にこの本はどう響くのか。
まず読みだしてびっくり、著者が自分を「本を読むのが遅い」と認識していることなんである。平野氏と言えば京大在学中に衒学的な小説でデビューし即芥川賞という”エリート”。以後も膨大な資料を読みこなしたのを前提にしていそうな作品が多い印象だ。さらに平野氏が引き合いに出しているのが、同じくあっという間に何冊も読みこなしそうな読書家代表?高橋源一郎氏で、高橋氏も「読むのが俺は速い」とは思ってないらしい。こういう自己評価は何を指標にしているのか不明で、一般人から見たらきっと速いに決まってるだろうけど(だって日常的なトレーニング量が違う。マラソンと同じ)、とりあえずこういう秀才たちでも「本なんて好きだからサクサク読める」という自己認識があるとは限らないのは面白いし、心強い。
前半は「速読がいかにしょうもないか」ということが分析して書いてあり、それに比べてスローリーディング(自分のペースで、時には前に戻ったりして読む)は、となっている。この本、そもそも新書だったそうで、サクサク読める。ここでフト気づいたが、私は生まれてこの方新書はあまり買わない。値段の割にあっという間に読み終わっちゃって、割高な感じがするからだ。適度な読み応えと不愉快のない文章・内容。面白ければなおよし、ってワガママよねえ、やっぱあたし。結局あたしが自分にあったら、と憧れているのは難解/高尚とされる作品をガバガバと消化/堪能する読解力なんだね。平野氏や高橋氏は普通に読んでも速くて同時にしっかり内容を自分のものにできるんじゃないかってぼんやりイメージしていた(多分そう外れてないんだろうけど)。私はというと世界の文学史に名だたる名著にあって途中で放り出した作品なんて数知れず。一通り読んではみたけど、どこがそんなにいいのかよくわからない、とかもいくらでもある。こういうので世の中「読書ってつまらない」になるの、きっと少なくないよな。
後半は作者であるところの「家元」によるスローリーディング(熟読/精読)の具体的な実践だ。漱石の「こころ」、森鴎外の「高瀬舟」といった教科書クラスの名作からスタート。作品の一部分を引用し、その部分について解説する。
まず前出の超有名作二つ。正直これ読んでも「よし、こころを読み直してみよう」とはならないかな。少なくともあたしはね。書いてあることは「ふむふむ」と引っかかりなく読めるけど、それわかってる、ってことを改めて書き出しているだけのような気もするし、そりゃ家元は文学・歴史・思想に関して造詣が深いからそういう俯瞰もできるよな、と思ったり。
と思ってたら、カフカの「橋」については面白かった。
「小説の読み方に”正解”はない。”作者の意図を探る”ことは間違いなく有意義だが、必ずしもそれだけに拘束される必要はない。(中略)私たちは、どうしても国語の試験の苦い記憶から、読書でも”正解”しなければならない、という強迫観念に囚われている(中略)あえて言えば、国語の試験は、問題制作者の”誤読力”の読解である。(中略)”いい線行ってる”問題もあるだろうし、ずいぶんオリジナリティ溢れるものもあるだろう」
「伊豆の踊子」も面白かった。あたしも答えは「私」だと思った
川端先生が間違ってると思う。
続いて平野氏がおそらく生涯の一冊に挙げるであろう三島由紀夫「金閣寺」。家元の解説を読んで、当該シーンの主人公の気持ちがより分かったようなわからないような。家元の解説通り、やはり三島が書いた通りに読むことで、より行為(金閣寺への放火)への同一化に駆り立てられる主人公の心理が迫ってくるような感じはした。手に取るように、とまでは行ってないけど。感覚的にはより鮮明にリアルになった。
「蛇にピアス」はこういうの苦手なのでパス。続いて家元の著書「葬送」。これも書いてることはいちおうわかるがあまり興味沸かず。
最後にフーコー「性の歴史Ⅰ 知への意志」。家元は最後に「補助線を引きながらスロー・リーディングすれば、一見”お手上げ”に見える哲学書でも、意外なほどよくわかるようになる」と書いているが、家元のつけた補助線&解説を読んでもやっぱり「お手上げ」でした、あたし
。家元の解説はなんとなくわかったけど、それ読んで「あ~フーコーこの文はそういうことが書いてるのか」めっちゃクリア!にはならなかった
所詮あたしなんてこの程度よ。
家元も冒頭のほうで書いているが、
「単に文章を読むということと、本という形式にまとめられた文章を読むということとは、決して同じではない。本を読むためには、料理をしたり、運転をしたりするのと同じで、それなりに技術が必要であり」
ってことなのよ。レッツ・スキルアップ! ってあたりかな? 楽しみながらスキルアップしたいものです。それはこの歳(51歳)になるとむしろ素直に思う。よく「子供でもわかるように」なんていうけど、やっぱり相対的に難しい表現でないと表現できないことってあるし、むしろ「わかりやすさ」が大衆を危険に導くなんて古今東西日常茶飯事だ。そんな大げさな話は抜きにしても、ただ単純に楽しめる本が増えたら嬉しい。老眼キツいけど。
(PHP文庫 680円)