秀次とて安眠できる夜はなかった。秀吉は自分の後継者は秀次だと繰り返すが 、秀頼の溺愛ぶりは誰の目にも明らかだった。もはや秀頼が後継者であると公言してほしいほどだが、家臣たちの手前、さすがの秀吉もそれははばかられた。
「なに、私は秀頼殿が成人するまでの中継ぎ。その後は秀頼殿をお支えする所存。私とて身の程はわきまえておる」
しかし豊臣家家中はどの重臣がどちらにつくかなどという話でもちきりになるようになった。重臣たちはこの件について極力はなしを避けるようになり、神経質な空気が流れた。淀殿は我が子こそ跡継ぎという態度を明らかにしてはばからなかった。やがて秀次は誰の目から見ても病的になった。まんじりともしない夜が続いた。
ある日突然、秀次は一人高野山に登った。そこは秀吉が母大政所の菩提寺とした場所だった。秀次は亡くなるその時まで田舎の老婆であった祖母の素朴な優しさを思い出し、死ねば祖母のもとに行けるかもしれない、などと考え始めていた。このまま出家してもいいくらいだが、こうして入山した自分に二心のないことを秀吉はわかってくれるだろう。秀吉とてそもそもは明るく剽軽な叔父であった。
そんな秀次のもとに秀吉から書簡が届いた。秀次は秀吉が秀次の不在を嘆く文を送ってくれたものと思った。自分がこの状況にいかに悩み疲れているかを察してくれた言葉がそこにはあるはずだ。すがるように文を開いた。
「しばらく山で謹慎するように。許しがあるまで下山はかなわぬ」
(全10回)