ネタバレあり


 2000年香港。ウォン・カーウァイ監督作品。撮影は名コンビのクリストファー・ドイル。トニー・レオン、マギー・チャン主演。
 舞台は1962年の香港(実際の撮影場所はバンコクらしい)。古ぼけたアパートの隣同士に二組の子供のない夫婦が同じ日に越してくる。四人とも30代の設定だろうか? マギーの夫とトニーの妻は不倫関係にあった。二人とも配偶者の不実にきづかされていくが、どちらの配偶者も画面には映らない。二人の声とトニーの妻の後ろ姿が映る程度だ。私たちは古ぼけて薄暗い香港で配偶者の裏切りに静かに傷つき、さまよい、日常をやり過ごすマギーとトニーの姿を観ていく。カメラは戸や路地、廊下といった狭い枠の中で二人や他の登場人物を捉えていき、私たちは覗き見をしているような、絵画をみているような、二人は香港の街の風景の一部となっていく。様々な柄の襟の高いチャイナドレスに身を包んだマギーは風景の中心であり華だ。私たち日本人が一般に思いつくチャイナドレスとは違う柄のものばかりで、「絵画」を彩る大きな要素となっている。トニー・レオンはいわずもがなの名優だが主にスーツ姿で、この映画にあってはマギーを中心にした絵画の背景になっているように見える。
 やがて二人は互いの配偶者同士が不倫関係にあることを確認する。トニーとマギーも頻繁に二人で外で会い、食事をするようになる。当初は二人きりでいても四人でいるかのようだったが、徐々に「二人きり」になっていく。トニーは距離を縮めようとするが、マギーは一線は越えられない。そんなマギーの態度に、トニーは押すでもなく、離れるでもない。色恋沙汰自体とどう距離を置くべきなのか、二人とも決意がつかないように見える。抑えがたい衝動を持て余すほど若くもなければ、それならばとあっさり切り捨てるほど割り切ってもいない。
 英語タイトルは"In the mood for love"。原題の「花様年華」は「花のような美しい時期(年頃)」を意味するようで、映画の中で歌謡曲のようなものが流れるが、「花のように魅惑的な年 月のように輝く心 氷のように清い悟り 楽しい生活 深く愛しあう二人 満ち足りた家庭 でも急に闇に迷い込みつらい日々になる」という歌詞が字幕で出る。
 中国の統治下に入った今の香港とは違う、独特の雰囲気の中で描かれる写真集のような映画だ。カメラはどの映画でも重要だが、特にこの映画では画こそが価値だ。キモはまさしく”MOOD"。一線を越えてしまったら”MOOD"は無くなり、映画が描こうとしていることもなくなる。
 ウォン・カーウァイといえば私が20代の半ば頃「渋谷系」映画として、タランティーノ、ダニー・ボイルといった監督たちと「イケてる映画」を作っていた。他にはピーター・グリーナウェイとかデレク・ジャーマンとか。マイケル・ナイマンのサントラを愛聴していた。私も映画ファンとしてそのど真ん中にいた。シネマライズなどに頻繁に足を運んだものだ。カーウァイ作品としては「恋する惑星」「天使の涙」「欲望の翼」(これはレンタルビデオ)まではみたが、以後なんとなく見なくなっていた。それが最近「世界の映画監督が選ぶ史上最高の映画2022年度版」の動画を見たら、ウォン・カーウァイ作品としてはこの「花様年華」だけが9位に入っていた。以前から気になってはいた作品だがなんとなく見ていなかったので、53歳になってレストア版をお試し期間中のU-NEXTで見ることにした。ダイナミックなストーリーがあるわけではないので、私は98分でも長く感じた。もうちょっと短くていい。ストーリー(物語展開)ではなく、映像と編集の妙で作られた作品だ。
 ラストではマギーに子供ができていて5歳くらい?になっている一方、トニーはひとりでマギーへの未練たらたらという結末になっている。そう明確に描かれているわけではないが、マギーは母として新しい人生を歩み、トニーのことはほとんど忘れているのかもしれない。対しトニーは少なくとも浮気妻と心がともにあるわけではない様子になっている。もしかしたら離婚しているのかもしれない。この辺なんか男目線の話だな、とつくづく思う。マギーは男性にとって妄想の賜物みたいな女性だ。夫に浮気されても自分は一線を越えられない身持ちの硬い美しい人妻。永遠の憧れというか、手に入りそうで入らなかった、男を追わせる非現実的な女性。そういう女性に女々しく未練を残す男。こういう風に自分を女々しくさせてくれる「永遠の女性」を心のどこかで追い求めているのが男って生き物ですよ、っていうのを描いている映画に思えなくもない。ゴールデンボンバー的なね。「男って」って感じの話で、「女って」って感じの話ではないと思う、この映画。
 というわけで私が見たウォン・カーウァイ作品で私がどれを薦めるか。他の三本をそこまではっきり思い出せないが、「花様年華」を敢えて選ぶことはないかな、と思い自分が9年前に書いた「恋する惑星」の記事を読んだら、この「花様年華」と大差のないことが書いてあった。どちらかを選べと言われたら「恋する惑星」かな。エピソードの数が「恋する惑星」のほうが多いので飽きない。でもやはり映像の完成度(美しさ)を取るなら「花様年華」か。どちらにしろ「恋する惑星」はポップな都会の若者の恋愛のMOODを撮り、「花様年華」は大人の恋愛のしっとりしたMOODを撮っている。どちらも香港という街と恋愛のMOODの融合が作り手の「描きたいこと」なのは変わりない。

 

 

 

※ちなみに私がこの30位までのランキングで見たことのある作品は以下の通り。つまり一位を見ていないです。

2位「市民ケーン」

3位「ゴッドファーザー」

4位「東京物語」(あまりにわびしいので、小津は他の作品が好きです)

6位「めまい」

6位「8 1/2」

9位「クローズ・アップ」(公開当時映画館で見た)

9位「花様年華」

12位「タクシー・ドライバー」(デニーロの映画、けっこう見てるな、あたし)

14位「七人の侍」(大学の時、渋谷の映画館で大々的に公開された)

14位「勝手にしやがれ」(これ見てジーン・セバーグの髪型を真似した)

20位「自転車泥棒」

20位「羅生門」

22位「レイジング・ブル」

26位「ゴッドファーザー パート2」

28位「グッド・フェローズ」(公開当時映画館で見た。ここまで評価されるとは思わず)

29位「Do the right thing」
30位「裁かるるジャンヌ」