1943年(昭和18年)成瀬巳喜男監督作品。うちの母が生まれた年でびっくり。戦争終わってないよ。当然のように古い。最初モノクロの画面がユラユラして酔いそうになったが、本編が始まったら大丈夫だった。作品の舞台は明治30年頃らしい。
 謡(うたい)の宗家の甥で将来を嘱望されている喜多八(人間国宝の花柳章太郎)は、自身の出演する能舞台を見物した素人に、「素晴らしいが、伊勢の宗山にはかなわない。東京のひとも感嘆する宗山に教えを乞うがいい」と評される。山より高いプライドを傷けられた若い喜多八。宗山は妾三人を抱える盲目の按摩で、自分は謡の名人であると驕り、地元の人間には嫌われていた。喜多八は身分を隠して宗山に会いに行き、一曲歌わせる。宗山が上手でも素人の域を出ないと判断した喜多八は、玄人ならではの仕掛けで宗山をやり込めると、宗山は自殺する。傲慢な宗山が芸道で負けたことを苦に死んだと知ると、地元の人間は「いい気味だ」程度に思うが、喜多八の師匠の宗家は「芸をもって素人を懲らしめるとは、流儀の外道」と勘当を言い渡す。宗山にはお袖という娘(山田五十鈴)がいたが、天涯孤独となって芸者に身を落とす。
 シンプルな話だが思わぬ面白さ。これが泉鏡花的世界なんだろうか? 日本の芸道をテーマに今なお色あせないエンタテイメント作品になっている。最後、舞う山田五十鈴の佇まいの凛々しさには目を奪われた。17年後の1963年にカラー作品としてリメイクされているが、リメイクしたくなる気持ちはわかる。

 日本映画の巨匠といえば。黒澤明、溝口健二、小津安二郎とこの成瀬巳喜男を挙げておけばそう文句をいわれないだろう。その成瀬巳喜男をWOWOWで特集したので未見の三作品を録画したけど、見切ったのはこの「歌行燈」だけ。成瀬巳喜男の代表作といえば「浮雲」になると思うが、この作品は30代だかに今はなき銀座並木座で観た。男女の腐れ縁を描いたこの映画。内容を知らないで映画を見始め、そうか、この二人が別れて終わるんだな、と思って観ていたら、三回くらい別れてはよりを戻しで、私は三回ごとに「あ、これで終わりか」と思ったら続きがあった。この映画は伊香保温泉のシーンが有名で、私は結婚後夫に「ロケ地探訪」のために連れて行ってもらったくらいだ。驚いたのが当時は男女混浴で、そうなると当然だが脱衣所も一緒。あと、洗面所にある二本の歯ブラシで男に同棲する女がいるのを察知するのはすでにこの頃からある描写か、と思いつつ、その歯ブラシのブラシ部分が今のコンパクトヘッドの五倍くらいあるのが驚きだった。
 今回「放浪記」も録画した。故・森光子さんの舞台が有名だが、作家・林芙美子の自伝小説を映像化したものだ。頭数十分みて、その辛気臭いエピソードの羅列に脱落。冒頭から辛気臭さがさく裂していたが、以後継続した。「乱れる」も録画したが脱落。健気で誠実な嫁が夫の戦没後、長年姑と義弟の面倒を見て店を切り盛りしてきたのに、因業な小姑姉妹に厄介払いされる話で、あたしの最も苦手なタイプの作品世界。昔はこういう作品たくさんあったんだろうな。この「浮雲」「放浪記」「乱れる」全部に主演している高峰秀子のエッセイ、「私の渡世日記」(新潮文庫)は私にとってベストエッセイの一冊だ。何度も繰り返し読んだ。
 それにしても、こういう古い映画を字幕つき(文字放送)でみられるというのはありがたい。こと古い映画となると音の問題や聞きなれない言葉遣い等が多く、文字で確認できるのは非常にありがたい。むしろ字幕がないなら見るのやめようかなと思うくらいだ。私は現代もののドラマでも文字放送で見る(読む)のが好きなくらいだが、基本的に映画・ドラマに限定される。台本がないのが前提のバラエティや情報番組となるとやっぱり文字情報がうるさく興がそがれる。ちなみに夫はドラマだろうがなんだろうが、あたしの好きな文字放送は気に入らないようだ(当然だが外国語映画等の字幕は除く)。設定がそのままになっていると「外して」という。

 

※その伊香保温泉旅行についてはコチラ。