最近第九巻「野の春」が刊行されて完結した宮本輝作「流転の海」シリーズの第一巻。37年かけて書かれた作品で、第一巻にあたるこの本が刊行されたのは1984年だ。MX「5時に夢中」で新潮社中瀬さんが宣伝がてらし紹介していたので、第一巻を読んでみることにした。同じく中瀬さんの紹介で読んだ同著書の「錦繍」もよかったし。
松坂熊吾は大阪で実業家として大きく成功していたが、戦争によって多くの日本人同様ほぼすべてを失う。終戦から二年。この物語は50歳になっていた熊吾がすっかり諦めていた実子を授かったところから始まる。「お前が二十歳になるまで、わしは絶対死なん」と決意した熊吾は闇市広がる大阪で再起を図る。第一巻はすったもんだの末、軌道に乗りかけていた商売を捨てて故郷の伊予に妻と息子と戻る決意をするところまでが描かれる。
熊吾に関してはこんな文章がある。
「剛毅でありながら小心な、獰猛でありながら涙もろい、極めて知的な部分と粗野な部分とを混然と合わせもっている不思議な男」
第一巻を読む限り立派な大作だ。確実に時代を超えて読み継がれる作品かと思われる。人間のもつ逞しさ、狡さ、矛盾、残酷さ、暖かさ、情念、衝動が熊吾という男を軸に戦後の混乱した政治経済状況の中であぶり出される。宮本輝こそ日本文学の伝統に乗る正真正銘の正統派だ。繊細にして骨太。平易でありながら隙のない日本語に乗るエンタテイメント。場面転換も早いのでテンポよく読める。この水準の日本語が書ける小説家も多くはいないが、クドクドしているという意味で「文学的」というのは皆無だ。表現というのはどうあっても好悪があるので誰もが気に入る作品だとは思わないが、絶対値での水準の高さは疑いようもない。楽しいという内容ではないが(あたしも読んでてイヤな気分になる箇所がちょいちょいあった)、とにかく読み応えがある。今の世の中まあまあ面白い小説はあるが(そんなに詳しくないけど)、日本語がイマイチだったり(すごく多い)、衒いがスゴかったり、気取ってて気持ち悪かったり、中身がスカスカだったり、安い情に流されて陳腐にウエットだったり、「人間」「世の中」を見る目が偏って神経症的だったり。そういった現代小説にありがちな「ガッカリ」がこの作品にはない。
一巻の内容についての感想。映画「ゴッド・ファーザーpart2」を思い出した。貧しいイタリア移民が同じ故郷を持つ者同士結束して、自分や家族を守るために暴力(マフィア)を背景にしなくてはいけない現状。あたしは山岡荘八「徳川家康」も相変わらず読んでいるが、ようやく23巻だ。長く続いた戦国の世を終わらせるには信長の果断にして苛烈、暴力・残虐を辞さない政治がはなくてはならなかった。そこに秀吉・家康の奇跡の連携が生まれたとよく言われる。熊吾の時代は戦国の世にも遡らない「つい最近」だ。総体としての人間は時代によって本質的には良くも悪くもならないらしい。そのことがこの一巻を読んでもよくわかる。人間はちょっとしたきっかけで暴力と混乱の支配する世界に滑り落ちていくし、安定と秩序の世界も出現させる。それはひとりひとりの個の中においても同様なのだろう。
ちなみに「徳川家康」第一巻の感想は2015年の4月に掲載している(全26巻)。三年以上も経ってしまったが、意外と飽きずに読んでいる。その後気が向いた巻は記事にしているが、最後は19巻だった。これがちょうど一年前で、2018年は「徳川家康」の感想はひとつも書かなかったことになる。今年読んだ分(20~22巻)はわりかし退屈だったなあ。三冊しか読んでない。これから大坂の陣が始まりそうで、またちょっと面白くなりそうだけど。「流転の海」もボチボチ読んでいこう。
熊吾には四人の妻がいて複数の愛人もいたが、50歳になるまで誰も出産どころか妊娠もしなかった。熊吾と別れたあと再婚して妊娠した前妻もいて、四人目の妻である房江は前の結婚で子供を作っている。それが房江との結婚五年目で初めて嫁が妊娠した。この話で思い出すのは秀吉だ。愛人(側室)の数も熊吾よりずっと多いが妊娠したのは淀君のみなぜか二回。絶対秀吉の実子じゃないよな、とあたしは思っているが、この小説で息子は正真正銘熊吾の子ってことだと思うんだけど。だって宮本輝の父親がモデルのはずだし? そういう小説じゃないよね?
登場人物が多いので、その一部を覚書的に以下に記す。
柳田元雄・・・車の中古部品を扱う柳田商会の社長。乞食同然ともいえる極貧の生活を送っていたが、終戦直後に商売を再開して成功。
河内善助・・・同じく車の中古部品を扱う河内モーターの社長。熊吾の二十年来の仕事仲間。戦争で息子二人を失う。
美津子・・・房江の姪。辻堂忠の口利きで証券会社に勤務。
直子・・・美津子の妹。夫は戦死。料亭で仲居をして息子を二人を育てる。
海老原太一・・・熊吾の同郷。熊吾を頼って上阪し、松坂商会からやがて独立して亜細亜商会を作り成功。
井草正之助・・・戦前から松坂商会で働いてた熊吾の右腕的存在。
周栄文・・・熊吾が仕事を通じて仲良くなった中国人。中国に妻子がいるが、日本で谷山節子との間に女児麻衣子を儲ける。
丸尾千代麿・・・運送会社の主人
筒井剛・・・戦前からの松坂家のかかりつけ医。
(新潮文庫 670円)
※結局このシリーズ、第四巻で挫折します。そのいきさつについてはコチラ(第三巻「血脈の火」)
★今週の署名運動★
ダサい、長くて不便、頭悪そう。外国人から見たってアホくさいよ、この駅名は。喜んでいるのはJRの数名のおっさんだけという新駅名「高輪ゲートウェイ」。撤回運動に私も署名しました。マジ「高輪」でいい。三位の「芝浜」もいいと思った。例えばこの駅がリニアの始発駅だとかそういうのがあればまだ許すけど、なんで「ゲートウェイ」? 実際撤回されるかどうかはともかく(マジしてほしいが)、おっさんたちに自分らは世間とかけ離れてダサいんだと知らしめる必要がある。署名サイトはコチラ(外部)。賛同される方はぜひ!
※同著者の「錦繍」はコチラ。
※山岡荘八「徳川家康 第一巻 出世乱離の巻」はコチラ。「19巻 泰平胎動の巻」はコチラ。
※秀吉タネなし問題については「第13巻 侘茶の巻」→コチラ。