2018年度手塚治虫文化賞短編賞受賞作。お笑いコンビ、カラテカの矢部太郎はそもそも完全二世帯住宅の二階に間借りをする。大家は一階に住む87歳の老女。当初矢部は距離感に悩むが、やがて二人は仲良くなる。そんな二人の日常が四コマ漫画で表現される。
これはなかなかの秀作だ。画は稚拙だが内容には合っている。笑いと物悲しさ、暖かさが共存し、曰くい言い難い人生の悲哀が軽やかにビビッドに伝わる。
と、絶賛しておいてケチをつけるが、この分量で千円は高い。千円なら三倍欲しい。
それにしても「笑い」。もしこの本が「売れない芸人と老女の大家の心温まる交流。三度は泣ける!」みたいな作品だったら絶対読まない。ある意味物悲しかったりするエピソードでも「オチをつける」という軸が矢部のなかでブレないので魅力的な作品に仕上がっている。「悲劇と喜劇が同時に起こる」のが人生だが、悲劇のほうが文章などの形にするのが簡単だ。そもそも私は簡単に泣く人間なので、泣けることなんか全然評価しない。「泣ける!」って惹句を読んだだけでバカにしたい気分になる。笑えることのほうがずっと評価が高い。しめっぽいのとか辛気臭いの大嫌いよ。喜劇を作る難しさとしてよく言われることだが、「泣き所はだいたいみな同じだけど、笑いどころはひとそれぞれ」。例えばあるエピソードがあって、泣ける人と泣けないひとがいたとする。しかし泣けない人もどこが泣きどころかはわかることが多い。ところが笑いは「どこが面白いのか全然わからない」になる。だいたい「泣き」について作り手は受け手をナメていると感じることが多い。「こういうふうにすりゃ泣くだろう」みたいなのがミエミエなの。雑な笑いについてももちろんある。コミカルな音楽をつけて「笑いどころですよ」と告知するようなのが典型例だ。「告知」さえなければそれなりに笑えることもあるのに、「告知」のせいで笑えないことが多い。この場合陳腐な表現が巧くハマるケース(いわゆるベタ)も多いので一概にはいえないが、コミカルなシーンだからこそむしろわかりやすく悲劇的な音楽をつけたりするセンスがあたしは好きだ。
話を「泣き」に戻す。あたしみたいに簡単に泣く人間には「安い涙」と「安くもない涙」がある。つまり「泣ける」=「評価のしるし」にはならない。対し笑いについては、大雑把にいって「笑ってる」=「評価している」で間違いない。あたしが評価する「上等な涙」といったら、例えば「となりのトトロ」だ。庭に植えたどんぐりが生えるシーンは何度見ても泣ける。年に一度程度トトロを見ている気がするが、毎年あのシーンでは泣ける。そんな私に夫は、
「なんで泣いているの?」
「感動してるんだよっ!」
「紅の豚」で「きれい。世界ってほんとうにきれい」と飛行艇に乗った女の子が言うシーンも胸がじーんとなる。こういうのが上等な感動の涙だと思う。トトロの「夢だったけど、夢じゃない」って台詞もなんてオサレ、と感動しているが、名台詞が多いのは「紅の豚」だなあ。
いずれにしても夫がテレビ等をみて泣いているのは見たことがない。ちなみに「笑いどころ」もまったく合わない。
あと矢部が大家さんのことを後輩芸人に「おばあさん」と言っているのを聞いてムッとする大家さん。87歳でもこれなんだなあ、と改めて思う。ちなみに同じく87歳の義母は自分をシンプルに「おばあさん」と思っているようだが、これはひ孫もいる義母と子供のいない大家さんとの違いかと察せられる。
(新潮社 1000円)
※「”おばさん”は何歳から何歳までか」はコチラ。
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