村上春樹が読者の「お悩み相談」に回答したもの。近年わたくし、小説家としての村上春樹が苦手。エッセイストとしての村上春樹が好きなので、エッセイストスタンスのこの本は盛沢山でよかった。大好きな「村上朝日堂」シリーズには及ばないが。ユーモラスで軽快、洒脱、時々真面目でモラリスト。私が村上氏に相談したいことはないが、この本を読むとたいがいのことは悩むに値しないと思えてくる。悩みがちなときは以前紹介した河合隼雄「こころの処方箋」より、私にはこの本だ。しかし村上氏は河合氏に敬意を抱いており、「村上春樹、河合隼雄に会いに行く」という共著も出している。私はこの本も以前買って読んでみたのだが、退屈で途中でやめてしまった。私と河合氏の相性はイマイチだ。嫌悪感はないが退屈。しかしこの本でも村上氏は「なぜひとを殺してはいけないのか」という相談に対して河合氏の言葉を引用している。
「河合隼雄先生は、心と肉体との間に”魂”というものがあって、ひととして間違ったことをすると、理屈は抜きで、その魂が損なわれていくのだ、あるいは腐っていくのだといっておられました。人殺しがいけないというのも、要するにそういうことなのではないでしょうか」
 ものすごく腑に落ちた。ひとというのは他人とかかわる中で、傷ついたり傷つけられたり、迷惑をかけたりかけられたりして生きている。それは避けられない。しかし自らの「魂」を損なうような悪事、おそらく、殺人(自殺を含む?)、暴力(性的なものを含む)、いじめ、虐待(動物等含む)、ひとのものを故意、悪意をもって盗む、壊すなどは「自分のためにもしてはいけない、以後の人生で回復できない、もしくは魂の回復に多大な労力を必要とする」事柄なのだろう。心は簡単に傷つくが、魂が損なわれ、歪むというのは次元が違う。損なわれ、腐り、歪んだ魂というのはどうなるのか。生きている現在に対しても必ず影響はある。外的にというより、意図せずとも、隠そうとしても外側にあるものにさえ影響を及ぼす内面(魂)の腐食。確実なことは当然わからないが、恐ろしい。以前紹介したウディ・アレンの映画「マッチポイント」の主人公もこんな感じだ。子供同士のいざこざを超えたような、もはや犯罪と呼ばれるべき行為がなぜか「いじめ」とされてる件についても同様だろう。加害者は(なぜか)名前を上げられないが、「魂を損なう」という点においては大人と変わらない。ただ子供だと挽回する時間は多く残されている。以後の人生、相当な矛盾と過酷さにさらされ、試練を乗り越えなくては回復されないだろうが、その過程において、「魂の回復」へ自らを方向付けられるかどうかすら、時として困難だ。
 と、かなり深刻な部分を取り上げてしまったが、悩みの種類はいろいろある。いろいろあるものの、村上氏の”得意分野”である文学、英語、音楽、猫とスワローズ関連は多い。真面目なトピックに並んでくだらないこと、もしくはフラットな内容も多く、読んでいてクスリとしてしまうことは何度もあった。ただ前半にふざけた気軽なトピックが多く、後半は深刻、真面目なネタが多かった気がする。なるべく均等に混ぜてしてほしかった。
 ハルキスト/村上主義者には遠い私だが、高校時代からそれなりにこの人の活動を見続けて、その地道でブレない生きざまには敬意を払う。スキャンダルとかではなく、昨今このひとほどやいやい言われた作家も珍しい。それだけ読者の熱狂は当時からあったんだろうな。影響力ないものが批判もされないもんねえ。その風雨の中にあって、この人がマイペースを崩したことはない気がする。一貫して地に足の着いた生き方。結果実際の読者の支持や海外からの評価が彼の地位を思わぬところに押し上げた。その点において本当に尊敬する。私が高校のとき、村上春樹がノーベル文学賞云々なんて考えられなかった。芥川賞すら取れなかったもんねえ。

(新潮文庫 840円)
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