みうらじゅんと宮藤官九郎の対談集。うちら夫婦、車上荒らし被害にあって車はヤラれるわゴルフバッグをパクられるわ、夫婦ともどもめちゃ凹み。この本で引用されているが、清志郎が「いいことばかりはありゃしない」と歌っているそうだ。そんなこと50年近く生きてるので知ってはいるが、犯罪被害者になるというのはズルズルと引きずる、独特のイヤな感じがある。そこでなにかくだらなくて笑える本はないかと買ってみた。内容充実度としての評価は惜しい感じ。つまんなくはないけど、ひとに積極的に薦めるほどでもない。みうらがやたらに下ネタで事柄を喩えるのに食傷。ちょっと差しはさむくらいだと素直に笑えるのにな。以下、内容で気になった点を挙げてみたい。


●二人とも年下の彼女相手にファーストキスと初エッチを同時に済ませようとして、ファーストキスは完了したものの初エッチは完了に至らず、結局この相手とはその後うやむやになってしまったと、共通点が多い「初キッス」だった。
●離婚経験者(前妻との間に子アリ)のみうら曰く、一番身近で最大の我慢が結婚。それさえ我慢できれば、世の中で起こる大概の出来事なんて屁。離婚も過去のすべてが「リセット」できるものでもなく、傷を負ったまま生き残るものだと。私はというと身近で最大の我慢が結婚ではない。むしろ独身時代のほうがよほど我慢を重ねていた。現在の「ワガママぶり」にはやがてツケが回ってくるのだろうか。二度離婚している夫(子ナシ)に聞いてはいないが、みうらの意見には程度問題で同意する気はする。離婚の話自体したがらないのがその証拠だと思うし。しかしみうらもクドカンも結婚に後悔はないらしい。そこまで我慢しててそうなんだ、と堪え性のない私は不思議に思ったりするが、それなりの年齢になったら我慢(自律)を強いられるのもそれほど悪くないといったあたりなのか。
●一緒にお風呂に入るような幼い娘がいる両人が「歳の差婚」について語り、娘が父親である自分とそう変わらない年代の男性を連れてきたらという想像に慄いている。しかしここでは一切触れられていないが、みうらの二度目の結婚がそうなんである。17歳年下の歌手birdとデキ婚。というわけでこのくだりについてはすんごい違和感。またみうらの「離婚は大変」はこのbird妊娠→前妻(子アリ)と離婚→事実婚→bird第二子妊娠で入籍、といった経験を背景にしている様子。関係ないが、あたしはbirdの「空の瞳」(1999年)なんかが大好きで、アルバムも繰り返し聴いたし、カラオケでも時々歌っていた。
●そもそもそういう趣旨の本なので、二人がやたらセックスについて語っている。フムフムなどと思ったりするが、47歳(クドカンと同い年)の既婚おばはんとしては、別にこの話そんなに改めて掘り下げて聴きたくねえなあと思ってしまう。昔は「男の生理」なんてすんごい知りたかったり、語りたかったりしたもんなのにな。今はそういう生々しい話はいいや、と思ってしまう。この年になって性欲がなくなったとはいわないが、独身だった30代までと比べると性欲のありようがずいぶん変わってきてしまった。
●男子校出身で自身はヤンキーではないが、ヤンキーに身近に接していたふたりはやたらにヤンキーを肯定している。私は女子高出身でそこまで身近にヤンキーに接したことはないので、二人の意見には違和感。ヤンキーのイメージが違うみたい。ファッションがヤンキー程度の話ならともかく、本質的なヤンキーをフィクションの中で笑うのはともかく、現実の存在としては肯定しにくい。
●娘とお風呂に入るのを楽しみにしているクドカン。いずれ「もうお父さんとは入らない」と言われる予感におびえて、「ふられる前にこっちからふる」と自分から「お父さんはもう一緒に入らない」と言おうかどうか迷っている、というのが笑えた。
●みうらは病院で「血液ドロドロ」と言われ、悪玉コレステロールって表現が嫌いなどといっているが、どちらも表現としては適切なものであり、語感におびえてないで具体的にどういうことなのか知り、きちんと対処してほしい、と「健康マニアおばさん」としては思う。
●若い時は性欲過多、解消の心配ばかりしていたみうらだが、40代後半に「しんどくね?」、50代に「邪魔くさくね?」と、それ以前にはありえなかった自分の声が聞こえるようになったとか。birdの第一子妊娠が47歳頃と思われ、性欲とそういうこととは必ずしもイコールでないのなだ、と。むしろ性欲減退の実感に「今のうちにさらに子孫を」という熱意になったのか? まあ、縁の問題だろうな。
●前からクドカンは才能の有無は他人が決める、と言っていたが、「自分らしさ」を決めるのも他人だと言っている。「自分らしく生きる」とかいってる歌を空々しく、fed upしている私としては安易なああいう歌詞に対するアンチテーゼとして深く同意したい。個人の意見というのはあまりアテにならないが、大勢の意見というのはやはり真実であることが多い。「自分探し」の結末なんてしょうもないに決まっている。敢えて探すもんじゃないんである。
●結婚もせずひとりで老年期を過ごす男性と出会ったみうら。じいさん曰く「ひとりで旅行に行ったり映画見たり、寂しくもないし、どこでのたれ死にしてもいいかと思うと気楽。孤独死なんて哀れまれたくない」と。この発言に一定の理解を示す二人。子供のいないあたしにとって孤独死はかなりリアルだ。この男性はずっと自分の母親の介護をして老いていったらしいが、自分が介護される立場になることについては言及がない。元気でぽっくり、ぴんころならじいさんの意見もわかるんだけどね。でも死体さらして腐乱して、後始末の行政のひと?に迷惑かけるのもイヤだな。
●クドカンもみうらも「死んだら終わり、あとは何もない」派。あたしが尊敬する作家の塩野七生さんもそう言っていた。うちの母親なんかは真逆で、あの世のほうがずっと長い時間がある派。あたしはどちらともわからないけど、「死んだら全部ゼロではない」ほうを間違いなく意識して生きている。
●そんなクドカンだが「簡単に自殺する人」に対して「この人生、気に入らないから止めます、って、そういう人たちって、人生にどれだけデカいものを期待していたのかな。俺はつまんなくても生きたい」と。どういったケースを「簡単」と称しているか、この本からはわからない。「つまんないから」死ぬ人っているのかな。多くは「苦しい/つらいから」だと思うんだけど。ただ小学生の時に十二指腸潰瘍になり、大人になっても慢性胃炎に悩むひとの発言ではある。「あの世はある派」によくある意見/説は、「人間は生き死にだけは自分で決められない、だから自殺はある意味、他人を殺す以上の罪である、というより死んでも絶対救われない」だ。松ちゃんもかなり昔に「いじめは悪いんだけど、いじめられて自殺するのはもっと悪い。それを誰も言わないから後を絶たない」と言っていた(ような気がする)。あたしは自殺というのは「正気」ではできないものだと思っており、「病死」の一種に分類すべきではないかと考えてもいるが、同調意見はあまり聞かない。
 ちなみにあたしは20代で十二指腸潰瘍になって、40代でピロリ菌の除菌をして胃の調子もめっきりよくなった。クドカンってピロリ菌除菌やってるのかなあ。
●みうらもクドカンも歌手遠藤賢司氏のファンのようで「ラーメンライスで乾杯」という曲について語っている。その遠藤氏が先月25日に70歳で亡くなった。確かTV「サワコの朝」かなんかにクドカンが出たときもこの曲について語っていたような。
(集英社文庫 600円)

★今週のモーターショー&カラオケ★

11/4 東京モーターショーに。大して見どころはないのにすごい人出。メシは高くてイマイチだし、想像を超えてヘトヘトになった。おばさんは開始10分、完全にひとに酔ってしまった。なお車上荒らしにあって、次はどの車にするか選びにいったわけでもなく、夫の意向に従ったまで。そんな金あるはずもなく。夫も面白くはなさそうだった。その後二人でカラオケへ。さっそくbirdの「空の瞳」に挑戦したが、サビ前がほとんど歌いこなせず。こんなに難しかったっけ? 以前も今も歌が大して巧くないのは変わらない。昔どの程度歌いこなしていたのか、思い出せない。昔のほうがオリジナルを聴きこんでいたのは確かだが。