1995年製作。主演のエマ・トンプソンが脚本も務め、第68回アカデミー賞脚色賞を受賞。
分別によって自己を律する長女(エマ)と情熱のままに生きる次女(ケイト・ウインスレット)の恋愛を描く。「結婚は生活、現実、互いの家柄のバランスも大事」「おつきあいする相手はその人柄をじっくり判断してから」「ひと前では立ち振る舞いを考える」的な生き方と、「恋は情熱、その先にあるのが結婚」「恋に落ちるのに時間はいらない」「ひとまえでいちゃつくのも情熱があれば自然なこと」の対比。大都会ロンドンを馬車が行き交うような時代の話だが、現代にも通じるテーマだ。
この姉妹がそれぞれ「ろくでなし男」と恋に落ち、破れ、人生に希望を見出せない状況に耐えたのちに幸せをつかむまでを描く。結論としては、どちらがあるべき姿ということではなく、ひとはそれぞれの性格のままに生きるしかない、といったところか。人間、自分自身はどうにもならない。性格、価値観、生き方の違う者同士が関わりあいながら人生は形作られていく。長女は次女のように生きろといわれれば摩擦に疲れるだろうし、次女が長女のように生きることを強いられたら、息苦しさに鬱屈するだろう。
原作は19世紀初頭に書かれたイギリス小説「分別と多感」で、映画の原題はこの有名な小説のタイトルと同じ(Sence and Sensibility)。邦題は特に意味のない無難なものをつけたものと思われる。イマイチ。もちょっと内容を髣髴させるものにならなかったのか。「ある晴れた日に」はオペラ「蝶々夫人」のアリア。これと混同しちゃうが全く無関係。
監督は台湾出身のアン・リー。この監督の作品「ラスト、コーション」を「露骨な性描写」に惹かれて見たが、結果エロとは遠く、戦争の非常時を通して性愛と人間の孤独を描いた、かなり上等で知的な映画だった(この映画のタイトル、このブログで何度出しているんだ)。でこの映画はというと、文学作品の映画化にはよくあることだが、良心的で丁寧に作られた作品だとは思うもののけっこう退屈。大好きな映画「眺めのいい部屋」的な面白さを期待したが、チト外れた。それにしてもケイトって、「タイタニック」のときから思っていたが芝居が巧いな。
謎だったのが、字幕が「ティーをいれて」となっていたところ。「お茶をいれて」が適切だと思うのだが。突然「ティー」って違和感。その違和感に意味のある字幕というわけでもなさそうで。「お茶を」で日本茶だと思う日本人いない。日本人同士だって「お茶する」つって日本茶飲まないわな。
★今週のお花見★
2/28 三浦半島に行ったら河津桜と菜の花が見頃を迎えていた。土手にお弁当を広げるにはやや寒そうだったが、花見客でかなりの賑わい。本場河津町の規模には及ばないが、近所に花の気配も薄いので嬉しい驚きだった。もう盛りを過ぎた頃かと思ったら逆で、桜は8分咲き程度とのこと。三浦は梅もそこここで花開いていた。高い山のない丘陵地帯に実り豊かな畑が広がり、春を迎えようととしているこの時期の三浦半島の風景が私はかなり好きだ。
横須賀でゴルフの練習をしたら、この時期は「すかなごっそ」という地元JAの販売所に行くのが去年からの習慣だ。その道すがらに河津桜の通りがあった。「すかなごっそ」は人気の場所で近隣では「すかなごっそ渋滞」が起こるくらいなのだが、三浦半島でとれた立派な野菜が廉価で売られている。特にこの時期のキャベツ、ネギは素晴らしい。他にもほうれん草、ブロッコリー、菜の花等、葉物にいいものが揃っている。ここで野菜を買うと、近所のスーパーで売られているしょぼいくせに高い野菜が嫌がらせのようだ。さすがに夏になると湘南への人出で渋滞がかなり手前から起こるので行かなくなるが、それまでは私にとって春の楽しみのひとつだ。
3/5:今年初めて近所でうぐいすが鳴くのを聞いた。これから毎日夏まで聴けると思うと嬉しい。