年末年始、テレビを見まくった。普段から、「みるテレビないな~」と番組欄を目を皿にしてみているので、テレビに期待するところは大きい。そして度々失望させられている。そんな私の、年末年始のテレビ雑感である。

 

 テレビ東京「ローカル路線バスの旅」が好きでよく見る。太川陽介がバスの中で地図を凝視し続けていて、よく酔わないな、と感心する。私ならあっという間に気持ち悪くなっている。進行方向に背を向けて座るのもOKとのことだった。三半規管が違うのだろうか? 
 東京MXで放送中の「水曜どうでしょう」の新作アフリカ編を見ていたが、あまりにつまらないので8夜分みて止めた。ちなみに私はどうでしょうをほぼ全部見ている。
 「ローカル路線バスの旅」に昔の「どうでしょう」と共通する面白さがある。しかも太川陽介と蛭子さんは大泉とミスターより年上。アフリカ編は、そのへんの素人のおじさんたちがパック旅行に参加したときの録画を見せられているかのよう。内輪で盛り上がるばかりで、観客はカヤの外。
 「路線バスの旅」のマドンナは当然重要な役割を果たすのだが、私なりにマドンナ適性について考えてみた。
 まず太川、蛭子と仲間になれるキャラクターであること。人生や芸能界の先輩と見上げるようだとよくない。またあまりに年配なのもダメ。30代から40代である程度酸いも甘いもかみ分け、それなりに”現役”の色気があるとよい。しかし服装等は長距離を歩くことを前提にしたスタイルであること。それ以外のヤツは「わかってない」のでちょっとイライラする。リュックにスニーカースタイルが絶対だと思う。道行くまちのひととも礼儀も失わず、かつざっくばらんに交流できるタイプであること。丁寧すぎるのも意外にダメ。 
 ただラテ欄にまであった「重大発表」がDVD発売だったというのはいだたけない。この情報、BSでやっている再放送分で既に流されていたし。製作側の良心疑う。せいぜい「DVD発売記念第16弾」とかにすればよかったのに。

 去年の11月くらいから韓国ドラマ「がんばれ!クムスン」(BSジャパン)を見続けていた。このドラマ、様々な女の業を実に丹念に描いて、悪人でもなければ善人でもなく、主役のクムスンを筆頭にそれぞれリアルに自己中心的な人物造詣に見ごたえがあるといえばあるが、とにかく登場人物(特に女性)がすぐに興奮して周囲をキツく攻撃する。怒りのあまり失神する女性が続出。韓国ドラマ一般この傾向はあり、日本人と韓国人では感情表現が大幅に違うのを実感する。韓国の場合、一時は激高して、日本人からしたら後戻りできないような言葉を吐き続け、手が出るのも「普通」なのだが、その分あとに引きずらない傾向はある。よく言えば他人との距離が近い。悪く言えば無遠慮で図々しい。しかしそれにしたって、このドラマは他の韓国ドラマと比べてもハンパない。毎回毎回それぞれが自己都合で物事を推し進め、結果いがみ合い、怒り、憎しみの視線を互いに投げあう。これがまた妙にリアルで生々しく、回が進むごとにげんなりしてきていた。正直、実際こんな環境に身を置いていたら即効疲弊してしまう。私なら逃げ出したくてたまらなくなるだろうが、その辺みんな根性も座っていて図々しい。しかし82話もある話を半分以上見て、ここで止めて最後を見届けないというのも決意がいる。そんなことを思っているうちに、正月休みに入った。
 この正月休みは松重豊主演「孤独のグルメ」(同じくBSジャパン)再放送を見続けた。こちらは都会の「独身貴族」の男一匹グルメ生活を描いたものだ。高級ホテル、デパート等のレストランにおける食材詐称問題が取り沙汰された昨今、もともと「高級なんちゃら使用」を謳ってない「孤独のグルメ」的レストラン・食堂・居酒屋こそ、真のグルメではないかと思えてきた。そんなんで、孤独ではあるがしがらみなく、肯定と洗練に満ちた「孤独のグルメ」を見続けていたら、孤独には程遠いが葛藤、相克、否定の坩堝が延々続く「がんばれ!クムスン」を「我慢して」見続ける必要がないと思えてきた。憑き物が落ちたというか。「孤独のグルメ」にある他人との距離感こそ、あたしと共有するものだ(つまりあたしは日本の田舎の距離感すらダメ)。というわけで年明けからクムスンを見ていない。
 私は松重豊演じる井の頭五郎に強い色気を感じている。五郎さんと飲みに行きたいな、でも彼は下戸なんだった、と何度思ったかわからない。そう夫に言うと、
「あんな男、実在するわけないだろ」
 と毎回言われる。美男であるとか、お金持ちであるとか、異様に善意に満ちているとか、「こんなヤツ絶対いない」という大きな要素は特にないのだが、確かに総合して井の頭五郎のような男性は、実はいないかもしれない。独身でバランス感覚があって洗練された井の頭五郎のような男性は、やはりファンタジーなんだろう。でもいたら罪深い男になっちゃうよなあ・・・
 シーズン1は一話30分だったようで、内容からして30分が適当だとは思った。45分だと間延びする。
 大晦日年越しは東京MXテレビの「オママ対抗歌合戦~第五回グランドチャンピオン大会」を見た。冒頭、ミッツ・マングローブら女装家三人の星屑スキャットが「ニュースな夜」というオリジナル曲を披露したが、大変よかった。この曲を聴くためだけに録画を残し、しばらく毎日再生していた。実にキャッチーで、何かのタイアップ曲でもおかしくない。
 番組内容は、「こういうどぎつい内容、大学のころとかあたしも深夜のテレビでみてたな~EXテレビとか」と懐かしく思いださせるものだった。市井の人生というもののふり幅の大きさ、深み、複雑さ、業を生々しく感じた。いわゆる東京キー局の全国型民放では、いかに「波乱万丈、衝撃人生」を謳った番組からでもこう多面的には伝わらない。
 審査員でマツコ・デラックスも出ていたのだが、昨今のマツコのスターぶりについて考えた。他のタレントにない言葉の切れ味、本質をついていくる発言には度々感心させられているが、CMにあれだけ多用されるのには見た目のインパクトに加えて、清潔感というのが絶対にあると思う。マツコには、他の女装家はもちろん、多くのひとがしょっている「生臭さ」が欠落している。マツコがいくら「男が欲しい」的下ネタを言っても、まるで生々しさを伴わず、ある種の達観が漂うばかり。壇蜜がもはやエロの生々しさをすっかり昇華させているのに似ている。
 それにしてもマツコの「聡明さ」には感心させられる。「あたしは女」と一生懸命主張する「オネエ」たちとは一線画し、「あたしは男だし」とあっさり認め、それでいながら要所要所では「あたしって女は」と身軽にスイッチ。自分のあるがままを、既存の型にはめるのではなく、不定形なまま受け入れ、受け取り手にも「わかりにくさ」のまま自分を晒す金剛力。「ゆるキャラ」代表のくまモンは「他のゆるキャラとは違う。ユルくない、しゅっとしている」発言には、なるほど、と感心させられた。くまモンはキャラクターとしてスキなく完成してしまっている。「ゆるキャラ」の命名者はみうらじゅんだが、みうらもそう思っている気がしてならない。