クドカンが週刊文春に連載していたエッセイを集めたもの。「大泉エッセイ」同様クドカンのある程度のファンであることが前提にはなるけれど、やはり脚本を生業にしているだけあって大泉エッセイより内容が盛りだくさん。クドカンっていう友達がいて、居酒屋で最近あったこと、思っていることを聞いているような感覚が楽しめる。私はかなり好きです、この本。
 古田新太が「宮藤くんの脚本は読んでいて面白い。だから演じるときには演じて面白くなかったらどうしようと緊張する。映像になって面白くなかったら、俺のせいになる。つまらない脚本だと、よし、俺が芝居で面白くしてやろう、って思うのだけれど」と言っていた。これと同じ事を、西村雅彦が三谷幸喜の脚本に対して言っていた。俳優業に本気で取り組んでいるひとは、面白い脚本ほど自分の演技が脚本を台無しにしたらどうしようと緊張するのに対し、つまらない脚本には自分の演技でどうにかよくしようとリラックス(?)して取り組めるようだ。
 クドカンの日常のあれこれが綴られているが、禁煙の失敗なども書かれていて、夫が禁煙を継続してくれていることに気持ちをあらたに感謝できる。

 

「芝居の台本が書けなくてさあ。夜中に煮詰まってたら”吸えば書けるんじゃない?”って声が聞こえて来たよ。まさにシャイニング(ニコルソンのあの映画)。それでも二週間は耐えた。そしてついに吸ったよ。そしたら書けたよ。一本吸ったら一気に15ページ書けたよ。それで悟ってしまった。少なくとも俺にはまだタバコが必要だと」

 この前も夫を車で駅に迎えに行って乗せたら、
「この車、タバコのにおいがする」
 とまたも幻聴、幻覚ならぬ「幻嗅」コメントを発した。
「あ、この前男のひととこの車でドライブしたんだけど、そのひとが吸ってた」
 とお約束台詞を吐いてみるも、まだまだ油断ならねえ、と心中つぶやいた。私はろくに聞いてもいない夫に読んだ本や見た映画、テレビの話をするのだが、このクドカンのエピソードを話すつもりはない。
 最近ようやく、
「禁煙してもなにもいいことがない」とか、夫婦喧嘩の際に、
「もうタバコ吸う。じゃないとやっていられない」
 という台詞を吐かなくなった。
 話は変わるが「シャイニング」。私は子供の頃からホラー、バイオレンスが苦手でかなり過敏に避けて通ってきた。そんな20代後半だったか、妹がキューブリックの名作「シャイニング」を見て、
「お姉ちゃん、みたほうがいいよ。そんなに怖くないし。最後ハッピーエンドだし」
 と言うので見てみた。嘘をつくな。グロいシーンや急な大きな音、おぞましい顔の突然のドアップ等でドッキリさせるタイプの怖さではないが、充分怖いではないか。おまけにあれ、ハッピーエンドか? 妹に騙された、とホラー映画に特に苦手意識のない友人に話すと、
「13日の金曜日とか、ああいうのはバカバカしくて怖くない。でもシャイニングは本当にありそうで怖い。ひとりで夜見るのは避けたい」
 と言っていた。キューブリックの強烈な美意識が全面に満ち、確かに「一見の価値あり」とは思ったが、相当上品なこの映画でこの怖さ。やはりホラー映画は見ないほうがいい、と再確認した。というわけで私にとっておそらく生涯唯一のホラー映画が「シャイニング」だ。このクドカンの本に書かれた「シャイニング」についての文章は、この映画を見たことがある人なら興味深く読めると思う。
 他にもこのエッセイを読んで思い出したこと等を列記していく。

 最近テレビ東京でやっている「孤独のグルメ」(松重豊主演)という実在する飲食店を取り上げるドラマで、近所である日ノ出町が舞台になるというので見てみたら、大変面白かった。この番組、私は存在すら知らなかったのだが既に第三シーズン。私が好きな番組「吉田類の酒場探訪」をドラマにしたような番組で、実際に原作者である漫画家・久住昌之氏が番組の終わりに店に足を運ぶ。「予想よりはるかに面白かったな~」とドラマを見終わってこの本を読んでいたら、クドカンが吉祥寺に住むようになったのは、久住昌之さんの作品に頻繁に出てくるから、とあった。シンクロニシティだ。だからどうしたといわれると、どうもしないが。ちなみに表紙は今日の「アメトーク」のトピックである漫画家福本伸行氏だ。漫画家シンクロ連打。

 「テレビってなんとな~くみるものだからさ」という台詞がクドカン脚本の「うぬぼれ刑事」(2010年7月~)の中にあって(矢作が言う)、とても印象に残っていたのだが、この本でも取り上げられていた。ドラマをみながらほんと、そういうものだけど、それにしたってテロップつけすぎの番組多くてげんなりするよなあ(オマケに誤字が多い)、と思っていたら、同じ時期にやっていた「熱海の捜査官」というオダギリジョー主演のドラマが、びっくりするくらい「謎」を詳らかにしないまま終わり、それこそ「なんとなく」見ていたら「凝ってるだけの、わけがわからねえドラマだったな」で完結してしまう内容で驚いた。映画ならともかく、民放のドラマであの内容で押し通すのはどうかと思った。「最近のドラマは視聴者をバカにしてレベルを下げまくっている」という反感の現われなのかもしれないが、あそこまでいくと作り手のひとりよがりの印象が残る。とりあえず最終回の「大音量にすれば聞こえる」とされているささやき声の内容ははっきり視聴者に聞こえるようにすべきだったのは間違いない。

 「大泉エッセイ」にもあったが、「大阪の(舞台に来る)お客さんはよく笑う。その程度のことで、そこまで笑う? というくらい笑う」というやつ。要するに大阪人というのは「笑いに敏感である」ことに対して「厳しい」のであって、質そのものは問わない、むしろわかりやすいことがよいとされる傾向があると思う(吉本新喜劇等)。「笑うところで笑わない」「冗談にきちんと冗談で対応しない」ことが「ノリが悪い」「気取っている」「冷たい」として嫌悪されるところなのだろう。「お約束愛」とも言うべきか。にしても生活保護の不正受給率がすごく高かったり、大阪の役所の劣悪とか、そのくせ大阪愛アピールが異様だったり、残念なことだが、私の大阪の印象は悪い。

 

 

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☆追記:この本の続編ともいうべきエッセイ「え、なんでまた?」(文春文庫640円)を読みましたが、こちらの「いまなんつった」に比べたらかなり退屈でした。個人の感想ですが(2015/9/6)