山本周五郎賞受賞他、なかなか評判がいい作品のようだったので、文庫本になるのを待ってすぐ購入した。
で、なかなか面白い。作者の長年の情熱が結実したような、立派なエンタテイメント小説だ。どういう風に話が展開していくのだろう、という興味で冒頭からぐいぐい引っ張ってってくれる。
この本を楽しむのに絵画に関する興味は多少必要だと思う。でも、しょっちゅうってわけじゃないけど、きっかけがあれば美術館に行くのも嫌いじゃない、とか、「なんでも鑑定団」をたまに見るけどけっこう楽しんでます、程度でおそらく問題ないだろう。この小説、MOMA他大美術館の協力が得られるなら、映画化してはどうかと思う。日本の映画会社にはコネクション、資金的に厳しい内容か。キャスティングもしょっぱい俳優にやってほしくないしなあ。
私は名画について知るのはけっこう好きで、世界の名だたる美術館(ロンドン、パリ、ニューヨーク、ローマ、フィレンツェ、ヴェネチア)にも足を運んでいるし、イタリアルネッサンス絵画についてはカルチャースクールの講座に通ったこともある。嗜好としてはこの小説の主人公の織絵さんのように一枚の画に見入って自分の感性を羽ばたかせるというよりは、好奇心の対象といったところだ。織絵さんは充分以上の絵画に関する知識を背景に、人生や自分を溶け込ませるように絵画に魅了されている。一枚の画の世界に入り込んでいく。
織絵さんはソルボンヌの院卒という美術界におけるエリートでありながら、途中人生が険しくなり、物語の冒頭では高校生の娘をもつ未婚の母で、岡山県にある大原美術館の監視員の職に就いている。43歳で今の私と同い年だ。大原美術館は、私は知らなかったのだが、エル・グレコの「受胎告知」とかピカソの「鳥籠」などの「世界的お宝」を所有しているそうだ。モノクロでもいいのでこの小説で引用される画を本に載せて欲しかった。画を文章で表現するというのは、いくら巧い文章でも絵を知らない人間に言葉は響かない。小説のキモになるルソーの「夢」については表紙にカラーで載っている。
私も当然20代前半のニューヨーク滞在中にMOMAに数回足を運んでおり、ルソーの「夢」の本物も見ているはずなのだが、覚えていない。ピカソの「アヴィニヨンの娘たち」だけは見たのをはっきり覚えているが、
「あ、この画知ってる。こんなに大きかったのか」
程度のことだった。私と絵画の対話なんてそんなもんなんだなあ、となんだか残念な気持ちになった。「眠れるジプシー女」(ルソー)のほうはなんとな~く覚えているけれど。
「この作品(ルソーの「夢」)を生まれて初めて見た瞬間の驚きと興奮を、ティムはいまもありありと思い出すことができた。(中略)一目見た瞬間に、電流が体じゅうを駆け抜けて、動けなくなってしまった。まるで魔法にかかったように、少年ティムは作品をみつめた。ただひたすら、空っぽになって」
MOMAに限らず、メトロポリタン、ルーブル、オルセー、ウフィッツイ、バチカン、テート、ナショナルギャラリーなど「世界のお宝美術館」に訪れているが(美術館によっては複数回)、多少圧倒されたり、魅了されたことはあっても、このティム少年のような体験をしたことは一度もない。絵画に魅了されるっていうのは、こういうことなんだろうなあ、と思った。これほどではないにしてもやや近い体験なら、ヴァチカンのサン・ピエトロ大聖堂の内部に入ったときとか、タージ・マハルを目前にみたときかなあ。この二つの体験では別格だった。私は画より建築物なのか。大きいしね。「中に入り込んでいく身を委ねる」というなら、音楽がそうだ。私を始め多くのひとに音楽については起こることが、画について起こるのがこの織絵さんやティムなんだろうか。画に限定するなら、ローマにある数々のカラヴァッジョの絵が、私には次々に襲いかかる「天才」の迫力だった。決して心安らぐたぐいの画ではないが。この本を読んでいると、そういった絵画芸術に関する、私の過去の感動も呼び覚まされてくる。
ここでツウぶってこんなこと書くのはナンですが、ウフィッツィ美術館のレオナルド・ダ・ヴィンチの作とされる「受胎告知」。あれは一部で言われている通り、レオナルドの作品じゃないと思いますよ。誰が見たってタッチが違う。同じ美術館にあるレオナルドの師匠ヴェロッキオの「キリストの洗礼」の天使のひとりはレオナルドの筆によるものとされている。これはヴァザーリ(この本にも名前が出る当時の美術史家)の記述に、レオナルドの筆によると明記されているし、タッチもまさに他のレオナルドの作品と一緒。それとあの受胎告知のマリアとガブリエルの顔と比べてみたら、素人目に見ても同一人物の手によるものではない。みなさんも機会があったら自分で判断してみてほしい。本物をみなくても、それなりの大きさのきちんとした写真ならすぐわかる。ヴェロッキオの「キリストの洗礼」にいる天使のひとりと、ルーブルの「岩窟の聖母」、あたしの好きな「白テンを抱く貴婦人」、そして「モナ・リザ」は同一作家の絵として全部つながるが、「受胎告知」は全然つながらない。
「天下の天才の絵です」って世界的権威の「お墨付き」がありながら、けっこう真贋怪しい画ってたくさん世の中ありそうだ。ナショナルギャラリーの「岩窟の聖母」はやっぱりレオナルドの筆じゃないだろう。ルーブルのほうだけがそうだと思う。現状はナショナルギャラリーの「努力の成果」としか思えない。
「ということは、あなたにもそういうご経験が? 真贋がはっきりしない作品の証明書に『真作である』とサインなさったことがあるのでしょうか。仲介人からの報酬に目がくらんで」
ナショナルギャラリーの「岩窟の聖母」もウフィッツィの「受胎告知」も最初はレオナルドの作品とされてなかったのに、「その後の研究の結果」レオナルド作になった。この本にも触れられているとおり、美術界も山っ気たっぷりの世界だ。どの美術館だってレオナルドやラファエロの絵が喉から手が出るほど欲しい。「ゴミ」が「超ど級のお宝」になりうるのだ。ネットで読んだ一介の専業主婦の聞きかじり知識を真に受けるのはなあ、と思われるかもしれないが、機会があったらこれらの絵を自分の目で確認してほしい。
ダ・ヴィンチという呼び方が日本では一般的だが、これも日本だけではないだろうか。「ヴィンチ村のレオナルド」という意味で、苗字ではない。「ダ・ヴィンチ・コード」なんて本があるが、あれが欧米のスタンダードではないと思う。ああいうタイトルつけるだけでも、あの本が「なんちゃって本」である証明だと思う。それなりには面白いけど。
(新潮文庫 670円)
★この小説に出てくる絵画をまとめたサイトを見つけました→コチラ(外部)
★この小説にも名前が出てくるガートルード・スタインをキャシー・ベイツが演じている映画、「ミッドナイト・イン・パリ」(W・アレン監督作品)はコチラ。
この小説の主人公のティムも織絵も「あの時代に生きていたら」と思っている節があり、この映画の主人公とかぶっています。ウディ・アレンもそうなのかなあ? この小説に出てくる「夜会」のシーンはないけれど、パーティーのシーンは多いので、参考になるかもしれません。映画で描かれているパーティーの様子は、この小説にある文章の通りです。
「世紀末到来の華やいだ空気と、若く、無鉄砲で、才気溢れる芸術家たちの刹那的な交歓に満ちている」。