去年ドラマ「半沢直樹」の原作者として名を馳せた著者の直木賞受賞作。
私は独身OL時代は事務職で、経営の中枢のことなんて知らない。ただ小さな会社だったのである程度肌で感じるところは大企業の事務職より多かったと思う。夫は高卒で就職してから転籍、転職はあったが、ずっといわゆる大企業で働いていて、中小企業勤めの人間とは常識が違うのを結婚以来ビシビシと感じさせられている。よく学生の就職活動時に、
「ブランドに惑わされるな、中小企業でもいい企業はたくさんある」
などと言うが、きれいごとだ。学生にはできるだけ大企業を目指したほうがいい、騙されるな、といいたい。大企業に入ればオールオッケーということはもちろんないが、概していえば、大企業にみなが入りたがるのは、それ相応の見返り、実利があるからだ。女性が高級ブランドのバッグを持ちたがるのとはわけが違う(もちろん共通点はあるが)。年に二回報道される一部上場企業の平均ボーナスを見れば一目瞭然。あんなの小企業からすれば「冗談みたい」だ。退職金の有無から福利厚生、諸手当から、ぜんぜん「常識」が違う。経営が悪化したときもまるで違う。大企業が傾いたりすれば国が助けてくれる。大企業だと一部門が傾いても他の部署に配置換えになり、いきなり職安通いにはならないことが多い。大企業で給与の激減等、その他不祥事が出現すればニュースになり、すぐ株価に影響を与える。そういうことに大企業は敏感だ。世間からの監視があり、何かあればすぐさま回答を求められてしまうのが大企業だ。小さい会社なら、経営が悪化すればボーナスは出なくて当たり前、ちょっぴり出たらありがたいと思え、の世界だ。
と、「中小企業」でひとくくりにしてしまったが、この小説の舞台、「佃製作所」は社員200人の「中企業」だ。私は社員50人以下の小企業でしか働いたことがなく、周囲にいわゆる一部上場の大企業に勤めている知り合いは多いが、この「中企業」に勤めているひとを知らない。もしかしたらいるのかもしれないが、「小企業」と区別がついてないのかもしれない。でもよく考えてみたら、社員30人と200人の企業は社風、組織体制を考えるときひとくくりにできない気がする。社員30人なら誰か会社を休めば社員全員が知るが、200人ともなればそれもないだろう。30人の社長はワンマンになるのも200人よりは簡単そうだ。
佃製作所は「業績が悪ければ、賞与は簡単に削られる」と社員に印象づけてしまった、とあったが、これは大企業にも共通する感覚だと思った。繰り返しになるが、小企業の場合、業績が悪ければ、ボーナスは出ない、もしくはほとんど「金一封」。それで「ありがたいと思え」だ。大企業だって賞与は簡単に削られる。でも業績が悪くても「それなりに出る」。小企業は余程のことが起こらない限り、ニュースにならないし、世論に叩かれることもない。大企業での「常識」しか知らないひとからしたら、「ありえない」冷遇が普通なのが小企業だ。これが日本のリアルだ。地方の同族会社ともなれば、会社は会社のものではなく一族のもの。私物化甚だしく、会社は公器という考えはまるでなし。それが悪いこととも思ってない。自分たちは給与の形で利潤を得なくても、会社を使っていろいろな「トク」をしており、社員は「生かさず殺さず」で、「生活させてやっている」と思っている。だからこの小説にある佃製作所、佃社長はほぼ「絵空事」だ。
佃製作所みたいな小企業、同族企業だってもしかしたらあるのかもしれない。でも小企業の場合、経営側はかなり「勝手」ができるということであり、経営側のモラル基準のふり幅が相当大きいのは間違いない。また従業員を考えた高いモラルを経営側を長期に渡って維持するというのもなかなか難しい。「良心経営」があったところで、ボンクラ息子なんかに代替わりして劣悪化なんてパターンは、掃いて捨てるほどある。
「会社は小さくても一流の技術があり、それを支える人間たちの情熱がある。あの工場に漂う香気は、たとえば財前の父の会社には決してないものであった。いや、機械化されマニュアル化した帝国重工の工場にさえ、いまやあるかどうか疑わしい」
このように描写される佃製作所のような中小企業、というか企業は今の日本にはおそらく少数派と思われる。「ブラック企業」とはいわないまでも、従業員全員が「非人間的」抑圧されて希望を見出せない職場なんて、いくらでもある。佃製作所みたいに、とりあえずは言いたいことが言える会社環境なんて、そうあるもんじゃないと思う。社長が余ったお金を社員に回さないで「自分のやりたい仕事」に使おうと、会社は社長のものなんだから文句を言えないのが「普通の小企業」の私のイメージだ。そこで文句を言えば(言うだけで)、あっという間に会社にいられなくなるのが「小企業」。この佃社長は将来性を見込んで、リスクを認識しながらも可能性に賭けたわけだが、そんなんじゃなくて「儲かったから会社のお金でベンツのSクラスを買う」がよくある小企業の社長だと思う。
「お金なんて関係ない。やりたいことができればいい」と若い人はいうかもしれないが、10年、20年経ってその「給与」「福利厚生」「諸手当」の違いが生む差は、悲しいかな埋めがたい。「取り返しようのない生活レベルの差」になるのだ。その差を内面的充足で埋められていれば問題ないが、そうならないことのほうが多い。人間的に信用・尊敬できない上司のもとで働くのは、いくら好きな仕事でも苦しくなるし、逆にそこまで思い入れのない仕事でも、上司が信頼を寄せられる人なら頑張れるのが普通だと思う。中小ならやりたいことができる、も相当マユツバだ。大企業のほうが資金力、設備投資力、コネクションなどの条件が有利で、容易な場合も多い。そもそも「若いひと」、特に「文系大学生」の多くは世の中に出て「やりたいこと」を見出すのが普通だ。突出した才能があったり、「やりたいこと」が極めて明確で具体な場合など、大企業よりむしろ小企業でこそ花開くひとも確かにいると思う。でもそれはごく一部と考えたほうがいい。よろず「なんとなく」の「凡才」は結局「寄らば大樹の影」が正解だと思わざるを得ないのが現実だ。あなたが平均的秀才=凡人なら、大企業で最も美味しい思いができと思うよ、と言いたい。先々の日本についてはわからないが、「ブランド志向は止めよう」と言われていた私の大学時代から、今に至るまでこの現実は変わっていない。
私自身がいわゆる「大企業」で働いたことがないので、小企業の虐げられた面ばかりが目につく。夫も言ってるし、この小説にも複数出てくるが、大企業なりのダークなしがらみ、内部抗争、息苦しさもたんまりあるようなのだが、それでも大企業に大卒以来ずっと働いている友人夫婦らをみても常識は違う。「会社がしてくれて当たり前」の前提が歴然と違う。大企業組も立派にコキ使われているが、その分のバックは小企業とまるで違うのだ。
なんだか「文系大卒」の「会社人生における敗北者の見解」になってしまった。まあ、この私見がもちろん現実すべてではないだろうが、意見のひとつとして参考になればと思う。中企業というのは、概して大手と小企業、両方の要素が混在する、もっともふり幅の大きい規模なのだろうか? とにかくこの佃社長が良心的で、こんな社長のいる会社、全体の何割なんだろうな、と疑問だ。
それにしてもこの小説に出てくる悪徳大企業「ナカシマ工業」のモデルってどの企業なんですかね? 絶対あると思うんだけど。韓国の某有名企業がこういったことをしているのは有名だが。国内でもあるんだろうか。訴訟で中小企業を苛めて利潤を吸い取る厚顔無恥、悪辣大企業。ナカシマ側が妙に陳腐な「悪徳代官」と「越後屋」みたいに描かれているけど、実際ありそうなこういう大企業、中のひとは覚めてる気がする。もちろんこういう「お主も悪よのう」「お代官様にはかないません」みたいなキャラも実在するんだろうけど。さすがに銀行員の言動はリアルだった。よく知らないけど、実際言うことやることあんな感じだろうな、と思えた。売れ始めた村上春樹に、「村上春樹はもう売れない、と某評論家が言っていた」と住宅ローンを断った銀行のエピソードを思い出した。村上春樹ももちろん預貯金を全部その銀行から引き上げたらしい。当然だ。
で、この小説はどうなのか。作者の池井戸さん、おそらく話を考えたり構成を練ったりものを調べたりするのは好きなんだろうけど、文章を書くこと自体はあまり好きではないんだと思う。プロの書き手には必須とも思われる「行間の香気」みたいなものが全然ない。ヘタとまではいわないが、上手には程遠い。かちこちにしゃっちこばって、こなれていない。「自分の文章」に至っていない。その点については「これで直木賞?」と思う。個人的には、文字しかない「本」は、文章そのものを味わい楽しみたい。
そうはいっても、多くのひとに開かれ、サクサク読める立派なエンタテイメント小説だと思う。現役で働いている世代はもちろん、下は高校生・大学生ぐらいから、上はリタイアして時間の経った年配の方まで、老若男女に自信をもって薦められる。このブログで紹介した小説のなかでこう書けるの、この作品だけではないだろうか。ただ繰り返しになるが、青少年はこういう社長が「普通」だと思わないように。彼以外の会社員キャラクターは社内外を問わず、それぞれあるタイプをキッチリ表現していて、いずれもリアルだけど。
(小学館文庫720円)