村上春樹氏の小説については気取っててもったいぶってて気持ち悪くすらある、と思っているが(たぶんこの辺が村上小説のそもそもの醍醐味なのかもしれないけど)、エッセイは大好きだ。「村上朝日堂」のほうが好きだが、イラスト担当の安西水丸氏が亡くなってしまったのでもう続きはないだろう。朝日堂のほうが村上氏がいい感じにふざけていて笑いの要素が多かった。
 雑誌「アンアン」に連載されたものをまとめたものがこの本。すごいことが書いてあるわけではないが、さらりと気持ちよく読める。ほんと、ジャンルはなんでもいいけど、気持ちよく読み切れる本ってめったにない。
 以下気になった点、思い出したことを箇条書きにします。

1)「アンアン」の読者は若い女性で、自分はおっさん。両者に共通する話題なんてない、と腹をくくってしまえば逆に好きなことが書ける、とまえがきにあるが、今のアンアンの読者の中心層は何歳くらいなんだろう? 私が20代の頃はそれこそ20代がアンアンを読んでいたと思うが、今の20代なんて雑誌みないだろうしなあ。私は20代の頃、淀川さんの映画評を読むために毎号立ち読みしていた(スミマセン)。私が大学の頃のアンアンは広告も多くてかなり重かったが、今は薄くて軽くてびっくりする。それをいうならバイト情報誌のフロムエー。今雑誌自体ないんだっけ? 私が大学三年のときにバブルが崩壊したのだが、重くて厚かったフロムエーが、短期間で急激に薄くなったのがとても印象的だった。あれから無くなった雑誌はたくさんある。私の大学時代は出版社といえばマスコミ、花形だったが、今は学生からみて魅力ある業界ではないだろうな。
2)「こういうのがあれば世の中はもう少し便利になるのにな」と考えているものの中に、「小音量のクラクション」とあった。これはまさしく日々私も思っていたことだ。夫は自他ともに認める「スマートドライバー」(運転中における情報収集能力が高く判断が適切で迅速)で、悪意があるというよりは気が利かない運転に大変厳しい。私は気が利かないを通り越して危ない運転手ととなり、車は二度もこすって保険料が跳ね上がり、次はひとだな、と思い運転するのを止めた。もう二年は運転していない。40歳過ぎて結婚してから大枚はたいた上に二回も卒検落ちて苦労して取った免許なのに。最初の免許更新はばっちり違反者講習だった。警察に捕まったことも二回ある。一時不停止と車線変更禁止区域での車線変更だ。最初のは張り込み状態だった県警に捕まえられ、あとのはたまたまそばを走っていたパトカーに呼び止められた。どちらもすごーく気落ちした。車線変更のほうは意図的でないだけに恐ろしい。一時不停止のほうは「徐行して安全確認していたのはこちらも確認しましたが、結局停止していない」だ。今では大金はたいてひとを轢かずに済んだと思うことにしている。こんな私なので、ノンスマートドライバーの気持ちはよくわかる。
 話がそれた。とにかく夫は他人の運転に厳しいので、ちょっとした警告、告知の意味でたまにクラクションを鳴らそうとするのだけれど、うちの車はかなり力を入れて押さないと音が出ない。たいてい「スカし」で終わってしまう。テレビでクラクションは強く押そうが弱く押そうが音の大きさは変わらない、とやっていた。というわけで「もう青ですよ、行ってください」と前の車に知らせるために、「ぷっ」と短く鳴るクラクションボタンがあればいいなあ、とずっと前から助手席に座って夫に言っていた。「あぶねえぞ、コラ!」と強く叱るためには今のクラクションでいいと思うが。
 ボルボにカップホルダーがなくてアメリカで売れなかった、ともあった。うちのはプジョーで、日本向けにとりあえずつけた感丸出しのカップホルダーがあるのだが、350mlの缶なんかは入らないし、紙コップとか入るものを入れるとカーナビに重なって画面を遮っている。
3)トライアスロンについて。私自身はやったこともないしやる気もないが、友人の夫で銀行員の男性がこれを趣味にしている。友人の話では、トライアスロンのために自ら健康に気を使ってくれるのは助かるが、レースは泊りがけで参加費もゴルフより高かったりするし、家に突然高価なバイクが届いたりと、それなりにお金はかかるとブツブツ言っていた。この旦那様は結婚当時が一番太っていたが、トライアスロンを趣味にしたりでどんどん痩せて(締まって)いき、「嫁が食べさせてないのではと思われるのが心配だ」と贅沢な愚痴をごこぼしていた。
4)ムンクの「叫び」。これも最近夫に言ったことだが、世界に名だたる名画は数多くあれど、これだけ汎用力が高いというか、インパクトが強いというか、あっちゃこっちゃで引用されているモチーフという点では「叫び」が世界一だと思う。モナリザより上だろう。マンガとかにも「ひえ~」みたいな描写でよく使われているし。そう話す私に夫は「こいつは突然また何を」という感じでまったく興味がなさそうだった。夫しか話し相手がいないのでこうなる。だから夫に「自分の興味があることは他人も興味があると思わないほうがいい」とか言われるんだろう。これは以前書いたが、すごくムカついた。これまでこちらはさんざんそちらの興味につきあってやったのにその言いぐさ。もうてめーの興味にはつきあわねー。
 しかし村上氏が叫びについて似たようなことを書いていて、やはり、と思った。村上氏のエッセイは10代の頃から読んでいるが「それあたしも最近思ってた!」ということがあったのは初めてだ。しかも一冊に二つも。
5)残酷な殺人の描写について書いてあった。もちろん読んでいない。あたしはこういうのが本当にダメで、子供の頃から映像も文字表現も絶対拒否。というわけで陪審員に選ばれても絶対やらない。陪審員制度を認めたことも一度もない。そういうことはプロに任せるべきだ。もし選ばれたら、PMSを理由に断る。四週のうち一週はほぼ家で寝たり起きたりなので、嘘ではない。お金を払えば断れるなら金額にもよるが数万程度なら払う。裁判自体イヤだし、特に残酷な殺人の描写や写真、子供を虐待する親や大人の話、不遇だった過去についての説明なんて重いもの、絶対に聞いていられないし、見られない。そういうことが私には拷問なのだ。拷問って禁じられてるでしょ?おまけにあたしが悪いことしたわけでもないのに。あたしのメンタルが病む。無断欠席しているひとが多いとニュースになっているが、当たり前だろう、と思う。仕事しているひとだって、裁判のために会社休めないよ。例えば小さなお店のコックさんとかどうするの? 裁判は裁判が仕事のひとに一任すればいい。陪審員はいても構わないので希望者で抽選にして、日当を払えばいい。この本の別のページで村上氏は陪審員制度を肯定していたが、あたしのメンタルに害のない絶対の保証がある裁判限定ならやってもいい。
 ただこんなことを書くと裁判所に引っ張り出されそうでイヤだが、私は取り出された心臓の写真を見たことがある。友人が心臓弁の手術を行い、術後お見舞いに行ったところ自ら進んで見せてくれた。普段特にバイオレンスに私ほどの過剰反応をしないほかの友人が慄いていたが、私は「アレ、心臓って思ったより小さいなあ」と思っただけだった。やはり私は切り刻まれた人体より、そこから想起される人生や人間の狂気、残虐性、無慈悲、暴力が恐ろしいのだと思う。だから描写もダメだ。
6)村上氏は猫好きで、昔から猫ネタは多い。猫の死にも多く接したようだが、動物病院に行ったとか猫の闘病の話は読んだことがない。猫を飼っていたら(しかも何匹も)逃げられなことのような気もするが。
『僕はちょうど二十歳前後で、つきあっていた女の子とうまくいかなくなったり、学校も面白くなかったり、けっこうきついことが多かったんだけど、それでも午後の日だまりに猫と二人で座り、静かに目を閉じていると、時間はそれなりに優しく親密に過ぎていった』
 この感覚はすごくよくわかる。

(新潮文庫 520円)