1978年の作品についてです。2022年のケネス・ブラナー版についてではありません。


 アガサ・クリスティの映像化ではこれが一番面白いと思う。すべての映像作品を見たわけではないものの、それなりの量を見て、これを超える作品に出合っていない。「オリエント急行」よりこっち。いわゆるオールスターキャストものだ。原作は大昔に読んだのではっきり覚えていないが、エラい長いわりに大して面白くなかった印象がある。それをエジプトという映像の舞台としてはうってつけの土地を背景に、大人が気軽に楽しめるエンタテイメントに仕上げた。推理ものとか探偵ものがみたいひとには、まずお薦めしたい。クリスティ作品のこういうトリックは映像でみたほうがわかりやすいし楽しめる。この映画のトリックも他の探偵もの同様、千載一遇のチャンスをついたといってよく、計画犯罪としては不十分なんだけど、そんなこと気にしてたらこのテのジャンルは楽しめないぜ。1978年イギリス制作。監督は「タワーリング・インフェルノ」のジョン・ギラーミン。
 この映画は私にとって思い出の映画だ。小学校高学年のころ、この映画をテレビでみて(つまり吹替えのカット版)、すっかり魅了されてしまった。なんて面白いのか、と。映画他エンタテイメント全般について経験の浅い小学生なので、その衝撃は特に深かった。それまでにみたことのある推理もののドラマとは比べ物にならない。ビデオに撮って何度も、それこそ全部台詞を覚えるほど見た。子供の頃ってすごい。勢い余って推理小説家を志したが、ひとつもトリックを思いつかないうちに夢破れた。
 その映画がBSプレミアムで放送されるというので45歳になって見てみた。ノーカット字幕版を見たのはおそらく初めてではないだろうか。やっぱりよくできている。ただ断片的に覚えている吹替え版の台詞のほうがはるかに気が利いて洒落ていた。この字幕版よりずっと面白い。子供の頃覚えたものって、意外と覚えてるもんだ。この字幕は間違っているとかじゃなくて、下手。吹替え版のほうをお薦めしたい。って、今のDVDも当時のやつなのかな? 声優陣も達者なひと揃いだった。今でも各声優さんの声、言い回しがはっきり思い出せる。
 さらなる思い出話の披露で恐縮だが、私は大学三年の春休み前(四年生になる寸前)、バイト代が溜まって20万以上あった。私はそれまで自分のお金を20万ももったことがなく、これで春休みは左うちわだ、とホクホクしていたら、友人からヨーロッパの都市をめぐるパック旅行に誘われた。海外旅行自体行ったことがなかったので魅力的なお誘いだったが、ようやく溜まった20万は一気に無くなってしまう。どうしたものかと迷ったが、ツアーのなかにエジプト(カイロ)が含まれていたので行くことにした。この映画のロケ地をこの目で見るために、カイロだけオプショナルツアーもつけた。この映画で石が落ちてくるカルナック神殿やアブシンベル神殿に行った。
 とりあえずこの映画がどれだけスターぞろいか列挙してみたい。本当に名優、有名俳優ぞろいだ。探偵ポワロのピーター・ユスチノフは名優だが、このポワロ役が最も有名か。ミア・ファローは元祖「華麗なるギャツビー」やウディ・アレンの作品でお馴染み。高級バッグで有名なジェーン・バーキンは女優であり世界のファッションアイコン。ゼッフィレリの名作「ロミオとジュリエット」のオリビア・ハッセー。布施明の元嫁だ。ベディ・デイヴィスはなんといっても映画史の傑作に数えられる「イヴの総て」。アンジェラ・ランズベリーはミス・マープル役でお馴染み。デヴィット・ニーヴンは「アラビアのロレンス」。マギー・スミスは今はハリーポッターシリーズや「天使にラブソングを」あたりが一番通りがいい気がするが、「眺めのいい部屋」他名作への出演も多い。未婚のハイミス役が多いが、掛け値なしの名女優だ。音楽は「ゴッド・ファーザー」でおなじみのニーノ・ロータ。
 日本の二時間ドラマもチラチラみるが、だいたい話が湿っぽいのが本当に嫌だ。過去の事件の被害者が報復するみたいな話。悲しい母子の過去が20年越しでうんたらみたいなの。浅見光彦ものが飛鳥Ⅱを舞台にするというので楽しみにみたが、過去のレイプ事件だか自殺事件だかが結局絡んでくる辛気臭い話でうんざりした。せっかくの豪華客船でこの始末。「謎解きはディナーのあとで」の映画版も豪華客船でのしみったれた犯罪だった。うんざりだ、かわいそうな話。「トリック」ですらこの傾向が強い。やっぱりゴージャスに愛人とか財産とかがからんできて、容疑者も被害者も基本金持ち。ドライでしゃれた世界。つまり定型としてコロンボは理想だと思う。古畑とかよかったよ。横溝は独特の世界観で、あれはいい。日本の探偵ものドラマ、マジなんとかしてくれ。「赤い霊柩車シリーズ」も「浅見光彦シリーズ」も設定はいいのに、中身の事件が基本的に辛気臭くてがっかりさせられる。少し前に放送された谷原章介と松下奈緒主演の「探偵倶楽部」という二時間ドラマがあったのだが、これがいわゆる”かわいそうな話”でなくて、とてもよかった。犯人が終盤、高級ホテルでバスローブ着てワイングラスを傾けちゃって、もうこういう画に「ブラボー!!」ってなもんだ。
 他のクリスティ作品では、テレビドラマの「検察側の証人」(デボラ・カー、ボー・ブリッジズ出演)がお薦めだ。ワイルダーの「情婦」よりこっち。

★今週のボヤき★
 「悩みがないのが悩み」という言い回しがあるが、あれってどうなんだろう。悩んでいる人や人生に闘っているひとを嘲笑しているかのようなバカ面が浮かぶ。「悩みがないのが悩み」というのは、「今現在具体的な悩みはないが、実は悩むべきことを看過しており、知らずのうちに人生において大きな過ちを犯しているのではないかと不安だ」というならあてはまると思うが。そうでないなら「悩みはない」で終了のはずだ。