結婚して埼玉県川越市から神奈川県横浜市に転居した。別に大した変化じゃない、むしろ近所みたいなものじゃないか、と思う方もいるかもしれないが、実際はそうでもない。
 まず川越から東京を越えて横浜のさらに奥に電車で移動するというのは、片道一時間半以上かかる。鈍行だったりする在来線を最低二回乗り換えて一時間半電車に揺られるというのは、新幹線で名古屋に行くより遠く感じるし、疲れる。そして私の実家は、地方都市としては例外的といっていいレベルで商業的に栄えた川越の駅前にある一軒家。それが横浜を通り越した駅からさらにバスに乗り、坂を登り続けてようやく到着するマンションに引っ越すことに。この違いはかなり大きい。
 私は今まで川崎市(神奈川県)、国分寺市(東京都)、和光市(埼玉県)と住んだことがあるが、全部駅から歩きと自転車で行ける距離に家があり、一番長く住んだ川越では平地徒歩3分以内に駅、10分圏内に商業施設、病院、市役所、銀行、郵便局等がほぼフルセット揃っていた。家に来る友人には、
「こんなところに家があるんだ!」とよく驚かれた。
 そんな私の人生にバスという「無駄」が入り込むとは。よほどの田舎の家に嫁いだなら覚悟もするが、「住みたい土地、全国ナンバーワン」の横浜でこの有様。横浜は広い。そもそも横浜市には「~台」とつく地名が多く、うちもそのひとつだ。三つの駅が最寄り駅となるが、三つもあるということは、どれからも少しずつ遠いということで、しかも三つ全部から坂を上り続けるという立地にある。10分以上登りっぱなし。婚前、私は自然は好きだが体力と根性がなくて、登山が苦手だった。そこで登山は嫌いだがハイキングには誘ってほしいと友人に言うと、線引きがわからない、と言われ、
「じゃあ一度に10分以上登り続けたら登山」と答えていた。
 もはや買い物等で少しでも荷物が多くなれば、いや、そうでなくても、帰りは基本バス。行きすら雨が降ったりしたらバス。その度に210円。お金がもったいない。社宅である等の理由があるならともかく、この立地を買ったんである、夫は(前の嫁と)。どういう選択なんだ。確かに眺めや空気はいいし、閑静ではあるけれど。実家は駅に近い分、夜でも時として騒がしく、二階建ての一階は日当たりが悪かった。でもそういった環境にもある程度慣れてしまっていたので、欲しい本があれば中型書店を3軒は気軽に歩いて探しにいける川越が、私はとても気に入っていた。思い立ったら三分でロフトなんて、都内に住んでる友達にも誰もいない。コンビニは走れば30秒、いや20秒に二軒もある。ここ横浜の山奥は最寄のコンビニでも坂をズルズル下って10分弱。一大決意がないとコンビニにも行けない。もちろん41歳のおばはんが走っていく距離ではない。川越は都内に行くのには早くて30分ほどかかるけれど、特急も急行も止まるし、なによりうちは駅から近い。このマンションだと、駅に行くのにまず決意、その上歩いて一番近い駅は鈍行しか止まらない。そして最も近い都内まで乗り換えて一時間弱。なんでこんなところに安くもないマンションを買う気になったんだろう。謎は深まるばかり。
 婚前私は「ジムに住んでいる」がキャッチフレーズだった。プロポーズされたときも「ジムに通わせてくれる?」と条件を出したほどだった。実家からジムは歩いて五分。それでも自転車に大荷物を積んで、帰りは髪を乾かすのが面倒なので濡れたまま帰宅していた。それが今じゃ重い荷物を背負ってジムに片道徒歩30分。帰りはバス。濡れた頭のおばはんがバスに乗って帰るわけにもいかず、乾かすのが面倒なのでロングヘアもショートに。自転車を使えないところにマンションを買うというのはどういう了見なんだ。川越時代は電動自転車なんて、なんの意味があるのか、よほど足腰の弱ったバア様用だな、と思っていたのが、この横浜の山岳地帯では年齢に関係なく有用である。横浜山岳地帯。ここで育つ子供たちの足腰が強くなりそうなことぐらいが利点か。実家は一軒家だったが、こちらはマンション。新参者にはつかみどころのない近所づきあい(そんなものがあるマンション)の中、外出はもちろん、新聞・郵便物を取りに行くのもひとつしかないマンションの玄関まで出て行かねばならず。
(マンション暮らしってホントにイヤ、実家ではパジャマで顔も洗わない姿で新聞が取れたのに)
 実家のジムのヨガプログラムは充実していたが、なぜかこの山岳地帯ではユルいヨガばかり。ヨガした気がしねえよ、ぐちぐち、ぐちぐち、と繰り返していたら、最初は聞き流していた夫も、
「そんなことばっかり言ってると、旦那様に嫌われるからね!」
 とやがてキレ始めた。
 というわけで、こんな私が新しい生活のために取得しなければならないと思った資格、それは運転免許であった。川越も少し奥に入ればバス、車が当たり前の住宅区域が広がる。むしろそちらのほうが大部分だ。でも基本平らだから、自転車はここと違って限りなく有効だけど。夫は信州出身で、車ありきで眺めのいい生活というのが「選択されるべき生活の当たり前」らしい。このマンションはそもそも夫が最初の嫁さんと住んでいた社宅のごく近所だった。川越の実家には車自体がなかったが、私はそれを不満に思うことはなかった。父は免許を持っていたが、私が生まれてすぐ車を手放し、以後持つことがなかった。未練はあるようで、家を建てたときも駐車スペースは確保したし(高度な駐車テクニックが必要)、リタイア後はどの車を買うか検討までしていた。しかし家族の「止めてくれ、必要ない、お金ない、あなたは事故る」の声に押されて諦めていた。私も「車があったらなあ」と思うことは雨の日の遠出とか、年に一度あるかないかで、そんなのタクシーに乗ったほうがよほど安い。運転しなければ加害者になる可能性もなく、自転車を乗り回し、今振り返ると危険騎乗の常習犯。母とテレビで田舎暮らし番組をみるにつけ、
「いいところだけど、うちら免許ないからダメだね。運転絶対向かないもん、お母さんも私も」
 と繰り返していた。
 その私が、齢四十にして、教習所に通うことにした。もはや車はあるので、夫がいない平日は宝の持ち腐れ。免許を取って、これでジムやスーパーに行ったりするのだ。教習所に通う決意をした私は、マンションの狭い駐車場にきっちりハマっているマイカーを見つめていた。

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