NICUの先生に説明をしてもらえる日が近づいてきました

久しぶりに旦那さんとも会えます😊💗


最近は、お仕事の邪魔にならない程度に看護師さんと世間話をすることもあり、病院のことなんかもたまに教えてもらったりしています


ここの大学病院の看護師さんは数年いると違う科に異動になるようです


産科にいる看護師さんで、自然分娩を手伝う看護師さんは助産師の資格ももった助産師さんですが、帝王切開の時に医師の手伝いをされる方は助産師さんではなく、オペナースさんです


ちなみにここはMFICUの近くにNICU・GCUがあって、産後ママが赤ちゃんのところへ行きやすくなっています

NICUにいる先生は小児科の先生で、そこにいる看護師さんも産科と関係ありそうですが、助産師さんではありません


つい最近教えてもらって知りましたが、子供の専門資格を持たれる看護師さんも中にはいらっしゃるそうですが、基本普通の看護師さんらしいです


上の子の出産時は、前期破水に気づかず高熱が出てしまい、子供にも炎症反応があったので生まれてすぐにNICUへ緊急搬送されました🚑


無事に産んであげられなかったことと、出産したのに側に赤ちゃんがいないということに母になりきれてない感じがして気持ちは沈むし身体は痛むしボロボロだし、搾乳は痛いだけでなかなか量とれないし、助産師さんが絞って母乳がでるように刺激してくれるけどなんかそれもみじめで、違う病院にいるから会えないと思い込んでいて一人のときにだいぶ泣きました


毎日仕事の前や後に旦那さんが赤ちゃんに会いに行ってくれて、私が搾乳したほんの少しの冷凍した母乳を届けてくれて、そこでの様子を話してくれたり、看護師さんがミルクをあげている動画や寝ている写真等を撮ってきてみせてくれていました


4日くらいして、動けるようになったら外出届だして赤ちゃんに会いに行っていいですよと言われ一瞬心がぱぁっとしましたが、正直なところ、すぐに会いに行こうとは思えませんでした


雛鳥がはじめて見たものを親と思うというのと同じで、生まれてからお世話をしてくれている担当の若い優しい看護師さんをもうお母さんと思ってしまっていて、私がお母さんなんて分かってくれないかもと会いたいという気持ちよりも不安が勝ってしまっていて、自分で勝手に産みの母と育ての母を作り出して妄想して勝手にダメージを受けていました😅

今なら笑い話にできますが、当時は誰にも言えないくらい、わりと本気でそんな気持ちでした


赤ちゃんに会いに外出できると一緒に聞いていた旦那さんが、

よかったね!今日から一緒に行こう!めっちゃ可愛いよ!

と外出の段取りしてくれて、それぞれの病院で車椅子をかりて体に負担がかからないようにしながら、すぐに連れて行ってくれたことに今では本当に感謝です✨その日から旦那さんが用事で病院にいけない時以外、ほぼ毎日一緒に通いました🚙


NICUでは赤ちゃんの手より大きな板と一緒に手の甲にさした点滴をとれないようにテープでぐるぐる巻きに固定され、鼻から胃にミルクを送る管が入れられている状態で、新生児用の小さいオムツを折り返してもっと小さくして履かせて保育器に入っていました


寝ている姿を二人でみて、許可がある時は穴から手を入れて触ったり、看護師さんが注射器で管からミルクをあげるのをみたり、泣いた時に大学病院で手作りされた猫じゃらし型のおしゃぶりをチュパチュパしてるのをみたり、小さいけどちゃんと赤ちゃんらしく生きていました👶✨

痛々しくも見えたけど、やっぱりかわいかった✨


赤ちゃんの症状が落ち着き、保育器の中で哺乳瓶でミルクが飲めるようになり、少しずつ大きくなり、退院の目処もたって、たまたま授乳の時間に行けたとき、今日はいい時にお母さんが来てくれたから♪と、はじめての授乳ができることになりました


私ははじめてのことでどうしたらいいか抱き方もわからず戸惑っていましたが、赤ちゃんは戸惑うことなく直におっぱいを吸ってくれた時にお母さんと認めてくれた気がして、私がくるのを待っててくれてた気がして、そこではじめてお母さんになれた気がしました🥹

あたたかい気持ちとその場で泣きそうになるくらいの感動があって、でもちゃんと飲めてるかなという一生懸命さもあって、今日のことは一生忘れないだろうなと思いました

これまたこの時の気持ちは誰にも話さず、夜寝る前に日記にだけ書きました📖🖊


それからはもう息子のとりこ✨

コワレモノみたいな緊張感はずっとあったけど、退院の日が近づくに連れて安心感も増えていって、可愛くて可愛くて授乳でもミルクでもオムツ替えでも連れて帰るために必要な覚えることをたくさん実践させてもらいながら、夫婦でほぼ毎日通いました😊

2、3時間くらいあっという間に過ぎてしまって帰り道はほかほかした気持ち✨

二人でずーっとみていられました


勝手に私が作り上げた息子の育ての母


もちろんいつの間にかその時の変なジェラシーはなくなり、今は感謝しかありません✨


5年以上前のことになるから、もうNICUにはいらっしゃらないかもしれないけど、この病院のどこかでは働いていらっしゃるかもしれません


そういえば、初めての授乳も沐浴もミルクもオムツ交換も、ここの病院で教えてもらったんだった

懐かしいなぁ✨


こんなに大きくなりました、あのときはありがとうございましたってコロナ禍でなかったら会わせたかったな


赤ちゃんの時にお姉さんが元気になるまでお世話してくれたから今元気なんだよって息子にも教えてあげたかったな


初めてのお正月の時に、100日のお参りに行った写真でお礼の年賀状を送って、寒中見舞いでお返事をいただきましたが、もしまた会えたら改めてお礼だけでも伝えたいな✨


あの経験のおかげで三つ子ちゃん達がNICUに入る不安もかなりやわらげてもらえています

いろいろとありがとうございます💗


毎回妊娠から出産にかけて試練があるけど、今回のNICU期間は長そうだけど、結果、より子供達が可愛いと思える寄り道だと思って今回も乗り切れたらと思います👶👶👶


上の子が退院してからもコワレモノみたいに大事に扱って、心配で寝てるときもことあるごとに毎日生存確認して過ごしてたな😅


3人分の生存確認が日課になると心身が持たないから赤ちゃん達の生命力を信じよう✨


先生から聞く話に、特に心配なことがありませんように🙏✨