アーカイヴス その31 Rainy Night In Tokyo | やせっぽちのヒロシのブログ

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趣味は国際交流?(笑)。

この人ももう亡くなってから随分になりますね。

トニー・ジョー・ホワイト、2度目にして最後の来日公演(2007年)の模様です。

 

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4/16 Tony Joe White @クラブ・クアトロ

昨夜ライヴから帰ると、すでに前日の札幌公演をご覧になったTさんが詳細なレポートをご自身のブログにアップされていた。
とても読み応えのあるレポートで、「うん、うん、そうだよなぁ」なんて反芻していたら、その日に書くつもりだった日記を書き損なってしまい、そのまま寝てしまった。
朝出勤してからPCを立ち上げると今度はSさんが昨夜のレポートの記事をアップしている。
やはり、皆さんここぞというライヴは気合が入っているなぁ。

さて、こちらは開演30分くらい前に着くと、会場はすでに満員。シーサーズがらみの知人とお会いした後、もうちょっと前で見たいと思いフロアに下りると、偶然旧友のK氏が居て、トニー・ジョーとの28年ぶり(トムスのサイトでは26年ぶりとか、以前の来日が1980年とか書かれているが、僕の記憶では1979年だったように思う)の再会に高揚しているようだった。
そして招待席の方を指差し「ねぇ、あの人、田辺一鶴じゃないかな?」と言われ、そちらを見ると、確かにあの独特の風貌のジイちゃんが独特のオーラを放ちながら座っていた。
え!?、何でまたこの人が?と、以前小川真一さんの記事で紹介されたこの歌を知っていなければ思ったことだろう。

「トムス・キャビン、まさか本当に夢の共演をさせる気じゃ?」と、期待と不安が入り混じる。

例によって、麻田浩さんの司会でスタートする。
前回の来日公演のエピソードを交え、オールド・ファンの記憶をくすぐっていた。
そして万雷の拍手の中、ギターを持ってトニー・ジョーが登場。長身でカウボーイ・ハットにサングラスを身につけ、そのたたずまいだけで絵になる。カッコイイ。
まずはひとりで数曲弾き語り。彼が影響を受けたというLightnin HopkinsやJohn Lee Hookerを想わせる、アクの強い歌と演奏に早くもワクワク。
そしてドラマー(前回の来日にも同行した人らしい)が加わり、ここからは怒涛のスワンプ・ロック大会となる。
ベース無しと聞いたときは不安に思ったが、トニー・ジョーの弾くギターはベース・ラインもしっかりカヴァーされていたので、全く違和感なし。時折入るハーモニカもいいアクセントになっていた。
Sさんも書かれているように、ワンパターンではあってもそれが自分のスタイルとして確立されているから、例えばJ.J.ケイルなんかもそうだけど、深みがあって、全く飽きがこないものだった。
時折歪むギターの音を聞いていると、何年か前に話題になったFat Possumレーベルの一連の人たちをも想い起こさせたけれど、やはりルーツに共通したものがあるからかな?
そしてもうひとつ思い出したのが、初期のC.C.R.
最近DIG誌に載ったインタヴューによると、彼とC.C.R.はよく一緒にツアーをしたことがあり、John Fogertyに「サンフランシスコにはアリゲーターはいないだろう?」なんてよくからかっていたとか(笑)。

それにしても、今まで色々なライヴを見てきたけれど、彼ほどswampという言葉が似合う音楽をやる人はいないと改めて思った。
だって、聴いている間、本当に湿地帯のジメジメした光景が浮かんでくるんだもの。
そして気がつけば、その泥沼にハマって引きずりこまれていくような、底なしの体感。
その一方で、誰もがそのイントロを聴いただけで拍手をした「Rainy Night In Georgia」では、かなり崩してはいたけれど、哀愁たっぷりで、名曲の持つ芳香に浸ることができた。
勿論エルヴィスの大ヒット曲でもある「Pork Salad Annie」は観衆も大いに弾ける。

アンコールでは、さかんにリクエストをつのり、それに何とか応えようとする律儀な姿勢も見せた。見た目はちょっとコワイけど、実はファンを大切にする人らしく、前夜は終演後のサイン会で写真撮影にも気軽に応じるサービスぶりだったそう。
ということで、超満員のこの日は、収拾がつかなくなることを恐れてか、サイン会は無し。
事前に彼がサインしたCDを即売するのみだったのは、ちょっと残念。

帰りに、昨日もCold Bloodのライヴで一緒だったY氏と遭遇。例によってしっかりとTシャツを買っていた。
K氏とY氏とで渋谷駅へ向かうが、外は雨が降っており、3人で余韻に浸り渋谷の町の喧騒を見ながら歩いている最中、頭の中では「Rainy Night In Geogia」が鳴り響いていた。
もっとも、その歌声は、申し訳ないことに彼のものではなく、より長く親しんでいたBrook Bentonだったのだが....(笑)。

PS 残念ながらトニー・ジョーと一鶴師匠との夢の共演はありませんでした(爆)

 

2007年4月18日 記

 

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これまでライヴを観てきたミュージシャンの多くが鬼籍に入ってしまいましたが、こうして元気だった頃のパフォーマンスを思い出すと、ついつい懐かしくも切なくなってきてしまいます。