「ある男」「土を喰らう十二ヵ月」 | やせっぽちのヒロシのブログ

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芥川賞作家・平野啓一郎の同名ベストセラーを「蜜蜂と遠雷」「愚行録」の石川慶監督が映画化し、妻夫木聡、安藤サクラ、窪田正孝が共演したヒューマンミステリー。
弁護士の城戸は、かつての依頼者・里枝から、亡くなった夫・大祐の身元調査をして欲しいという奇妙な相談を受ける。里枝は離婚を経験後に子どもを連れて故郷へ帰り、やがて出会った大祐と再婚、新たに生まれた子どもと4人で幸せな家庭を築いていたが、大祐は不慮の事故で帰らぬ人となった。ところが、長年疎遠になっていた大祐の兄が、遺影に写っているのは大祐ではないと話したことから、愛したはずの夫が全くの別人だったことが判明したのだ。城戸は男の正体を追う中で様々な人物と出会い、驚くべき真実に近づいていく。
弁護士・城戸を妻夫木、依頼者・里枝を安藤、里枝の亡き夫・大祐を窪田が演じる。(以上、映画ドットコムより)

 

本当はこの日は「土を喰らう十二ヵ月」を観るつもりでしたが、家を出るのが遅れてしまい、時間に間に合いそうもなかったので、急遽こちらに変更したものですが、こちらもなんども予告編を観て気になっていたので、元々観るつもりではありました。

予告編を観た感じでは依頼者の里枝が主人公なのかと思っていましたが、その依頼を受けて調査する弁護士:城戸が主役のようで、大祐を名乗っていたX氏の正体を探る中、彼自身の中にある在日三世としての苦しみも描かれつつ、自分がそうした境遇に置かれていたことで、戸籍を交換したそれぞれの男たちの過去へと向き合い、過去を消したいと思い戸籍を交換した男たちに自身の思いを重ねたことも理解出来ますし、そこから更に込み入った事情に踏み込んで行く謎解きのような過程がなかなか見応えがあって面白かったです。ただ戦後間もない混乱期の頃ならともかく、これだけの情報管理社会でそうも簡単に戸籍の交換なんて出来るのだろうかという疑問は残りますが。

個人的には結果的に解明への糸口として重大なヒントを与えた罪人役の柄本明の過剰な表現があまりにも芝居じみていて好きにはなれなかったですが、概ね各出演者の好演が光っていたと思います。

最後のオチのような場面は賛否両論あるようですが、個人的には要らなかったかなと。まぁ、物語の結末としてはアリかもしれないとは思うものの、そこで変に洒落た終わり方を演出したことで、ちょっと現実味が薄れてしまったような気がしました。

 

沢田研二が主演を務め、作家・水上勉の料理エッセイ「土を喰う日々 わが精進十二カ月」を原案に描いた人間ドラマ。「ナビィの恋」の中江裕司が監督・脚本を手がけ、原作の豊かな世界観に着想を得てオリジナルの物語を紡ぎ出す。
長野の人里離れた山荘で1人で暮らす作家のツトム。山で採れた実やキノコ、畑で育てた野菜などを料理して、四季の移り変わりを実感しながら執筆する日々を過ごしている。そんな彼のもとには時折、担当編集者である歳の離れた恋人・真知子が東京から訪ねてくる。2人にとって、旬の食材を料理して一緒に食べるのは格別な時間だ。悠々自適な暮らしを送るツトムだったが、13年前に他界した妻の遺骨を墓に納めることができずにいた。
ツトムの恋人・真知子役に松たか子。料理研究家の土井善晴が、劇中に登場する料理の数々を手がけた。(以上、映画ドットコムより)

 

前日観損なってしまい、翌日出直して観に行った次第でしたが、これも何度か予告編で観ていた作品で、例の亡くなった志村けんの代役で出演した映画よりは沢田研二本来の持ち味が出ていましたし、風貌も歳相応に枯れているようで、ちょっとした仕草にやはりジュリーならではの色気のようなものもあり、その辺のバランス具合が絶妙でした。

タイトル通り十二ヵ月の信州の山里の自然の豊かで様々な恵みを季節ごとに収穫し、子供の頃に禅寺で修行して習得した精進料理を作り、それを一人で、時には恋人の編集者と一緒に食べるという何とも贅沢な日常。実際に画面に映る料理の数々はどれも美味しそうでした。

ひとつひとつの作業を丁寧に演じる姿にはとてもリアリティーがあり、時には雪をかき分けてほうれん草を取りだしたり、しつこく群がってくる山鳩を追い払いながら種まきをしたりといった具合で、それでも実際は天候にしても環境にしてももっと自然の厳しさのようなものはあるはずなのですが、まぁ、比較的穏やかな1年だったということでしょう(笑)。

恋人役の松たか子以外はほとんど少ない出番ながらも、亡くなった妻の母親を演じた奈良岡朋子はさすがの存在感、近年は自転車乗りの好々爺みたいになってしまった火野正平も味のある演技で、主役を盛り立てていたように思いました。

心筋梗塞で倒れてしまってからの展開には死生観を交えた現実の重みのようなものも感じさせますが、ある程度好き勝手に生きていくことにはそれなりの覚悟も必要ということでしょうかね?

それぞれのシーンで流れてくる大友良英の音楽がとても良かっただけに、エンドロールで歌手としてのジュリーの歌が流れてきたのにはちょっと違和感を覚えました。