自分が自分のままでいればそれだけで愛されることを実感した。

 

そのままで愛される。

 

そんな体験を沢山できた、2017年の始まり。

 

そのままでも言いし

なんにもしなくても周りがやってくれるし、

自分らしくマイペースでダラダラ適当に

楽しんでいれば良かったんだと気づけた。

 

なんにもせずに自分らしくマイペースで適当にいるだけで

なぜか周りは笑ってくれるしニコニコ楽しんでくれる。

 

そんな状況に笑えていなかったのは自分だけだったんだよなって感じた。

 

なにか頑張らないと一生懸命やっていい人ぶらないと

愛されないと思っていた。

なんなら嫌われると思っていた。

 

人の目を気にして、頑張って

誰かになろうとしていた、いい人みたいに見えて、

こうならなくちゃという人になろうとしていた。

 

そしてこうならなければいけないという自分に見られるために

自分と戦い人と戦い、

なんでこう見てくれないんだと心が叫び苦しくなっていた。

 

だけどあるきっかけで集まった人たちは

なにもしなくても居るだけで愛してくれた。

 

そして12月に

愛されキャラであったころに戻りたいと書いたことがあり

 

思っていたことは実現してしまった。

 

なにもしなくても

頑張らなくても

戦わなくても

 

いい

 

そのままでいい

 

そのままで愛される存在だった。

 

それを拒否していただけだった。

 

愛されていたのに愛されることを拒否していた。

 

その矛盾すごいわ!

 

自分の中にこういう矛盾がたくさんある。

その矛盾を溶かしていくことで

もっと楽になって、

ゆるくなって、

どんどん適当な人になっていけるw

 

誰も愛してくれないわけでなかった。

受取り方を間違ってしまっただけだった。

 

それが気づけたら、

愛されてるなってじんわり感じることができた。

 

これも愛されてること

あれも愛されてること

 

笑われることも嫌だったり、

なんで笑ってるのと思うこともあった。

 

けどそれは、そのままの自分を受け入れてくれて愛してくれて

居るだけで人に笑顔を与えることだったんだと感じた。たぶん。

 

矛盾とかしていかないとな

そうすれば自分らしく、頑張らず、戦わず、威張らず、

愛される存在になっていけるのかな。

生命力が下がると なにをするのも行動力が下がる気がした。 仕事などでもうまく進まず、 なんでできないんだ、ダメだな。 できないなと責めてしまう。 自分を我慢させ、しなければならないと 我慢し続け、完全に麻痺してしまった時があった。 そういう時こそ現実はどんどん悪い方向にいく。 悪い想像ばからして悪いことが本当に起こるし 想像以上の忘れられない、トラウマのようなことが起こる。 あの時を思い出すだけでもイライラする。 しかし、いろいろ問題になったが 解決したのは我慢をやめたからな気がする。 我慢をやめて嫌だと伝えることをできたし、 我慢してやらなくていいと行動したから。 そして、人に頼ることができたことで 助けてもらえた。 我慢していた時は何もかもが苦痛で生命力が落ちていて 何もしたくない状態だった。 恐怖に負け我慢した結果生命力はどんどん落ちた。 しかし、やる事はやらないといけないが、 うまくいかずにドンドン自分を責めていく。 そんな我慢と自分の責めることによって生命力が下がり、自分を失っていました。 しかし、最近我慢を減らし、自分を満たす行動をしていくと、やりたいことが増えたりやれることが増えたように感じます。 あと何をしたらもっと生命力が上がってできることが増えるかなとワクワクする面も!
あなたが良い気分でいること以上に大切なことは何もない。 と言う言葉がありますが、 少しずつ小さなほっとすること 気持ちがいいことや好きなことをやっていくことによって本当にその通りだなと実感できることが増えてきました。 最近やっていて、バイブレーションが上がるのを待つことはフットサルをやっている時です。そして調子が良かったり良くシュートが決まる日は本当にバイブレーションが上がります。良い気分でいられますし、テンションが上がっている。状態が本当に心地よいです。 そしてうまいですよねと言われたり、先の週といいねと言われた日には本当に一日中気分が良くなってしまいます。 センスの塊ですねなんて言われた日にはそれを思い出す度にニヤニヤしてしまいます。 そんな自分を幸せにしてくれるフットサルですが、私は中学校高校のときは運動神経がそんないいほうではなかったと思っていたのです。 野球をやっていたのですが、全然うまくならず、本当はやりたいことでもなかったですし、さらに、全く上達もせずが毎日いやいや野球をしてどうやって時間を潰すかということばかり考えていました。 そんな時から毎日我慢してやり続けるということ自分にさせてしまっていたわけです。もとはといえばホントはバスケットボールがしたかったのですが、親に大変だから野球にしなさいと言う理由でそれに対して反発もできずに野球をすることになってしまったのです。そうなってしまうと本当に辛い日々は続いてしまうわけです。野球部ともなると毎日練習でし、休みの日など全くないわけです。あったとしても月223回と言う休みで毎日練習をして、土日は試合だったり野球ばかりの日々なわけです。 全く上手くもならずにいつも補欠でやる気もなく毎日野球生活をしていました。 そんな嫌々している野球では上手くなろうという気はおこりませんし、全く才能も開花せず自分は運動神経が悪いんだと言う思い込みすらしてしまったわけです。 その思い込みによって自分は運動ができないし野球は下手くそだ、努力が足りないんだと思い、努力もしているのですが、努力は実を結ぶこともないわけです。その手島とどんどん我慢と努力しないことに対して自分を責めることが増えてきて体力的にも疲れしんどいのに更に精神的にも辛い状況に落ちていくわけです。 そうなってくると、どんどんバイブレーションも押していき良い気分でいられる状況など全くなくなってくるわけです。 完全に嗜好は惰性の思考で悪い方向にばかり行きますし、イメージをすることなどほとんどできない状況になっていました。そうなってしまうとどう頑張っても抜けられない状態になってしまい辞めると言う選択肢も罪悪感によってできなかったわけです。 そうすると完全に負のスパイラルで、 あーどうしようもないと言う状況に陥っていくわけです。 そうなってくるとダメな自分が形成され、頑張ってもダメ自分はダメな奴なんだと言うすごいネガティブな発想になっていっていったわけです。 今考えると、そんな時からダメな自分になるための状況が作られていたと考えるとぞっとしてしまいます。 そして、いやいやよく頑張ったなと感じます。 今は基本的に何のスポーツをしていても褒めてもらえることが多くなっています。 言ってしまえば、野球以外はある程度褒められます。 最近やりはじめたバドミントンでも上手いと言われますし、ヒップホップダンスをしていた時は、先生から上手いと褒められ前の方です。踊らせていただいたこともありました。 今思うのは野球以外だったら何でもうまくいったのではないかと感じてしまいます。 なんで野球を選んでしまったんだろうと思ってしまいますが、やはり親がこうしろと言うことに対して、その中学生の時点から我慢と言うものが生じていたわけです。自分はバスケをしたいと言う意思は伝えたもののほんとしょうもない理由で野球の方が夜遅くまでしないしそっちの方がいいんじゃないかと言うどうでもいい理由で我慢をする道を選んでしまったわけです。 もしかすればその我慢から入っていることによって惰性の感情が働きやりたくないことを我慢して続けているのにやめないでやっていることが悪かったのかもしれません。 そして自分自身が我慢をすると言う癖もついてしまった可能性があります。嫌なことでも我慢をしてやることやって苦手なことでも何とか克服して弱点を克服していこうと言う思考の元頑張っといた気がします。 それによってどこまでも嫌な状況が続いていき、楽しくないことや嫌な状況がどんどん膨れ上がっていきます。その起こる出来事に対してそれは考え直すチャンスだとは思えるわけもなくどんどん悪い方向へ行きました。 本当に今思うとぞっとしてしまいます。 嫌なことやめて自分のやりたいことをやれた時に、本当に運動することは楽しいですし、自分は運動神経が悪かったわけでもないと感じられることができました。野球を部活でやっていた時は、嫌々やっていましたが、今は自主的に週3回から4回はフットサルやバトミントンなどをして本当に楽しい気分屋好きなこととしてやっています。 やりたくないことを悪い感情の元やっていきどんどんドツボにはまっていくとはほんとにゾッとすることなど思い、それを13歳の頃から我慢してやっていたと思うとなんて辛いことを我慢していたのかなと悲しく思ってしまう面もあります。 自分が良い気分でいることをいかにやってあげられるかをこれからは考えていきたいところです。過去を振り返っても、何かが変わるわけでもありません。これからは未来を変えるための行動や、今この瞬間を幸せを感じたり好きなことや楽しいことすることで埋め尽くしていきたいと思っています。