ビーバップ!ハイヒール 「関西ガード下ランキング」~レールの下のもう一つの関西~ その1
この番組では、鉄道ミステリーとして、
関西の鉄道の裏の歴史などを何度か扱ってきましたが、
今回はその特別編だそうです。
関西人自身は気付かないことなんですが、
この関西のガード下の多くは店舗などになっていることが多いです。
私たちにはそれが普通なので、
特に多いとは思いませんが、
大阪環状線を例にとりますと、
1周21.7kmのうち、90%の線路下が何かしらに利用されています。
対して、東京の山手線34.kmのうち、
高架線路下が利用されているのは、
25%に過ぎません。
たしかに、関西のガード下には、
市場だったり、ショッピングモールだったり、
工場、倉庫、百貨店まであったりします。
なお、もう少し範囲を広げると、
こんなにも高架下が利用されています。
そんな関西のガード下について教えて下さったのは、
このような著書がある
建築評論家の小林一郎さんです。
彼は仰います。
大都市でも歴史がなければ、ガード下は発展していないと。
近年の都市の発達は、地下へと潜ります。
しかし、それ以前はガード下だったんです。
その小林さんが最初に紹介したのは、
天王寺から阪和線で一駅の美章園。
ここのガード下には昔ながらの商店が並んでいますが、
さらに進むと、住宅があります。
かつて、ミヤコ蝶々・南都雄二もここで新婚生活を過ごしたんだとか。
そして、今でもたくさんの人が
このガード下に暮らしているんだそうです。
ここは1階がオリジナルTシャツを売る店舗、
2階が住居になっていて、その2階です。
右に見える窪みのある壁、あれは高架線路の橋脚なんだそうです。
格安の物件ではありますが、
それにしても、あまりにも騒音が酷すぎるのではと思うのですが、
ここにはここにしかない人情があると住人の方は仰います。
スタジオでは、いくつかのガード下の話が。
筒井康隆先生は、「大阪駅のガード下には映画館があった」と。
たしかに昭和30年代には存在していて、
もしかすると、今のヨドバシカメラの近くかもしれません。
でも、映画を鑑賞するのにガード下は不向きですよね。
ゲストの川崎亜沙美さんは
「岸和田駅のガード下には三菱東京UFJ銀行」と。
番組では関西のガード下の中から、
ベスト6を紹介しています。
まずは6位から。
梅田から阪神線で二駅、
ここは地下鉄の他にJRも通っている賑やかな街です。
駅のすぐ側のガード下は有名チェーン店が店舗にしていますが、
少し歩くと、見えてくるのがこの景色です。
整然と同じ姿のスペースが並んでいるここは野田阪神機械工具街。
大正時代から工具製造が盛んだったこの野田では、
松下電気器具製作所が誕生しています。
現在のパナソニックは野田から始まっています。
そんな工具の街は、戦争で焼け野原になってしまいます。
阪神電鉄が高架化すると、
皆が一致団結して、その線路の下に工場を構えました。
その数、現在、43。
現在も工具の街として愛され、
関西と日本の経済を支えています。
なお、この工具街のシャッターは、
西野田工科高等学校の生徒たちが描いた
数々の絵で彩られています。
5位
次は阪神電鉄御影駅、そこの御影市場・旨水館。
ここには一つの伝説がありました。
高架下のこの泉、沢の井です。
昭和4年、阪神電鉄が高架化する時、
この泉は埋め立てられる予定でした。
しかし、地元がそれを阻止し、
現在に至ります。
この泉にまつわる伝説とは――
住吉大神へ勧請した神功皇后は、
参拝の際、ここの水に姿を映し、化粧をしたとか。
神功皇后が御影(おんかげ)を映したということで、
ここの地名は御影となりました。
阪神淡路大震災の後、
ここの人たちがよく言われたことがあるそうです。
御影って"おかげ"とも読めるよね
震災後もずっとこの旨水館の歴史は続いています。
4位
JR大阪駅から阪急梅田駅の間にあるのが、新梅田食道街です。
ここは日本最大のガード下グルメ街。
実はここには2階もあって、お洒落なお店もありますので、
一度行ってみて下さい。
ここの歴史は終戦直後から始まります。
GHQは旧国鉄マンを10万人以上も整理しました。
いきなり職を失った彼らに、多数の提案が寄せられ、
その中に大阪駅のガード下に飲食店を作るというものがありました。
しかし、鉄道マンに飲食業の知識も技術もありません。
そんな彼らへの指導を買って出たのが、
周辺の飲食業の人たちでした。
商売敵を生み出す不利益も考えず、
鉄道一筋の人たちに、料理や接客、会計などを教えます。
創業当初18店舗だった店は、
現在は約100店舗を数えるほどになっています。
…3位の鶴橋駅へと続きます。
関西の鉄道の裏の歴史などを何度か扱ってきましたが、
今回はその特別編だそうです。
関西人自身は気付かないことなんですが、
この関西のガード下の多くは店舗などになっていることが多いです。
私たちにはそれが普通なので、
特に多いとは思いませんが、
大阪環状線を例にとりますと、
1周21.7kmのうち、90%の線路下が何かしらに利用されています。
対して、東京の山手線34.kmのうち、
高架線路下が利用されているのは、
25%に過ぎません。
たしかに、関西のガード下には、
市場だったり、ショッピングモールだったり、
工場、倉庫、百貨店まであったりします。
なお、もう少し範囲を広げると、
こんなにも高架下が利用されています。
そんな関西のガード下について教えて下さったのは、
このような著書がある
建築評論家の小林一郎さんです。
彼は仰います。
大都市でも歴史がなければ、ガード下は発展していないと。
近年の都市の発達は、地下へと潜ります。
しかし、それ以前はガード下だったんです。
その小林さんが最初に紹介したのは、
天王寺から阪和線で一駅の美章園。
ここのガード下には昔ながらの商店が並んでいますが、
さらに進むと、住宅があります。
かつて、ミヤコ蝶々・南都雄二もここで新婚生活を過ごしたんだとか。
そして、今でもたくさんの人が
このガード下に暮らしているんだそうです。
ここは1階がオリジナルTシャツを売る店舗、
2階が住居になっていて、その2階です。
右に見える窪みのある壁、あれは高架線路の橋脚なんだそうです。
格安の物件ではありますが、
それにしても、あまりにも騒音が酷すぎるのではと思うのですが、
ここにはここにしかない人情があると住人の方は仰います。
スタジオでは、いくつかのガード下の話が。
筒井康隆先生は、「大阪駅のガード下には映画館があった」と。
たしかに昭和30年代には存在していて、
もしかすると、今のヨドバシカメラの近くかもしれません。
でも、映画を鑑賞するのにガード下は不向きですよね。
ゲストの川崎亜沙美さんは
「岸和田駅のガード下には三菱東京UFJ銀行」と。
番組では関西のガード下の中から、
ベスト6を紹介しています。
まずは6位から。
梅田から阪神線で二駅、
ここは地下鉄の他にJRも通っている賑やかな街です。
駅のすぐ側のガード下は有名チェーン店が店舗にしていますが、
少し歩くと、見えてくるのがこの景色です。
整然と同じ姿のスペースが並んでいるここは野田阪神機械工具街。
大正時代から工具製造が盛んだったこの野田では、
松下電気器具製作所が誕生しています。
現在のパナソニックは野田から始まっています。
そんな工具の街は、戦争で焼け野原になってしまいます。
阪神電鉄が高架化すると、
皆が一致団結して、その線路の下に工場を構えました。
その数、現在、43。
現在も工具の街として愛され、
関西と日本の経済を支えています。
なお、この工具街のシャッターは、
西野田工科高等学校の生徒たちが描いた
数々の絵で彩られています。
5位
次は阪神電鉄御影駅、そこの御影市場・旨水館。
ここには一つの伝説がありました。
高架下のこの泉、沢の井です。
昭和4年、阪神電鉄が高架化する時、
この泉は埋め立てられる予定でした。
しかし、地元がそれを阻止し、
現在に至ります。
この泉にまつわる伝説とは――
住吉大神へ勧請した神功皇后は、
参拝の際、ここの水に姿を映し、化粧をしたとか。
神功皇后が御影(おんかげ)を映したということで、
ここの地名は御影となりました。
阪神淡路大震災の後、
ここの人たちがよく言われたことがあるそうです。
御影って"おかげ"とも読めるよね
震災後もずっとこの旨水館の歴史は続いています。
4位
JR大阪駅から阪急梅田駅の間にあるのが、新梅田食道街です。
ここは日本最大のガード下グルメ街。
実はここには2階もあって、お洒落なお店もありますので、
一度行ってみて下さい。
ここの歴史は終戦直後から始まります。
GHQは旧国鉄マンを10万人以上も整理しました。
いきなり職を失った彼らに、多数の提案が寄せられ、
その中に大阪駅のガード下に飲食店を作るというものがありました。
しかし、鉄道マンに飲食業の知識も技術もありません。
そんな彼らへの指導を買って出たのが、
周辺の飲食業の人たちでした。
商売敵を生み出す不利益も考えず、
鉄道一筋の人たちに、料理や接客、会計などを教えます。
創業当初18店舗だった店は、
現在は約100店舗を数えるほどになっています。
…3位の鶴橋駅へと続きます。