歴史秘話ヒストリア 戦国女BOSSがゆく~ツンデレ城主・ぎん千代&戦う女たち~ その2 | テレビ番組 時事ネタなど書いていきます。はい。

歴史秘話ヒストリア 戦国女BOSSがゆく~ツンデレ城主・ぎん千代&戦う女たち~ その2

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こちらから続いておりますが、
番組よりは旦那宗茂についての記述が増えております。

九州征伐で活躍した立花宗茂は、
その功が認められ、筑後柳川13万石を得て、
主であるはずの大友家と肩を並べる大名となります。

豊臣秀吉の命で、この柳川へと移封となった訳ですが、
その際、妻・誾千代は喜ばなかったと言われています。
大名になったとはいえ、
父と暮らした故地を離れたくなかったのかもしれません。


宗成と誾千代との仲は冷えていました。

立花家中でも旧来の家臣は誾千代に、
新参の家臣は宗成につくなど、
派閥が分かれていたとも。

誾千代は城を出る決意をします。
家臣たちには自分の事は追わず、
殿に誠心誠意仕えよと言い残しました。

柳川の宮永館に移り住む誾千代、
別居夫婦となります。

宗成は秀吉の下で、小田原征伐、
文禄・慶長の役でもその武勇を振るい、

東に天下無双の本多忠勝あらば、
西に天下無双の立花宗茂あり


と秀吉に讃えられます。

その豊臣秀吉が没します。
そして起こる関ヶ原の戦い。

宗成は石田三成の西軍に味方します。
しかし、誾千代にはこの戦の勝敗が見えていました。
徳川の優勢は明らか、
三成に味方しては立花家を滅ぼすことになってしまう…

誾千代は城へと戻り、宗成を制止していました。
しかし、それを聞かず、宗成は4000の兵を率いて出陣してしまいます。
実は、徳川家康から破格の恩賞が約束され、
東軍へと加わるよう求められていました。
しかし、宗成は

忘恩の徒となるならば、命を絶った方が良い

と拒絶していたのです。
宗成も、この戦が不利であることはわかっていたようです。
しかし、それよりも秀吉への恩義を
踏みにじることは出来なかったのでしょう。

西軍に加わった宗成は、
淀殿の妹を正室とする京極高次の大津城包囲します。
この攻城戦でも彼は活躍しますが、
そのあいだに、関ヶ原では石田三成の軍は敗れてしまっていました。

一方、柳川城にも東軍・鍋島軍が押し寄せてきました。
再び、戦装束に身を包む誾千代、
彼女の元には女たち200人が集まっていました。

一進一退が続くも、敗勢となる立花軍、

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北からの攻めに備え、防備を厚くせねばとの声に、
誾千代は鍋島軍は水軍を用いるに違いないと看破、
海への守りを堅くし備えていたところ、
果たして現れたのが鍋島水軍。
柳川城の備えを見て、近づくことなく
水軍は去って行ったとか。


関ヶ原で西軍は敗れ、
大坂城に入った宗成は、総大将の毛利輝元へ籠城戦を進言しますが、
輝元はあっさりと徳川家康へ恭順の意を示し、
しかたなく、宗成は海路、九州へと引き返します。
九州上陸後、出くわしたのが島津義弘でした。
宗成の実父・高橋紹運の仇です。
今こそ仇を、といきり立つ家臣たちでしたが、

敗軍を討つは武家の誉れにあらず

と諭し、討とうとしないだけではなく
関ヶ原でほとんどの兵を失った義弘の軍を護り、
柳川まで行軍したと伝えられています。

柳川城へ戻っても、東軍の攻めは続き、
籠城して戦うことを決意します。
その頃、島津義弘は再び軍勢を調え、
柳川へと向かっていました。
あの時の恩義に報いるため、
包囲されている柳川城を救おうというのです。

しかし、既に戦は終わっていました。
かつて、慶長の役で宗成に命を救われた加藤清正らの説得により、
降服し城を明け渡していたのです。

父・道雪より託された立花の家の全てを失い、
立花誾千代は、加藤清正に守られる形で、
肥後国へ移り住むこととなりましたが、
失意の余りか、重い病にかかってしまいます。
この病の床で彼女が拝んでいたのが、

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荼吉尼天稲荷

でした。
戦国時代で城鎮守稲荷とされたダーキニーに
彼女が拝んだのは、
共に戦いながらも、
溝が深まっていった夫のためだった、とか。

熊本に移ってからわずか2年、
誾千代は亡くなります。
享年34。


立花宗茂は柳川城を明け渡した後、
改易処分となり浪人となりました。
加藤清正や前田利長などから家臣として誘われていますが、
感謝の意を伝えるとともに、断っています。
清正はそれならばと、食客していた時期もあったようです。
その後、京へと上り、立花家再興のために奔走、
本多忠勝が仲介し、江戸城へ召されることとなりました。
その器、そして武勇を知る徳川家康は、
彼を御書院番頭(将軍家警護隊長)として召し抱えています。
その後、主を嫡男・秀忠とし、
陸奥国棚倉藩3万5千石の大名となりました。
道雪、誾千代から託された立花家を再興したのです。

大坂と江戸との間がきな臭くなると、
家康が最も恐れたのが宗成の離反だったとも。
しかし、宗成は大坂の陣でも秀忠の下で活躍、
その功績が評価され、
かつての柳川藩11万石へと返り咲くことが出来ました。
妻・誾千代の死から18年後のことでした。

関ヶ原の戦いでは、西軍に与した大名たちの多くが改易されましたが、
そんな中で、大名の身分を回復し、
そして旧領へと返り咲いたのは、
この立花宗茂だけです。


かつての柳川城近くにある良清寺。

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立花宗茂が建立した寺です。
柳川へ戻った宗成がまず手がけたのが、
この寺の建立だったとか。
手厚く保護し、供養を欠かすなと命じたとされています。

それは

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妻・誾千代の菩提を弔うためなのでした。






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