ビーバップ!ハイヒール 「CMの裏側にドラマあり!~名作に秘められた感動物語~」-CM動画- | テレビ番組 時事ネタなど書いていきます。はい。

ビーバップ!ハイヒール 「CMの裏側にドラマあり!~名作に秘められた感動物語~」-CM動画-

今回の先生はこの雑誌の編集長の



田中里沙編集長

田中里沙さん。
テレビCMの裏側にある物語をご紹介下さいます。

30秒からです。





1960年代の「ヤン坊マー坊天気予報」からです。
比較的最近ですと、





いつのものかは特定出来ませんでしたが、
ここ2年以内のものだと思います。

サイトでも、

ヤン坊マー坊天気予報
http://www.yanbohmarboh.jp/tenki/index.html


このように天気予報のページを設けているヤンマー株式会社。
なぜ、天気予報にこだわるのか、というお話です。

創業者・山岡孫吉は農業用の石油発動機を製造していました。
1933年、小型高性能ディーゼルエンジンを開発しました。
ディーゼルの小型化は難しいとされていて、
山岡は世界で初めてそれに成功した事になります。

絶対に止まらないエンジン

をキャッチコピーに売り出します。
これが大成功、ヤンマーの業績伸ばす事となりました。

そんなある日、嵐の日に出航した船が難破する事故がありました。
死者が出たこの海難事故のこの船のエンジンがこの

絶対に止まらないエンジン

でした。
ヤンマーに非はありません。
しかし、ヤンマーは遺族に謝罪の上、賠償金を支払っています。
どのような理由であれ、
自社の製品で二度とこのような事故を起こしたくないと考えた山岡は、
遺族にこう伝えたといいます。

性能の良いエンジンでも
嵐の中ではどうにもなりません。
どうかこれからは必ず、天気を確認してから漁に出て下さい


そして始まるのが1959年からの

ヤン坊マー坊天気予報

なのでした。




次もおなじみの日立「この木なんの木」シリーズ。
この動画では歴代のバージョンをつなぎ合わせています。



最初に流れるのが初代なんですけれど、
元々は特定の木が存在していた訳ではなく、
日立グループのイメージとしてアニメーションで木を描いていたんですね。

既に多くのグループ企業を抱えていた日立は、

数ある会社がコンピュータという枝で結ばれ、
ひとつのグループにならないといけない
大地に根を張る日立という大きな木を育てる


そのように未来を展望し、
このCMが作られます。

放送開始は1973年。
放送が始まると、この「木」に対する問い合わせが殺到したとか。
あれは何という木なのか、実際にあるのか、と。
そもそも、商品の広告は日常で目にしていましたが、
企業広告、グループの広告などはなかった時代、
その珍しさも見る人の目を惹いたのかもしれません。

日立は実際にこのイメージに合う木を探す事にしました。

それがこのモンキーポッドという木。

モンキーポッド

ハワイのオアフ島、
モアナルア・ガーデンパークにある1本の大木です。

早速、担当者は撮影と使用許可を得るため、
この公園のオーナーに掛け合う事にします。
すると、オーナーは意外な話を始めました。

あの木は私の祖先と、
ある日本人の出会いから生まれた木なんです。


それは今から160年前、日本ではまだ幕末よりも少し前の時代、
宣教師、チャネリー・デイモンはハワイにやって来て、
ある日本人に出会います。
それがこの

ジョン万次郎


中浜万次郎(ジョン万次郎)。
説明がなかったので調べてみますと、
チャネリーがハワイに来たのは1842年、
一方の万次郎は漁船難破後、
米の捕鯨船に救われ、船員となりハワイへ。
これが1842年ですので、この時でしょうか。
(カリフォルニアでのゴールドラッシュで得た金銭で、
日本へ帰ろうと決意し、1847年に二度目のハワイへ上陸しています)

チャネリーと万次郎は日本のことについても話し合ったそうです。
チャネリーは日本が鎖国を止め、
諸外国との国交を持つべきだと考えていました。
世界のあるべき姿についても話すチャネリー。
世界は一つなんだと万次郎も考えるようになったとか。

間もなく万次郎は米本土へ。
紆余曲折あって帰国。
幕府に疎まれながらも、彼は日本の開国に心血を注ぎます。

開国後、万次郎はチャネリーに手紙でそれを報せています。

世界は一つなんだ

チャネリーは考えます。

私も世界が一つになる事を願って
この地に世界中の木を植えた公園を造ろう


家族の手を借り、世界中から集めた木を植え、
モアナルア・ガーデンパークを造園します。
それらの木の中で、最も大きく育ったのが、

モンキーポッド

このモンキーポッドなのでした。


チャネリーの子孫は、ジョンとの出会いがなければ、
公園も木もなかったはずだと、
日本の企業のCMに使用する事を快く許諾しています。
以後、2代目CMからはアニメーションではなく、
この木を背景にしたものに変わっていて、
日立といえば、「この木なんの木」となるんですが…


2007年、この公園を管理していたデイモン財団が解体されたことで、
あの木の存続が危ぶまれることとなりました。

日立が立ち上がります。
今度は、自分たちがあの木を助けるんだと。

日立が公園の維持管理費を負担する事で、
あの木と公園が守られていくこととなりました。
(当時の新聞で読んだ記憶がありますけれど、
もう少しドロドロした話があったような?)

まさか万次郎が出てくるとは思いませんでしたので、
驚きであり、嬉しかったです。
時代を超えた1本の木を通して繋がっているという訳ですね。
この木にはやはり、日本人観光客が集まるらしく、
逆に他の国の人には、
なぜ日本人がこの木を見たがるのかはわからないのでしょう。

なお、このCMに出てくるグループ企業名は、
時々順番が変わるようになっているんだとか。
どこが偉いとかはないという事らしいです。

日立のサイトでは、この歴代のCMを公開しています。
こちらのほうが美しいので、
最新のものも含めまして、
ご興味がございましたら、アクセスしてみて下さい。

歴代のテレビCM:日立の樹オンライン:日立
http://www.hitachinoki.net/tvcm/movie/chronology_cm.html?cmNum=1


サイトを見てみますと、"日立の樹"が歴代で4本あることがわかります。
初代と5代目がこのモンキーポッド、これが一番美しいですね。
2~4代目はまた違うようですので、
位置や種などはこちらからご確認ください。

歴代の日立の樹:日立の樹オンライン:日立
http://www.hitachinoki.net/profile/history.html




最後は長編CMを。
記録メディアを製造しているマクセルでは、
2007年に「DVDに残したい思い出」を募集していました。
その中の特別賞受賞作品がCMになっているようです。
舞台は2007年の鹿児島県「新留小学校」。
全校生徒は3人。
このため、この3人の卒業を以て休校となっていました。
映像は3人の女の子の最後の7日間の学校生活を中心に、
ドキュメンタリーの形で撮影されています。

ずっとずっと。新留小学校篇

連作の名作です。
番組では4本しか流れませんでしたが、
6本で全てのようです。
長編とはいえ、6作合わせても10分もありません。
説明は不要ですので、これにて失礼致します。



















ねてしてタペ