林子平「海国兵談」を買ってきました~佐々淳行氏の産経「正論」~ | テレビ番組 時事ネタなど書いていきます。はい。

林子平「海国兵談」を買ってきました~佐々淳行氏の産経「正論」~

林子平の「海国兵談」を買いました。
読むのがたいへんそうなので、
買うつもりはなかったんですが、
先週の古書店巡りで見つけてしまったので、
この絶版を買ってきました。
代金、900円。
オークションで見かけたものよりは少し安いかな、
という程度ですね。

こんなも図版たくさんついていて、
彼がどれだけ自分の考えを理解してもらおうとしていたのか、
それがよくわかります。

林子平「海国兵談」


今年の6月に

幕末への警鐘 ~林子平著 「海国兵談」~

という記事をお書きしました。

1787年から1791年にかけて、
この海国兵談を刊行したのが林子平です。
版元がいなくても、自分で版木を買い、
自分で版木を掘り、自分で版木から刷り、
発禁になって版木を没収されても、
それを伝えるべく、写しを持ち続けていたんです。


現在の尖閣問題について、今朝の産経新聞の「正論」に、
この書が引かれて紹介されていました。

筆者は佐々淳行氏で、
初代内閣安全保障室長、
一般的にも



この1972年の事件で、
現場で指揮を執ったメモを元に出版したことで知られています。
映画なんかにもなったりしたりも。




その佐々淳行氏が

 ≪思い起こせよ『海国兵談』≫

 尖閣沖の中国漁船衝突事件で、林子平(はやし・しへい)の『海国兵談(かいこくへいだん)』を思いだした。寛政3(1791)年に刊行された全16巻の「海防論」だ。

 列強によるアジア植民地化が進む中、鎖国政策で泰平の眠りに耽(ふけ)る幕府に、南下してくるロシアの脅威に備えて近代的な海軍と沿岸砲台の建設を強く説いた警世の書だったが、幕府はこれを発禁処分にし、林子平に閉門蟄居(ちっきょ)を命じ、失意のうちに彼は憤死する。

 だが、彼の「海防論」は尊皇攘夷(じょうい)の志士たちに受け継がれ、明治維新の原動力となった。やがて日本が日清・日露・第一次大戦と勝ち進み版図を広げるにつれ、「海防」は国防の基本政策となり、国境警備、沿岸警備、島嶼(とうしょ)防衛の海防思想は国民に浸透、旧海軍には海防艦という艦種も生まれた。



と、始め、今こそ、
この海国兵談に倣うべきだと述べています。

子平がこれを刊行することを決意したのは、
幕府の国防に対する甘い考えと、
そして、常に何か問題が持ち上がると、
波風を立てたくない、自分では責任を取りたくない、
そんな事ばかりでその場では決定せず先送りの連続、
特に北からロシアが南下してくる可能性についての備えが
ゼロであったことから、
自らの見聞を元に、その警鐘を鳴らします。

細かくは

幕末への警鐘 ~林子平著 「海国兵談」~

こちらをご覧戴くとしまして、
ずっと徳川時代を見ていて思うのは、
結局のところ、この国の国防や外交は、
根本的な部分においては何も変化していないんだなということです。

それぞれの問題を放置していれば、
自分たちは責任を取らなくても済むだろう。
やがて大事に至る事に気づいていても、
その問題に対処しようとしない、
あるいは対処したという体だけを形にして見せる。
その場しのぎで、
その場がしのげたら、後は忘れたふりをする。

それが何を招いたでしょうか?

川路聖謨らが守った北の島々が侵され、
竹島では、歴史的、地理的を意図的に歪曲させた占拠を許し、
尖閣では領海を警備する船舶に対しての当たり屋行為を裁けない。

これは現政権だけの責任ではありません。
ここに至るまで、なぜこれらの問題を放置していたのか、
尖閣に他国の手が伸びようとしているのは、
今に始まったことではないでしょう。

なぜ、江川太郎左衛門が台場を築こうとしたのか、
なぜ、勝海舟が海軍力にこだわったのか、
なぜ、高杉晋作が領内の小島の割譲を拒み続けたのか、
国家の全責任を負うという事はどういう事なのか、
江戸城でああだこうだ言う事しか出来なかった大名どもと、
今の自分たちと何が違うのか、
全議員には熟考していただきたいです。

特に

5年、10年後に振り返ったときに、
自分の内閣が冷静に対応したことは
きちんと評価されると確信している


などと妄想に浸っている総理大臣には、
特に考え直してもらいたいです。
ここまで前線を後退させておきながら、
よくも言えたものです。
もう一度元に戻すのにどれぐらいの力が必要なのか、
それこそ、戦争をするぐらいの覚悟でないと、
あの島々から完全に中国を排除出来ないということを
理解しているのでしょうか?

理解してないからこそ、
将来評価されるなどと、
妄言が吐けるんでしょうけれど。

ねてしてタペ