みんなでニホンGO!「史上最大の国語テスト」~日本語最大の危機~
先週の後半と、
今週の前半の2回に分けて、
放送されたのは、敗戦後に起こった漢字の危機、
日本語の危機のお話でした。
私たちは先の大戦に負けました。
そして、やってきたGHQが排除しようとしたのは、
軍国主義、そしてそれに繋がりうる文化でした。
柔道や剣道などの武道、
そして仇討ち話などが多い歌舞伎なども、
総じて禁止となっていきました。
さらに、日本がこのような大それた戦争を仕掛けてくるのは、
教育的に遅れているからに違いないので、
一般庶民の隅々まで、教育の普及を図る必要性があること、
そして、そのために、教育の障害となっているのであろう、
漢字を廃止し、全てローマ字で表記すべきだと、
GHQはそう主張してきました。
対して、当時の吉田茂首相は、
すぐ様のローマ字化は難しいとして、
4000字以上使用されていた漢字の数を、
1850字までに削った「当用漢字表」を発表しています。
国内でも、日に日に増すのは日本語ローマ字表記化賛成論。
当時の日本人は、自国の文化に自信を持てず、
何かを変えなければ、現在どん底の日本の文化は、
世界に追いつけないのではないか、
そういう反省ムード一色でした。
戦争中、軍が用いる用語は漢字ばかり。
それが漢字のイメージを悪くしていたのもその一因ではあるんですが。
志賀直哉も、
後にノーベル物理学賞を受賞することになる湯川秀樹も、
日本が進むべき道はこれ以外にないと、
国語のローマ字化を肯定しています。
「国語の民主化」を成すためには、
ローマ字化以外に道はないのだ、
新聞もそういう論調になっていきます。
現在の私たちでも、小学校6年間で学ぶ「教育漢字」、
1006の漢字を覚えることになります。
アルファベットならば、26文字。
大小別でも52文字しかありません。
つまり、学習のうち、文字に割かれる時間ははるかに少ない。
終戦前の日本人はより無駄な時間を浪費しているはずだ。
そのぶん、他の多くの事を学ぶ機会を逃している。
というのが、GHQであり、
当時の進歩的日本人学者たちの考えでした。
当用漢字表が発表されたものの、
GHQは引き下がりません。
日本人は皆、この当用漢字全てを読み書き出来るのか、
そのテストが必要だという話になりました。
こうして行われることになった日米共同の国語テスト。
これが後の日本語の運命を決めることになります。
全国民の国語レベルを測るということで、
配給台帳を元に無作為に選ばれた15歳から64歳までの2万人。
なんだか知らされないながらも、
占領軍の文字がある通達に不安ながらも参加しない訳にもいかず、
招集されたうちの8割以上が出席した試験は、
1948(昭和23)年8月に行われました。
どのような問題かといいますと、
新聞記事からの出題が多く、
百万圓 …… こういう人に当る
札幌の七十爺さん
【札幌発】札幌市無職西梶元重(七○)も百万円当つた、
朝鮮からの引揚者、娘からもらつた小遣いで拓殖銀行から買つた二枚の中の一枚が当つたもので、家にも知らせずしまつておいたが、二十六日朝になつて出してみたら当つていたというので大サワギ、妻と娘さんと息子さんの四人ぐらし
(問1)
百万円当った中
ぜんぶで
宝くじを何枚買いましたか。
(答)
・一枚
・二枚
・三枚
・四枚
・五枚
(問2)
その宝くじはどこから買いましたか。
・タバコ屋
・大阪
・娘さん
・銀行
・中村さん
結構、馬鹿にしている問題ですが、
それほど、GHQは私たちの教育レベルを
低く見ていたということなのでしょう。
漢字書き取りも当用漢字1850字の中で、
どれほど周知されているかを試しましたが、
それに加えて、庶民が戦争により、
教育の機会を奪われていたので、
漢字に対する知識も相当低かったのかもしれません。
日本語の未来がかかっているとは知らず、
なぜか試験を受けさせられていた普通の日本人たち。
たいしょう にねん はちがつ にじゅうはち にち
大正2年8月( )日
こういった空欄を埋めさせる単純な問題や、
試験官が発音した
あたま
を
・あなま
・あたま
・あゆま
・あらま
・あひま
以上から選ばせるもの、
調査する
の意味を
・手紙を出す
・かんがえる
・役場に行く
・しらべる
・巡査が來る
から選べというものなど、
様々ありましたが、
正答率がとりわけ低かったのが、
やはり、漢字書き取り問題でした。
その中でも特に
ともかくりれきしょをお出し下さい
これがなかなか書けていなかったようで、
正答率24.6%でした。
さて、試験が終わり、
その結果の評価の段階に入りました。
それにより、日本語の未来が決まることになります。
GHQの調査責任者はハーバード大文化人類学者ジョン・ペルゼル。
もちろん、GHQはローマ字化を進めようと考えています。
一方、日本人側は東大助教授で言語学者の柴田武、29歳。
彼は試験前から著作の中で、
将来の國字はローマ字以外にないのである。
と述べるほどの推進論者。
この人選の時点で、
日本語の未来は非常に危ういものとなっていました。
試験の結果です。
満点・・・6.2%
かなり少なめです。
やはり、日本人にとっても、
日本語は理解するのが難しいのでしょうか?
一方、いわゆる文盲の人は、全体の
0点・・・1.7%
と驚くべき低さです。
私の私見ですが、当時の米国本土でも、
これよりも高い数字になったのではないでしょうか?
全国の平均点は100点満点中、
78.3点
これはGHQが想定していない高得点でした。
柴田武は結果に驚きつつも、
報告書を作成します。
そんな時、柴田はホテル一室に呼び出されます。
そこに行ってみると、待っていたのはジョン・ペルゼルでした。
部屋にはベルゼルと柴田の二人だけ。
ベルゼルは切り出します。
柴田さん、報告書を書き直してくれませんか
GHQ内部では、日本語のローマ字化は既定の政策であり、
この実際の高得点では都合が悪いと言うわけです。
だから、事実を曲げて、試験結果を改竄してくれという要求でした。
柴田は、かねてよりのローマ字化推進論者。
その機会がやってきました。
ここで彼が首を縦に振れば、
日本語の未来は失われていたかもしれません。
そんな事は出来ません
彼は断りました。
それは、彼の正義の心からなのか、
学者として、データを改竄する事への抵抗からなのか、
それはわかりませんが、
この時の彼のひと言で、私たちの日本語の未来は救われました。
この柴田の言葉を聞いて、ベルゼルは
そうだよな
と言って、部屋を出たそうです。
昔から、日本は何かにつけ、
劣等感に苛まれる人種であるようです。
明治維新の時も、我が国固有の文化の多くを捨てようとしてみたり、
この時は、漢字、
さらには独自の「漢字かな交じり文」を捨てようとしました。
でも、考えみて下さい。
徳川政権の中、はっきりとした身分制度下においても、
我が国の識字率は他国のそれよりもはるかに高いものであったはずです。
たしかに、文字の数は欧文と比較になりません。
そのぶんの学習労力も必要とします。
しかし、その手間のぶん、漢字がもたらす利益と、
「漢字かな交じり文」がもたらす利益は、
今の私たちにとっても欠かせないものとなっているでしょう。
欧米人が、外国語映画を字幕で見ないのも、
「漢字かな交じり文」のような優れた表記法を持たないからでしょう。
4月にお書きした
「シャッターアイランド」は超吹替版公開 ~字幕 日本語の特性について考える~
でもお書きしましたが、
pneumonoultramicroscopicsilicovolcanoconiosis
こんなの英語圏の人間でも、
ほとんどの人がわからないはずです。
漢字ならば、
塵肺症
この症状を知らなくても、
文字を見ればそれが想像できるというものなんです。
正確には珪性塵肺症ですが、
語頭が珪素の珪であることに気づけば、
それも推量できるというものです。
現代の私たちも、
日本語が持つ特性、利点を忘れないように、
大切にしていきたいですね。
今週の前半の2回に分けて、
放送されたのは、敗戦後に起こった漢字の危機、
日本語の危機のお話でした。
私たちは先の大戦に負けました。
そして、やってきたGHQが排除しようとしたのは、
軍国主義、そしてそれに繋がりうる文化でした。
柔道や剣道などの武道、
そして仇討ち話などが多い歌舞伎なども、
総じて禁止となっていきました。
さらに、日本がこのような大それた戦争を仕掛けてくるのは、
教育的に遅れているからに違いないので、
一般庶民の隅々まで、教育の普及を図る必要性があること、
そして、そのために、教育の障害となっているのであろう、
漢字を廃止し、全てローマ字で表記すべきだと、
GHQはそう主張してきました。
対して、当時の吉田茂首相は、
すぐ様のローマ字化は難しいとして、
4000字以上使用されていた漢字の数を、
1850字までに削った「当用漢字表」を発表しています。
国内でも、日に日に増すのは日本語ローマ字表記化賛成論。
当時の日本人は、自国の文化に自信を持てず、
何かを変えなければ、現在どん底の日本の文化は、
世界に追いつけないのではないか、
そういう反省ムード一色でした。
戦争中、軍が用いる用語は漢字ばかり。
それが漢字のイメージを悪くしていたのもその一因ではあるんですが。
志賀直哉も、
後にノーベル物理学賞を受賞することになる湯川秀樹も、
日本が進むべき道はこれ以外にないと、
国語のローマ字化を肯定しています。
「国語の民主化」を成すためには、
ローマ字化以外に道はないのだ、
新聞もそういう論調になっていきます。
現在の私たちでも、小学校6年間で学ぶ「教育漢字」、
1006の漢字を覚えることになります。
アルファベットならば、26文字。
大小別でも52文字しかありません。
つまり、学習のうち、文字に割かれる時間ははるかに少ない。
終戦前の日本人はより無駄な時間を浪費しているはずだ。
そのぶん、他の多くの事を学ぶ機会を逃している。
というのが、GHQであり、
当時の進歩的日本人学者たちの考えでした。
当用漢字表が発表されたものの、
GHQは引き下がりません。
日本人は皆、この当用漢字全てを読み書き出来るのか、
そのテストが必要だという話になりました。
こうして行われることになった日米共同の国語テスト。
これが後の日本語の運命を決めることになります。
全国民の国語レベルを測るということで、
配給台帳を元に無作為に選ばれた15歳から64歳までの2万人。
なんだか知らされないながらも、
占領軍の文字がある通達に不安ながらも参加しない訳にもいかず、
招集されたうちの8割以上が出席した試験は、
1948(昭和23)年8月に行われました。
どのような問題かといいますと、
新聞記事からの出題が多く、
百万圓 …… こういう人に当る
札幌の七十爺さん
【札幌発】札幌市無職西梶元重(七○)も百万円当つた、
朝鮮からの引揚者、娘からもらつた小遣いで拓殖銀行から買つた二枚の中の一枚が当つたもので、家にも知らせずしまつておいたが、二十六日朝になつて出してみたら当つていたというので大サワギ、妻と娘さんと息子さんの四人ぐらし
(問1)
百万円当った中
ぜんぶで
宝くじを何枚買いましたか。
(答)
・一枚
・二枚
・三枚
・四枚
・五枚
(問2)
その宝くじはどこから買いましたか。
・タバコ屋
・大阪
・娘さん
・銀行
・中村さん
結構、馬鹿にしている問題ですが、
それほど、GHQは私たちの教育レベルを
低く見ていたということなのでしょう。
漢字書き取りも当用漢字1850字の中で、
どれほど周知されているかを試しましたが、
それに加えて、庶民が戦争により、
教育の機会を奪われていたので、
漢字に対する知識も相当低かったのかもしれません。
日本語の未来がかかっているとは知らず、
なぜか試験を受けさせられていた普通の日本人たち。
たいしょう にねん はちがつ にじゅうはち にち
大正2年8月( )日
こういった空欄を埋めさせる単純な問題や、
試験官が発音した
あたま
を
・あなま
・あたま
・あゆま
・あらま
・あひま
以上から選ばせるもの、
調査する
の意味を
・手紙を出す
・かんがえる
・役場に行く
・しらべる
・巡査が來る
から選べというものなど、
様々ありましたが、
正答率がとりわけ低かったのが、
やはり、漢字書き取り問題でした。
その中でも特に
ともかくりれきしょをお出し下さい
これがなかなか書けていなかったようで、
正答率24.6%でした。
さて、試験が終わり、
その結果の評価の段階に入りました。
それにより、日本語の未来が決まることになります。
GHQの調査責任者はハーバード大文化人類学者ジョン・ペルゼル。
もちろん、GHQはローマ字化を進めようと考えています。
一方、日本人側は東大助教授で言語学者の柴田武、29歳。
彼は試験前から著作の中で、
将来の國字はローマ字以外にないのである。
と述べるほどの推進論者。
この人選の時点で、
日本語の未来は非常に危ういものとなっていました。
試験の結果です。
満点・・・6.2%
かなり少なめです。
やはり、日本人にとっても、
日本語は理解するのが難しいのでしょうか?
一方、いわゆる文盲の人は、全体の
0点・・・1.7%
と驚くべき低さです。
私の私見ですが、当時の米国本土でも、
これよりも高い数字になったのではないでしょうか?
全国の平均点は100点満点中、
78.3点
これはGHQが想定していない高得点でした。
柴田武は結果に驚きつつも、
報告書を作成します。
そんな時、柴田はホテル一室に呼び出されます。
そこに行ってみると、待っていたのはジョン・ペルゼルでした。
部屋にはベルゼルと柴田の二人だけ。
ベルゼルは切り出します。
柴田さん、報告書を書き直してくれませんか
GHQ内部では、日本語のローマ字化は既定の政策であり、
この実際の高得点では都合が悪いと言うわけです。
だから、事実を曲げて、試験結果を改竄してくれという要求でした。
柴田は、かねてよりのローマ字化推進論者。
その機会がやってきました。
ここで彼が首を縦に振れば、
日本語の未来は失われていたかもしれません。
そんな事は出来ません
彼は断りました。
それは、彼の正義の心からなのか、
学者として、データを改竄する事への抵抗からなのか、
それはわかりませんが、
この時の彼のひと言で、私たちの日本語の未来は救われました。
この柴田の言葉を聞いて、ベルゼルは
そうだよな
と言って、部屋を出たそうです。
昔から、日本は何かにつけ、
劣等感に苛まれる人種であるようです。
明治維新の時も、我が国固有の文化の多くを捨てようとしてみたり、
この時は、漢字、
さらには独自の「漢字かな交じり文」を捨てようとしました。
でも、考えみて下さい。
徳川政権の中、はっきりとした身分制度下においても、
我が国の識字率は他国のそれよりもはるかに高いものであったはずです。
たしかに、文字の数は欧文と比較になりません。
そのぶんの学習労力も必要とします。
しかし、その手間のぶん、漢字がもたらす利益と、
「漢字かな交じり文」がもたらす利益は、
今の私たちにとっても欠かせないものとなっているでしょう。
欧米人が、外国語映画を字幕で見ないのも、
「漢字かな交じり文」のような優れた表記法を持たないからでしょう。
4月にお書きした
「シャッターアイランド」は超吹替版公開 ~字幕 日本語の特性について考える~
でもお書きしましたが、
pneumonoultramicroscopicsilicovolcanoconiosis
こんなの英語圏の人間でも、
ほとんどの人がわからないはずです。
漢字ならば、
塵肺症
この症状を知らなくても、
文字を見ればそれが想像できるというものなんです。
正確には珪性塵肺症ですが、
語頭が珪素の珪であることに気づけば、
それも推量できるというものです。
現代の私たちも、
日本語が持つ特性、利点を忘れないように、
大切にしていきたいですね。