風雲児たち 幕末編 15巻 | テレビ番組 時事ネタなど書いていきます。はい。

風雲児たち 幕末編 15巻

「城下の盟(ちかい/めい)」。

戦時下において、
最終的に勝敗を決するのは、
どちらか一方が降服の証である盟い、
つまり、条約を結んだ時点になることが普通です。

前線がずるずると後退して、
ついには城下にまで敵が押し寄せ、
仕方なく、和平条約を結ぶ。

こんな条約だと、敗軍側にとって、
極めて不利な内容になってしまいます。

これを「城下の盟」といい、
負け戦の中でも、下策中の下策だとされています。

同じ負け戦でも、
前線が下がりきる前に、和平条約を結ぶ事が出来たならば、
その条約がたとえ不利なものだとしても、
城下が焼け野原になってしまってからの条約よりは、
ずっとましな内容のものになるでしょう。
それに、城下が無事ならば、再起もあり得るかもしれません。



安政五(1858)年6月。

この15巻では、日米修好通商条約への署名を、
朝廷の許可が出ていないことを理由に拒む大老、井伊直弼に対して、
外国奉行、岩瀬忠震(ただなり)が

井伊様に城下の誓をさせたくはございませんっ

と叫んでいます。
実際に、岩瀬忠震がこう言ったのかは確認が取れませんが、
あの時の日本の状況において、
他にどうしようもなかったんです。
堀田正睦、岩瀬忠震、川路聖謨らは、
三ヶ月以上もの間、朝廷の説得を何度も何度も試みていますが、
勅許が得られそうな気配はなく、
ただ、米全権大使ハリスへの返事を引き延ばす事しか出来ない有様。

この条約締結を断ったとしても、
すぐに戦争になるものではないかもしれませんが、
遅かれ早かれ、日本にとってよくない状況になるのは明らかなんです。

事は対米だけではなく、
対露、対英など、その全てで、
これまでの対外政策が通用するはずはありません。


井伊直弼が無勅許条約を結んだとして、
尊皇派、攘夷派は彼を糾弾しようとするんですが、
彼には選択肢はなかったんです。
むしろ、この条約締結は、
政治家として、当然の判断だったんですよね。


15巻では、続いて薩摩藩主、島津斉彬の号令による、
薩州挙げての軍事訓練。
彼は、この軍勢で京へ上ろうという考えです。


なぜ朝廷は、天皇は開国を頑なに拒むのか、
その点を考えた深謀遠慮と、
その死が描かれています。

幕府においての発言力もあり、
また、西洋の事情にも通じ、
さらに大局を見通す目を持つ彼があと10年…
あと5年だけでも長生きしていれば、
きっと、坂本龍馬の出番はなかったことでしょう。

安政五(1858)年7月、享年51歳。
大政奉還まであと9年。
しかし、徳川幕府の次の政治体制は、
彼が生きてさえいれば、
もっと早く形作られていたような気がします。


場面変わって、
久坂玄瑞が村田蔵六(大村益次郎)の私塾「鳩居堂」に入塾、
彼が自分が吉田松陰の弟子だということで、
蔵六は、

吉田松陰といえば、
 アメリカに行かねばアメリカがわからない人の事ですな


と松陰を評しています(本当にそう言ったかは未確認)。

私は、吉田松陰は好きな人物で、
その行動力は見習いたいものですが、
この蔵六の言葉も大好きです。

彼はそう評するだけの資格があるように思います。

そんな話は、



この中の短編「伊達の黒船」にも描かれています。
あんまり蔵六さんは出てこないけど…

ねてしてタペ