JIN -仁- その背景 華岡青洲 華岡流麻酔術 通仙散
ちょっと疑問に思ったんですけれど、
当時の「岩」「巌」は今の癌ですけれど、
「イワ」と読んでいたものと、
今の「癌」「ガン」は言葉の起源としては同根なんでしょうか?
どなたかご存じでしたら、お教え下さい。
さて、本題。
ここまでドラマ版「JIN -仁-」では、
視聴後の感想とは別に、
時代背景についてもお書きしてきました。
最初は西洋医学と本草学について、
その次は火事と火消。
今回は最終回に扱われるのかな、
ということで、華岡流について考えてみたいと思っています。
昔から、何度も映像化されてきた華岡青洲。
仁でも原作から扱われている華岡流ですので、
ちょっとあらためて調べてみたくなりました。
記事にしてみようかと思います。
調べてみますと、
青洲考案による薬剤は今でも使われているそうで、
驚きましたね。
今、知ったんですが、
「十味敗毒湯」はツムラやクラシエから出ている
皮膚の腫れ・化膿を抑える内服薬。
「中黄膏」「紫雲膏」も複数のメーカーから販売されている
皮膚のための軟膏らしいです。
200年前の人のこれらの薬が今現在もとは凄いです。
昔の女優さんのインタビューなんかで、
「どういった役を演じてみたいですか?」
というような問いに対して、とても多かったのが
大石内蔵助の妻「りく」と
華岡青洲の妻「加恵」だったと思います。
有吉佐和子著「華岡青洲の妻」、
それと、それが映像化されたことで
華岡青洲とその妻、
その母の事も広く知られるようになったんでしょう。
私もその一人な訳です。
日本に限らず、
この時代の医療はひとつの行き詰まりを迎えていました。
仮にその病の原因が判明して、
その部位を取り除くか直接治療する事が出来れば
治るはずと考えたとしても、
その方法がなかったんです。
切ろうにも患者が耐えられないということで。
一応、外科手術はこの時代にも行われているようで、
みなもと太郎著「風雲児たち」17巻には、
シーボルトの弟子、
二宮敬作が宇和島で乳癌の手術をしているシーンがあります。
きっと他にも外科手術の例はあるのでしょう。
これはどうやら「赤ひげ」のパロディを描きたかったみたいですので、
その正確さは不明ですが、
現実にも、確かに二宮敬作は外科手術を行っているようですね。
痛みに対する方策は、
効き目の薄い痛み止め、酒に酔わせる、
手術部位を冷やすなどがあるものの、
基本的には
「患者が我慢する」
以外何もないも同然な訳でして。
華岡青洲は文化元年(1804年)、
全身麻酔を用いた乳癌摘出手術に成功しています。
ここに至るまで、
すなわち、麻酔薬である「通仙散」完成に至るまでの死闘が
前出の「華岡青洲の妻」で描かれています。
掻い摘んでお書きしますと…
華岡青洲の母、於継に憧れを抱く幼い少女、加恵。
時が過ぎ、やがて、彼女のところに華岡家からの縁談があり、
加恵は青洲の妻となります。
青洲は京へ留学してしまいますが、
憧れの於継と暮らせる加恵は幸せなのでした。
しかし、青洲が戻ってきたところで、
嫁と姑の間で青洲を奪い合う諍いが起こり、
それも、於継の外面のために
よき姑であり、よき嫁である、
理想の嫁姑だと周囲は見ていました。
その頃、青洲は患者の苦しみを和らげたい、
そして、もっと救える命があるのではないかとの思いから、
麻酔薬の調合に苦心していました。
既に動物では成果を得ていました。
しかし、人間ではどうか?
通ってくる患者で試す訳にもいかぬ、
と悩んでいるところへ母、於継が自分の身体で実験をと言い出します。
これを聞いた妻、加恵は
自分こそがその役目に相応しいと言い始める始末。
どちらも自分を、と引き下がりません。
この両名の強い申し出に青洲は
偽って母に睡眠薬を与え眠らせますが、
妻のほうは、納得しません。
ついに、加恵に麻酔薬を飲ませる青洲。
加恵は人事不省となり、
その麻酔は成功したかに見えましたが、
加恵は失明してしまうのでした。
その罪悪感に苛まれる青洲。
痛ましくも加恵の世話をする青洲を見て暮らす於継は
自分が息子の力になれなかった事、
そして息子を加恵に奪われたことを嘆きながら、
亡くなってしまうのでした。
このような経緯を経て完成した麻酔薬「通仙散」。
折も折、青洲の妹、於勝に乳癌が見つかります。
ただ、当時、女性の胸は命だと考えられていました。
それは今のような比喩的な表現、
あるいは心理面での話ではなく、
乳房を切ることは、
その女性の命を奪う事だと考えられていたようです。
於勝の乳癌に手を出せないでいる中、
ある事故から胸を怪我した急患の女性が運ばれてきます。
今すぐ処置しなければ、この急患は命を落とします。
青洲は彼女の胸に外科的手法を用いる事にします。
やがて、彼女は回復。
それは女性の乳房を切っても、
それが命に繋がっている訳ではない事の証なのでした。
於勝の乳癌摘出手術に臨んだ青洲。
結果は成功。
この時、華岡青洲は、
世界初の全身麻酔による外科手術に成功したのでした。
こんなお話です。
あくまでお話ですので
事実とは違う部分が多いんでしょうけれど、
ご興味がございましたら、
一度、読んでみて下さい。
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この年が1804年。
二宮敬作の手術はその40年後ぐらい、
南方仁が飛ばされた先の時代だと、
60年後ぐらいになります。
でも、麻酔は使えませんでした。
華岡青洲はその後、
乳癌だけでも150例以上もの手術に成功しているというのに。
もちろん、これらの成功は日本中から入門志願者たちを呼び、
その弟子の数、1000人以上とも。
これほどの数の門弟がいて、
しかも長い年月が過ぎていながら、
なぜ、華岡青洲の「通仙散」は広まらなかったのでしょうか?
ここが華岡流が華岡流たる所以です。
「通仙散」の原料はトリカブトやチョウセンアサガオなど。
いずれも誤って服用すれば死に至る毒です。
これらを患者の体格、容態などを見極め配合する、
それは華岡流に学び
奥伝を授けられた者だけが知る門外不出の技。
だから、ペニシリンを製造できた南方仁も、
麻酔薬までは知識が及ばないのでした。
ドラマでも野風の乳癌の手術を行うのであれば、
医学所の"彼"の知識と技術が必要とされることでしょう。
ちなみに現在、医師免許があれば
どの診療科を掲げるも、その医師の自由な訳ですが、
唯一、麻酔科のみ、認定指導病院で、
2年以上、300例以上の全身麻酔症例を経験し、
厚生労働大臣によって認可された者のみが
「麻酔科」を標榜することが出来るそうです。
当然、南方仁でも麻酔薬の製造は不可能な訳です。
つまり、あの時代も、今の時代も、
麻酔薬は諸刃の剣だということですね。