不安ともの字と手をつなごうの話 | 考えてる途中。

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20160312_00
手をつなごう
作詞:柳達基 作曲:宅見将典


きのうは3月11日でした。

あのとき、僕は少し防災に携わる仕事をしていました。
必要な情報を発信する感じの業務。
現地からちょっとでも不安要素が少なくなってほしい。
落ち着いてほしい。笑顔が戻ってほしい。
そのために今できる仕事をしようと、自分なりに懸命だったように思います。

仕事が終わると、電飾がなくなって真っ暗になった町をすり抜け、
散らかった部屋に帰りつき、ぽつんと一人で深夜を迎えていました。
音楽とかお笑いとか、そんなもの楽しんでいる場合じゃありませんでした。
被災地の皆さんに普段の状態が戻ってくるよう、
自分の仕事に自分なりに懸命になっているつもりでした。

数日後、仕事場に、
現地の被災者から情報の一つとして写真が届きました。

「こちらも空が真っ青です。
 被災地でも、綺麗な青空が広がっています。」


単なる一般の方からの情報です。
本当に綺麗で真っ青な空が映っていました。
それ以外の情報はありませんでした。

でもその写真とコメントを見て、僕は救われた気持ちになりました。
直観的に、何に救われたのかの理由もわかりました。
「も」の字です。こちら「も」の、被災地で「も」の、「も」の字です。


気付いたんですよね。

その頃にTVやネットをみてると、
爆発だの酸性雨だの虚実おりまぜ様々な情報が入ってきて、
なんだか色々な物事が、終末に向かってるような気がしていたんです。
でも僕は、現地にいる人たちはもっと辛いだろうからと、
自分なりに懸命に何かをやろうとしてたんです。

そこで「被災地『も』綺麗ですよ」って言われて、
それはつまり僕の頭上『も』綺麗なのだなって気付いて。
同時に被災地『も』不安であるように、
僕自身『も』かなり不安なんだってことにやっと気付いて。

普通の生活は出来ていたのでわからなかったんですが、
終末感に参っていたのは自分も同じだったんですよね。
自分も不安なんだってことに気づくと同時に、とても楽になりました。
自分もこの時期を乗り越えたい仲間なんだってことですから。
繋がっていなかったものが、繋がった。
僕は都会で、被災地の人に助けられたんです。



「手をつなごう」の歌詞も、震災をもとに書かれたもの。
大丈夫だよ、力をあわせよう、というエール。
この歌の語り手の、手をつなごうと呼びかけてくる存在には、
強さという要素はそんなに感じません。解決主体じゃないんですね。
だって、ただ手をつなぐだけなんですから。

でも手をつなぐと、みんなだいたい同じくらいの目線の高さになるんです。
だから強さはなくても、解決しなくても、まず安心ができるんです。


そしてこの曲のMVの出来が本当に素晴らしい。
その魅力を読み解いてみようと思ったんですが、
方々で既に語られていたので先人に任せることにします。
勝手に辿り着いたので勝手にリンク貼らせてもらっちゃいますが、
楽坊主さんのブログとかわかりやすかったです。
http://d.hatena.ne.jp/rakubouzu/20130525/1369509727


あと、聞くならシングルや中人での手をつなごうも良いですが、
おもちゃビッグガレージの初回盤に同梱されたライブ盤CD。
こちらで聴くのもおすすめですよ。

シングル盤は少し声にエフェクトがかかり過ぎていて少しアレなんです。
ライブ盤もエコーとか手直しとかもあるにはあるんですけどね、
サビで皆で歌っている所の音の粒や音量の軽く不揃いな所とかが、
手を繋いでる人がちゃんとたくさんいる感じが見えてきます。
今からだと手に入りにくいのでしょうか?



まあ、そんなこんなで5年が過ぎて、次の1日。
未来へ。