誹謗中傷は、
感情の問題として語られがちだ。
怒り。
不満。
正義感。
ストレス。
だが、
それだけでは説明できない現象がある。
同じ人が、
何度も同じ場所に戻り、
同じ言葉を繰り返す。
一度叩いて終わらない。
次も、その次も、
関わり続ける。
そこには、
中毒性がある。
反応が返ってくる。
空気が揺れる。
存在感が生まれる。
それは、
快でも不快でもない。
刺激だ。
刺激は、
人を留める。
一方で、
その刺激に耐えない人間がいる。
声を上げない。
説明を求めない。
正しさを競わない。
ただ、
静かに離れる。
去る理由を残さない。
問題提起もしない。
被害者にもならない。
彼らは、
場が壊れたから去るのではない。
場が、
刺激を中心に回り始めた瞬間に、
距離を取る。
そこでは、
内容より反応が優先される。
理解より速度が重視される。
沈黙は、居場所を失う。
誹謗中傷が増えたのではない。
刺激に最適化された場に、
人が集まっているだけだ。
そして、
最も静かな人間から、
いなくなる。
この現象は、
誰かの善悪では説明できない。
構造の話だ。
刺激は人を集め、
人を消耗させ、
最後に、
何も残さない。
残るのは、
刺激に耐えられる人間だけ。
それが、
健全かどうかは、
別の問題だ。
ここでは、
観測された事実だけを置いておく。
誹謗中傷は、
声の問題ではない。
刺激に、
場がどこまで寄っているかの、
指標だ。