今日の一冊:「森田療法」


わたしたちは誰でも、心の中に不安や恐怖を感じながら毎日の生活をおくっています。
その程度は人それぞれ違いますし、自分自身の心の状態やまわりの状況によっても変わります。

わたしたちは通常、不安や恐怖を感じながらもそれを何とかやりすごすことができます。
しかし時には不安や恐怖にとらわれてしまって、体に不調がでたり人間関係がうまくいかないことがあります。
森田療法はそういった神経質(症)と呼ばれる心の状態から解放されるための方法です。

いまの日本では西洋医学の考えにもとづいた医療が一般的で、病気になったらまずその原因となるものをつきとめ、それを除去したり薬で対処したりします。
西洋の心理療法もそれと同じく、心の中にある不安や葛藤(かっとう)を分析し、それを「異物」として除去しようとするやりかたが一般的です。

森田療法はそれとは対照的で、不安や葛藤はわたしたち人間にとってあって当たり前のものであり、異常でないものを除去すること自体に矛盾があると考えます。
以前紹介した本「ネガティブな感情が成功を呼ぶ」に、
”わたしたちの人格の中には陰鬱であまり感心しない側面があるかもしれないが、それを消し去ることはできず、また消し去ることは健全でもなければ有益でもない” という文がありますが、それと全く同じことです。

不安や葛藤があって当たり前だというのは、わたしたちが生きるために必要な欲望の一部だからです。
森田療法では人間が生きるための欲望のことを「生の欲望」と呼び、わたしたち一人一人にそれぞれ個性があるように、この「生の欲望」も人によってありかたが違うといいます。

「生の欲望」は二つの側面をもちます。
ひとつは「よりよく生きようとする向上発展の欲望」であり、これはわたしたち人間が進化にともなって獲得した自己実現欲求といえます。
もうひとつは「死を避けようとする(生を求める)欲望」であり、これは命あるものすべてがもつ基本的な逃避欲求といえます。

不安や恐怖といった感情は逃避欲求の中に含まれます。
なるべく危険なことから身を遠ざけ、安全な場所にとどまることは生き延びるために必要な智慧です。
猛獣がうろついている森の中や真っ暗闇の中を歩くときには、不安や恐怖を感じることで体の知覚を研ぎ澄まし、いつも以上にまわりに注意深くなることで命を守ることができました。

現代のわたしたちの暮らしには、命の危険を感じるような状況は圧倒的に少なくなりました。
着るものも、食べるものも、住むところも、命にかかわる基本的な欲求はある程度満たされています。
そこで「生きる」という目的が満たされたいま、「よりよく生きる」という進化した目的ができました。
わたしたちは自分の命を守ることだけではなく、その命をどう生きるかを考える余裕ができたのです。

この二つの欲求はときにぶつかり、そこに葛藤が生まれます。
たとえば、人と話すのがあまり得意でないと思っている人は、好きな人に話しかけることができずいつまでも遠くから見ているだけです。
本当は自分のことを見てほしいし話をしたいのに、話がつまらないと思われたらどうしようかと不安です。
しかし話しかけて自分の存在を知らせたい、いいところを見せたいという欲求も同時にもっています。

わたしたちはさまざまな欲望に拘束されます。ここでは「とらわれ」と呼びます。
程度の差こそあれ、わたしたちはいつも何かしらの「とらわれ」に自由を制限されています。
たとえばお金を貯めることにとらわれていたり、権力を維持することにとらわれていたりすることもそうです。

そして「とらわれ」とペアをつくるのが「はからい」といわれる行動です。
自分のもっている「とらわれ」に基づいた処置を行う、つまり態度や行動をとります。
先ほどの例でいうと、人と話すのが苦手だという考えが「とらわれ」となり、話しかけずに遠くから見ているという行動が「はからい」となります。

「とらわれ」と「はからい」はわたしたちの生活のどこにでも現れます。
べつの例をあげると、友達に誘われて食事の約束をしたとします。本心はあまり行きたいと思いません。
すると行きたくないという素直な気持ちを歪曲し、自分の都合のいいように修正して納得しようとします。
「本当は行きたいけど、どうも昨日から風邪気味だし明日の仕事に差し支えるから今日はやめておこう」
こう考えると正当な理由があるような気がして、断りやすくなります。

「とらわれ」と「はからい」を使いこなすことによって、わたしたちは自分が現実から逃避することを合理化し、自分にとって都合のいいものにしてしまいます。


程度には差があるといいましたが、強い「とらわれ」は強迫観念や不安発作などを引き起こします。
「こうあるべきだ」という理想にとらわれている人は、その理想と現実が一致しないことに劣等感を感じます。
そして思いどおりにしようと努力すればするほど葛藤が強くなり、苦しむことになります。

「こうあるべきだ」という考えにとらわれている人は、自己実現欲求が人一倍強いといえます。
たとえば自分の中にある不安や恐怖を、完全にすっかりなくしてしまうべきだと思いこんでいます。
マインドフルに生きるためには雑念があってはいけない、成功するためには前向きでないといけないと思いこんでいます。

しかし不安や恐怖をすっかり取り去ることはできないし、人間の脳は同時にさまざまなことを処理するように機能しているので雑念が浮かぶのはむしろ正常です。


「とらわれ」と「はからい」を明らかにしたら、それを自分の逃避欲求として受け入れます。
そしてその逃避欲求をあるがままにしておいて、自己実現欲求のために行動します。
森田療法ではこれを「目的本位」といいます。

苦しいことがあって逃避をしたいと考えるときに、一歩引きさがって自分の本心を考え
「現実が苦しいから逃げ出す」のと「苦しいけれども目的を果たす」のとどちらが本当の考えかと自分に問いかけてみるのです。

たとえば、アナウンサーという職業にあこがれ専門学校で勉強を始めたとします。
しかしやってみると簡単ではなく、人前に出ると手や声が震えてうまく話すことができません。
そこで「自分には無理だ」とあきらめて他の職業を選択するか、それでもやってみようと思うかは自由です。

アナウンサーは人前で緊張しない人にしかできない職業だというわけではなく、キャリアのある人でもいまだに本番前は足が震えるという人もいるはずです。
それでもその緊張をあるがままにしておき、自分の役目を務めるためにカメラの前に出ていくのです。
「緊張してはいけない」「震えてはいけない」という「とらわれ」に振り回されて逃避してしまうことなく、自分の目的(ニュースを届けること)に注意を集中するのです。

この世のすべてのものは変化しています。今ある緊張や不安も一生つづくものではありません。
緊張や不安を打ち消そうと努力すればするほど、それに注意が集中してよけいに強めてしまうことになります。
自分の目的に注意を向けることで、放置された緊張や不安はいつのまにか自然に消えていきます。


人間は本来弱い生き物です。誰の心の中にも楽なほうを選びたいという欲望がひそんでいます。
自分を豊かに生かしていこうとするためには、そうした欲望をあるがままに認めたうえで、自分をよりよく生かしていく方向に踏み切るしかありません。


「生きている以上、何らかの苦悩を引き受けながら生きなければならないのである。病むことなく生きるということもあり得ず、刻一刻と老いていく道を歩んでいるのであり、そして死に至る存在である」

「そうしたことを「あるがまま」に受け入れればこそ、「今」「ここ」に生きている現実がより大切な時間・空間として我々の前に現前してくるのである」


森田療法 (講談社現代新書)