今日の一冊:「たまたま 日常に潜む「偶然」を科学する」


わたしたち人間の脳は、パターンを探しだすことが得意です。
あまりにも上手になりすぎて、そこにありもしないパターンまで見つけてしまいます。

以前「しらずしらず あなたの9割を支配する「無意識」を科学する」という本を紹介しました。
そのときにわたしたちの脳がどんなふうに機能して、見えてもいないものを実際に見えるようにしたり
聞こえなかった部分を自動的に埋め合わせたりしてくれるのかを説明しました。
(なにを隠そう、この本は「しらずしらず」の著者によって書かれています)

実際には存在しないパターンを見つけだし、それに意味を与えるのがわたしたち人間の本性です。
出来事ひとつひとつに対して、何か明らかな原因があると思いこむようにプログラムされています。
だからそこに、まさか「偶然」が関係しているとは思えませんし、思いたくはありません。

「偶然」というのは、わたしたちにとって得体のしれない怖いものです。
できればすべては方程式さえあれば解ける問題で、そこには法則があるはずだと信じたい。
そうすれば未来はわたしたちが予測ができる安心・安全なものとなります。
そこに「偶然」という予測できない要素を加えて、不安定なものにしたくありません。

けれど現実はわたしたちの希望どおりにはなっていません。
「偶然」はわたしたちを取りまくすべてにおいて、欠かすことのできない要素なのです。

わたしたちはよく、成功を支配しているのは個人や製品に固有の特質だと考えることがあります。
たとえば、ある車がよく売れているのは質がいいからだ/ユニークなデザインだからだ、とか
この人物が大金持ちなのは頭がよくて才能があるからだ、といった考え方がそうです。

実際にそういった特質が成功するための要素であることは事実です。
しかしそれは「偶然」と同じく、成功をつくりあげるひとつの要素にすぎません。

質は高いのに全然売れない本や映画、能力はあるのに無名の歌手や画家は世の中にごまんといます。
そのなかでどうやって一部の個人や製品だけが選ばれて成功するのでしょうか?
それはランダムで小さな要素「偶然」が同時発生することによります。

本のなかで紹介されている実験を例にあげて説明します。
インターネット上の音楽市場で、聞いたこともないバンドの知らない曲をおよそ50曲聴きます。
そしてそれぞれの曲にランキングをつけ、気に入った曲はダウンロードします。
実験に参加する人は8つのグループに分けられ、それぞれのグループ内で人気の曲(他の人がダウンロードしている曲)は表示されます。

もし成功を決める要素が製品そのものの特質だとする考えかたが正しいとすれば、8つのグループそれぞれにおいて同じ曲が他の曲より売れてもおかしくありません。
しかし結果はそうではありませんでした。
それぞれのグループで人気の曲はバラバラ、あるグループでは1位だった曲が他のグループでは40位です。
そして何かのきっかけではじめにダウンロードされた回数が増えた曲は、その人気がグループ内のほかの人にも影響を与え、人気がどんどん上がっていきました。


実際に売れた音楽や本、成功した計画に高い質を見つけるのは簡単ですし、成功した人をヒーローにするのは簡単です。
そして本にならない原稿や、何かの世界でもがき苦しんでいる人に足りない部分を見つけるのも、失敗した人を軽蔑するのも簡単です。

しかし、これから売れる製品や成功する計画、あるいは自分の成功すらわたしたちには予測できません。

”ランダムネスの研究は、出来事における水晶玉的見解は可能だが、残念ながらそれができるのは唯一、出来事が起きてからであることを教えている”

ある映画がなぜ売れたのか、なぜ選挙に勝ったのか、なぜ株価が下がったのか、、、
そこにパターンをみつけ理解したと信じていても、その知識は未来の予測にはほとんど役に立ちません。
役に立たないだけならまだしも、ありもしないパターンの存在を信じることでわたしたちは現実をそのまま理解することができなくなっています。
ひとたび何かしらのパターンが見えてしまうと、なかなかそれが頭からついて離れません。

わたしたちは自分が持っている先入観を裏付ける証拠を優先的に探し求めるだけでなく、あいまいな証拠を自分の考えに有利になるように解釈してしまいます。
たとえば、何かのきっかけで新しい隣人があまり友好的ではないと判断すると、それ以降はそのように解釈できそうな隣人の行動や態度ばかりが頭にのこり、それ以外は簡単に忘れてしまいます。

ある実験では、死刑を支持する学生と反対する学生グループに、死刑の有効性についてのいくつかの学術論文を読んでもらいます。
論文の半分は死刑には犯罪の抑制力があるという考えを、もう半分にはその考えを否定する意見を主張しています。すべての論文を読んでもらい、どの論文にも評価をつけてもらいます。

結果は、すべての学生が自分がもともと持っていた考え(死刑に賛成/反対)を支持する論文を高く評価し、結果的に自分の信念がより強化されたと報告しました。
すべての学生が同じ論文を読んだにもかかわらず、だれひとり自分の意見を変えることはなく、それどころかこのふたつのグループは両極に分かれてしまったのです。

こういったわたしたちの頭の中にあるバイアスが、現実をそのまま見ることをできなくしているのです。

それでもわたしたちは、自分の中にあるバイアスを自覚することができます。
自分の脳のはたらきを理解し、先入観や偏見による直感的誤信におちいらないようにすることができます。
自分の解釈に「ほんとうか?」とたずね、誰かの予言を「根拠は?」と疑うことができます。
未来の出来事を予測する能力をあげるよりも、起こる出来事に対応する能力をあげることができます。
そして誰かを評価するとき、その人の過去の業績よりも、いま直接感じる印象を大切にすることができます。

才能がある人が成功するとは限りませんし、成功は才能がある人だけにおとずれるとは限りません。
もちろん才能は成功の確率をあげるための大切なひとつの要素であると言えます。
しかし忘れてはならないのは、その方程式の中には別の要素「偶然の役割」があるということです。

わたしたちにできることは、コントロールできない「偶然」を否定するのはやめて
成功のほかの要素、たとえば打席に立つ回数、危険をおかす回数、チャンスをとらえる回数をコントロールすることです。
そうしているうちに「幸運にも」偶然がその役回りを演じてくれるはずです。

「もし成功したければ、失敗の割合を倍にしろ」、そのとおりですね。


たまたま―日常に潜む「偶然」を科学する