日々精一杯 ~自分との対話~
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過去

若いときは色々なことをやったって言葉を聞くと胸が締め付けられる。

高校生のときは、友達と遊ぶこともなく学校以外はほとんど引きこもっていた気がする。

これまでの人生の中で1、2を争うくらいクソみたいな時代だった。

若い頃が楽しかったって言葉を聞くと、その時代を楽しまなかったおれの人生は、

すでにつまらないものなんじゃないかって思えて悲しい。

まずはその感情を受け入れよう。おれは悲しさを感じている。

そしてこの思考の原因として考えられるのは、自分にやりたいことがないこと。

自分のやりたいことがないから、他人がやりたいことをやりたい。

他人がやりたいこと(若い頃が楽しかった)ができていないから、

今こんな感情を感じている。

まずは、自分と他人の境界をはっきりとさせよう。

今は、他人がやりたいことが自分がやりたいことになっている。

そして自分が本当にやりたいことを見つける。

好きって?

好きって何だろうか。

条件付きのもの?

かわいいから、優しいから、料理がおいしいから、お金持ちだから、・・・

でも、思いつく条件を考えても、直接的に好きに結びつかないんだよな。

どちらかというと、一緒にいて何となく心地良いといった、

ぼんやりしてて感覚的な条件。

自分にとっては、目に見えなかったり、言語化できない条件の方が強いと思う。

自分にとって、これで良いのかはまだ考え中だ。

あら探し

他人のあら探しをしてしまう問題がある。

今、目の前におしゃれな人がいたとする。

そのとき、例えば歯が出てるとか、目が小さいとか

どんな小さなことでもいいから欠点を探してしまう。

これをやる心理として考えられるのは、

自分より優れた人を見ると、劣る自分は存在してはならない気がするから。

その感覚を避けるため、ある意味で自分を守るために、相手の”あら”を見つけて、

自分と同じ位置まで引き下ろそうとする。

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解決のために

根本的な問題は、他人より1点でも劣る自分は存在する価値がないと、

心が感じてしまうこと。

人間である以上それはありえないこと、

また、自分を落とすために他人と比較することが無意味であることを、

心から理解することが重要だと考える。

そして、他人より劣る点がたくさんある自分でも存在して良いんだと、

心から感じることができるようになることが重要だと思う。

そんなありのままの自分をまずは受け入れて、

それから成長していけば良いんだと思う。