テレビというのは、つくづく時間を潰すのに便利な道具だと思います。
受け身ながら、簡単に情報を手にいれることができるという意味で有用ですが、
ある程度意思を持って見るようにしないとどんどん時間が過ぎてしまいます。

実家に帰ってテレビを見ているとそう思います。

一人暮らしのマンションにはテレビがなく、普段は見ないのですが、
実家にいると、リビングでテレビが一日ついているのでついつい見てしまいます(部屋が暖かいので長居したくなるのも原因の一つです)。

この時期は、一年のニュースの振り返りと、普段は新聞で読んでいるニュースがテレビでどう扱われているかを知るという目的で、ある程度は見る必要があると思っています。

逆にそれ以外は極力見ないようにコントロールしていく必要があります。
いつもと違う環境なので、いつも以上に注意しなければと思いました。
今日は、卒業した大学の研究室に顔を出して来ました。
教授が還暦を迎えられるとのことで、一言お祝いを、と思ったのですが、都合が合わず直接お会いすることはできませんでした(行く前からわかってはいましたが)。

出勤していた准教授や助教の先生に挨拶し、近況報告の後、最近の研究室の様子を案内してもらいました。
2年半もたっていると、人の入れ替わり含め、随分様子も変わっていましたし、
昔私がやっていた研究が、いろんな方向に発展したりしていて、
驚きも感じました。


当時は指導教官の指導があまりなく、孤軍奮闘という感じで、かなり苦労した思いがありますが、
これも結局のところロールモデルの欠如だったのかも、と思いました。

というのも、今日、助教の方から仕事のやり方、つまり研究の方向決めやデザイン、また研究室のマネジメントの方法を聞いて、
あぁ、こういうふうにやっていけばよかったんだな、と思ったからです。
そのときの立場では、実際にやるのは難しいこともあるのですが、
一つの目指すべき理想のかたちとして知っていればだいぶ楽だったと思います。

そういう意味で、今見えている世界だけから正解を探すのではなく、
外に出ていくことが重要であると言えるのだろうな、と。
今日は、このブログを始めるきっかけになった
セミナーの忘年会に参加しました。

お互いの近況報告と来年の目標のコミットメント(!)をしました。

皆さんいろいろ変化があるようで、それぞれ頑張っている様子が
直に感じられて、私も頑張ろう!という気になりました。


さて、忘年会の中で、だいたいブログを始めてから50日くらいになった
という話題が出たので、これまでどんな内容を書いてきたのかを少し見返してみました。

まだまだ一貫性がなく、内容の質もまちまちですが、
これまでブログが続かなかった身としては、いろいろ書いてきたな~という感慨があり、
また、これまで考えたことが文章として残っている
ということは、すごくいいことだと思いました。

書いたものの中には、書いたことをしっかり覚えているものもありますし、
逆に、こんなことを書いたっけ?というものや
そういえばこのときはこう書いたけどちょっと忘れてたな~
というようなものもあります。

書いたことを忘れていたものは、もし書いていなければそのときそう思っただけで、
その後2度と思い出さないかもしれませんが、
文章として残しておけば、こうして見返すこともできます。

また、書いた当初は「種」のレベルでしかなかったネタを
もう一度取り出してきて「芽」を出させたり、「花」を咲かせたり
と、その内容を深めていくこともできると思います。
(これはまだやっていませんが、そのうちやってみたいと思っています)

まだブログを書くことを意識してやらなければならない段階にいますが、
こうして続けることの楽しみ、メリットを再確認することで
書くことの習慣化が促進されるのでは?と思います。
「小さな会社のブランド戦略」という本を読んでいます。
いくつか心に留まった言葉があったので、そのうちの一つを紹介します。


PARCOのコピーに
「昨日は何時間生きていましたか」
というものがあるそうです。
(実家周辺にPARCOはなかったのでこれまで知りませんでした。。)

1日は24時間なので、単純に考えれば「24時間」という答えになりますが、
もちろんそういう意味ではなく、

昨日過ごした時間のうち、
自分のミッション、実現したいことにつながることを行った時間がどれくらいあったか?
ということだと思います。

もしくは、後悔しない時間の使い方がどれくらいできたか?
と言い換えてもいいかもしれません。

日々の雑務に追われるだけでなく、
あちら側の世界に杭を打ちに行く、
ということを意識するためにも、この言葉を一日の終わりに
自分に問いかけてみようと思いました。
これをやったら、こんなことを言ったら
周りの人からどう思われるかな?と気にし始めると
自分が本当に思っていることが言えなくなります。

そうではなく、人は人、自分は自分と思えばいいわけで。