昨日の新聞で「ひとり飯」についての考察記事を読みました。
主に外食の場面を思い浮かべながら読んだのですが
家族の形が変わったことや生活スタイルの変化だけでなく
近年で最も大きな影響は
コロナ禍で広がった“黙食”
黙食は感染対策として仕方なく生まれた習慣でしたが
結果的に「コミュニケーションのない食事」
というスタイルを社会全体に広げてしまったのかも
しれません。
記事にはひとりで食事をすることを表す言葉が
いくつか並んでいました。
個食、孤食、ひとり飯、ソロダイニング、ホンパブ……
同じ“ひとりで食べる”という行為なのに
言葉によって受ける印象がずいぶん違うなと感じました。
ひとりで食事をとることは
必ずしも寂しいわけでもかわいそうな場面とは限りません。
むしろ最近は積極的にひとりで食べることを選び
自分の時間を楽しむことを優先するスタイルが
社会的にも受け入れられるようになってきたと感じます。
私自身会社のお昼休みは同僚とおしゃべりしながら
食べることが多いので
たまに一人になりたくなることがあります。
静かに過ごしたいとき、読んでいる本の続きを読みたいとき
家のことを考える時間にしたいとき…
そんなときはひとりで食べるほうが心が落ち着きます。
本当は一人になりたいけれど言い出せなくて
つい周囲に合わせてしまう自分が少しお人よしだなと
思っていたと
記事には社会学の教授のコメントがあり、
「食の環境が変化する中、
共食でも孤食でもない食の形式といえる」
と書かれていました。
そこにはSNSの存在が大きく影響しているのでしょう。
ひとりで食べていてもSNSと“対話”
一人のようで一人ではない食事の時間が生まれているのだと思います。
子どもの成長期には、食事を通じた周囲との関わりが
情緒の発達にとても大切だと私は思っています。
その価値は今でも変わりません。
でも十分に発達した大人になってからは
「誰と食べるか」よりも「どう食べたいか」を選ぶことが
自分を尊重するひとつの方法になってきているのだと感じます。
ひとりで食べることも、誰かと食べることも
そのときの自分が心地よいと思えるスタイルなら
どちらも豊かな時間。
価値観が多様化した今
“正しさ”をひとつに決めるよりも
その日の自分に合った食べ方を選ぶことが
健やかな食事のあり方なのかもしれないなと
多様化の理解の一つとして受け止める機会になりました。