”雑談”という言葉を聞くたびに気持ちが少しざわつきます。
たくさんの人が集まる場、職場の懇親会、

久しぶりに会った顔ぶれとの食事等・・・
気を遣いながら、和やかに振る舞わなければと

自分に言い聞かせながら
内心では何を話せばいいのか分からなくて、
沈黙の気まずさにばかり気を取られてしまうからです。

そういった場面が、どうにも苦手です。
先日の記事にも書いた親族の集まりの時にもそうでしたが

逃げ出したい気持ちになりながらも、年齢的にも立場的にも
そういう態度を取るわけにもいかずに

気持ちだけがざわついてしまいます。
きっと「雑談力」という言葉がついてまわる場面なんだろうな

と思います。

そんな私が見つけた本が
五百田達成さんの『超雑談力』という一冊でした。

開いてすぐの前書きに

もうすでに「これ、私のことでは」と思ってしまいました。
「超苦手な人にも、解決策はあるのです」とやさしく

語りかけるように始まっていて
早くも若干ほっとした気持ちになりました。

雑談は普通の会話とは違う、というのは

どこかで聞いたことがありましたが、
「で、どうすればいいの?」という気持ちのまま
苦手意識だけが残っていたように思います。

この本には、雑談とは

「微妙な間柄の人と、適当に話をしながら、なんとなく仲良くなる」
という、独特の距離感が必要な会話なのだと書かれていました。
そう言われてみると私は人と話すとき、
つい何か意味を持たせようとしてしまいます。
質問を用意したり、相手を楽しませなければと意識しすぎて
結果、肩に力が入りすぎていたのだと気づきました。

リアクションだけでもいい、話題が尽きたら
自分の近くにあること・・・自分の体験や気持ちに引き戻せばいい、

というのも目からうろこが落ちるような思いでした。
沈黙は話題が遠くに行きすぎているサイン。
それを「失敗」と受け取らなくてもよいのだと思えたことで
安心度がぐっと増した気がしました。

また、雑談の場では無理にでも明るくしなければならない

という思い込みも自分の中にあったようです。
でも、「そのままでいい」と書かれていたことで
これもまた肩の力が抜けるような感覚がありました。

読み終えて思ったのは、
自分が勝手に「雑談とはこうでなければ」と構えていたことです。
少し距離を詰めるための潤滑油のようなものだと考えれば
そんなに怖がる必要もないのかもしれないと少しずつ思えてきました。

とはいえ、正直なところ、
そこまで親しくならなくても・・・と、

どこかで思ってしまう気持ちもあります。
人間関係をむやみに広げたくないという感情が
自分の中にあるのも事実です。

でも、あとがきに書かれていた
「雑談がなければ出会えなかった人がいる」という言葉には
妙に心が動かされました。
著者自身ももともと雑談が苦手だったということ。
だからこそ、ここで語られていることが嘘ではないと感じられました。

私も少しずつでも、行ったり来たりできたりできなかったりしながらも
雑談に対して身構えすぎず、自然体で向き合う練習を

していこうと思います。
気負わずに、話しかけられたとき、話しかけたいと思ったとき、
その場の空気に少しだけ身をゆだねてみたらどうなるんだろう?

思いがけないご縁が、そこから生まれることも
あったらうれしいです。

たかが雑談、されど雑談、肩ひじ張らずとも奥が深いと思いました。