高齢の叔母が急に介護が必要な状況に
なってしまってもうすぐ2か月が
経とうとしています。
独身の叔母は
頼れる家族がいないので
日常的に近くにいてあげられる人が
いないため
近くに住む私たち家族と兄弟とで
緊急家族会議を開き、
全員が介護知識がないところから
何をどうすればよいのか混乱のスタートでした。
介護はある日突然やってくる
というのは本当でした。
幸い介護業界で働いている友人がいたので

今の混乱している気持ちを聞いてもらい

少し落ち着くことはできたものの、

色んな知識を持っている友人でも

「こうするといいよ」

と、明確な答えが出しにくいのが

介護の世界なんだということを

初めて知りました。

様々な方法、支援スタイルがあるけれど

介護を受けることになる人の体調、

家族の支援状況、そして経済面など

いきなり専門家にアドバイスを求める

のではなく、

まず、家族が

何をどこまでできるのか

本人、家族がどうしたいのか

というあたりを整理しないことには

何も始まらないいなんて

全然知らないことでした。

恥ずかしながらこのあたりの知識が

全くなかった私、そして家族だったので

緊急家族会議をするも

この大事なポイントに行く前に

それぞれの想いを共有しあうだけでも

だいぶ時間を要してしまいました。

これが親ではなくて叔母であるから

なおのこと、

私たちが知らない叔母の日常を

どこまで受け止め、尊重し、

どう反映させてあげたらよいのか、

本人にどこまで了承してもらえば

よいのか、

希望を聞いていたらきりがないことも

含めてとてもとても悩みました。

その後、地域包括センターを通じて

情報を整理しながら

ようやく叔母に安心して過ごしてもらう

環境を準備することができたのでした。

 

こうやって介護という一大事を乗り切るために

家族同士で話し合いができる関係性を

普段から作っておくことの大切さも

痛感しましたし、

何より、

叔母は独身だったこともあり定年退職まで

勤め上げた立派なキャリアウーマンだったので

経済的にはとても余裕がある人ですが

お金があることで選択肢がぐんと広がった

のは本当に幸いなことだったものの、

私たちのような、周りで叔母のことを

考えて動くことができる身近な人が

いなかったら、何も話は進まなかったと思うと

どんなに裕福でも、どんなに人を頼らないと

いう強いタイプの人でも、

誰かに、どこかで、必ず助けてもらう

場面はあるのだなということを

つくづく感じました。

叔母には家族はいないけれど、

大親友のお友達がいます。

そのお友達も今回私たちと一緒に

叔母のために何ができるか、どうすればよいか

考えてくださいました。

そう考えると

独りで生きていく強さというものを

少なからず私は目指していたところがあった

のですが、

友達、親戚の存在というのは

永く生きていくうえで大切にしなければ

いけないのだなということを考えさせられ、

友達の少ない私は

叔母より大変な老後になってしまうかも

しれないなという危機感も少し感じた

のも正直な気持ちです。

 

親の介護、叔母の介護、その生き方を

通じて学んだり考えたりする毎日です。