周囲の方たちから相談を受けたとき、
何か力になれることはないか、
その人にとって良い方向になるには
どうしたらいいか
という想いがわいてきますが、
私の場合、その想いが強くなる時こそ
注意信号だなと思っています。

少し前の私はそういう状況の場合、
アドバイスをしたくなってしまう、
何とかしてあげたい、
そういう気持ちから
相談をしてきた方の熱量を上回って
しまいそうになる、
いわゆる
おせっかい
に近い状況になってしまっていたと
思うのです。
今振り返ると
多くは相手の腑に落ちていなかった
対応だったのではないかと思います。
時には意に沿ったこともあったかもしれませんが
おそらく私の話を聴いたうえで
違う選択をしていたのだろうなと
思うのです。
そうなると私としては
「せっかくいいと思ったのに」と
おせっかいスイッチが発動して
自分がよいと思った行動をとらなかった
相手の人に対して
複雑な気持ちになっていたのでした。
当時の私は相談に乗っていたようで
全然相談には乗れておらず、
私の価値観の押し付けになっていたなと
今はよくわかるし反省しています。

そこから”傾聴”を勉強するようになって、
自分なりに振舞を改めたりして
昔のようなおせっかいな言動は
少しずつ減らすことができてきているかなと
思っているのですが、
今度は新しい気持ちが芽生えてきて
いることに悩んでいます。
それは、
頼ってくれた私の器、知識、技量などが
全然足りていないがために
せっかくの期待に応えられていないという
自己嫌悪です。
わざわざ「私に」声をかけてくれたのに
という申し訳なさが出てきてしまって、
「こんな私でごめんね」
となってしまうことが度々あり、
なぜこんな風になってしまうのかと
思ってしまうのです。

そんなときにある方の一言が
今自分の中で反芻されています。
それは
「相手を信じる」
ということ。
私が相手のすべてを変えることはできないし、
変わろうとしている相手の力を信じるということ。
未熟な私から何か得てくれることも
あるかもしれないし、
逆に未熟な私が反面教師になっていることが
相手の収穫になっているかもしれない。
その方の相談事を解決する相手は
私一人とは限らないし、別の人を頼って
いるかもしれない。
相手の人はその人なりに考えていることを
信じて、
私一人で何とかしなきゃ、という思いは
もしかしたら不毛なのかもしれない、
とも考えられるようになってきたのです。

何をもって「役に立つ」と言えるのか、
その方の一言を機きっかけとして
内省をしている今日この頃です。