今年に入って新たに読むようになった
喜多川泰さんの本です。
昨年出版されたばかりの新しい本。
そのタイトルから
若い人が主人公のお話かなと
思っていましたがミドルエイジの男性の
父親の人生を評して出てきた言葉で
あったことに、
読み終わった後の「がんばった」の
意味の重さを感じています。
自分にとって良い思い出がない子供時代を
絶縁した父親の存在も含めて記憶から
消していた中学教師の主人公でしたが、
生まれ育った愛媛県の県警からの連絡で
実父が亡くなったことを知り、
唯一の血縁家族として対応しなければ
ならず、故郷に帰ることになりました。
当時父親から逃げるように母親と家を
飛び出してきてから実に38年ぶりに
過去と向き合うことになります。
そこで出会った人達を通じで
消し去っていたはずの父親との記憶を
蘇らせたり、知らなかった一面を知る
ことになったりしていくことで
父親なりの家族への想いや
父親の生き様をわかるようになり、
自分の過去の経験に対する感情を
少しずつ書き換えられるようになり、
達観し、ねぎらえるようになった時に
出てきたのが
「よくがんばりました」
という言葉だったのです。
それは同時に、主人公自身の心をいやす
ココロの雪解けの時間であり、再生の
時間でもあったようでした。
読み終わった今、私の長年自問自答している
【許す、ってなんだろう】
の一つの考え方にもつながるように
思いましたが、同時に物悲しさと複雑な想いも
交錯していています。
この本からもいくつか印象的だった
文があり、私自身の日々の生活を
より豊かにできそうなヒントを
もらいました。
”明るいという字の意味を知っているか。
日は最初は窓という意味があって、窓から
月明かりが差し込むイメージがある。
【明らかにする】とは、まぶしい光を
ピカピカあてて白日の下にさらすような
アラを探すのではなく、
月明かりの下で全体像をぼんやりと
とらえるくらいの目線で見るのが
ちょうどいい”
※私の要約なので原文は少し異なります
”自分は光が当たっているこちら側しか
見えていない。違うところから光を当てれば
違うところが見える
※これも私の要約
自分の知っていることがすべてではない
知らない人生物語もあるのだという諭と理解
”人間の凄さっていうのは、すべての人が
その人の人生を懸命に生きているところ
にある”
”人は自分の声を一番たくさん聞きながら
「今、ここ」を一人一人が一生懸命生きて
いこうとしている”
自分が見えている側の景色だけで判断を
するのは”もしかしたら”違うのかもしれない。
本人にしかわからない事実がある。
そして、”許す”とは、私自身の”執着”を
捨てることかもしれない。
どうしても捨てるに捨てられない執着を
悪者にせず、ずっと大切にしてきたものだと
ほめてあげることができたとき、
許すことに昇華できるのかもしれない。
私にも過去を許せるときが来るのかな…
そんなことを読んだ後に
じんわり胸の中で繰り返しています。