機会があるごとにゴッホとゴーギャンの絵を見てきて、だんだんと絵そのものを見られるようになってきたと思います。
そして今回の展覧会では、
「なんて美しい」
「なんてすばらしい」
という言葉しか殆ど出てきませんでした。
ずいぶんと前のことですが、オルセーでゴッホやゴーギャン、そして彼らに続いた画家たちの絵を見た時にある疑問を感じました。
跡を追った画家たちの絵も確かに美しかったけれど、「きれいなだけ」と感じてしまうものが多かったのです。
確かに似たようなテクニックを使ってはいるのですが。
この違いは何なんだろうとずっと考えていて。
哲学があるかないかの違いだと言えば確かにそうなのでしょうし、気持ちがこもってないとか言ってしまえば簡単なのですがね。
一つには、元祖がその描き方や色彩の使い方をした時それは冒険だったけれど、習った者が同じことをすれば、それは安全な道にすぎないということでしょうか。
安全な道をたどる筆と冒険している筆は自ずから異なる、と。
もし私があの時代に生きていた人間だったら。
今のように、彼らの作品を美しいと思えるでしょうか。
それとも、ショックを受けるでしょうか。
悪趣味だと思うでしょうか。
彼らの絵があったから、人々の眼は拓かれたのでしょう。
最初はショックを受ける人が多かった。
けれども専門家たちが高く評価し、一般の人々の眼にも触れるようになっていった。
新しい美学として紹介されていった。
影響を受ける人々が出てきた。
その人たちを介して、新しい美学はますます広がっていった・・・
デザインの分野にまで。
その頃、無論彼らはとうの昔にこの世を去っていたのだけれど。
今私たちが彼らの絵を掛け値なしに美しいと感じられるのは、時間をかけて、人々の眼が拓かれていったからでは。

