トヨタ自動車・豊田会長は、年商200億円の「伊那食品工業」の塚越寛さんを「私の師」と発言! | think to careerのブログ

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「スゴロクで学ぶユーチューブ」100回目を公開しています。

 

このゲームは、トヨタ自動車・豊田章男会長が「塚越さんは、私の経営の師」と称賛した寒天メーカー・伊那食品工業・最高顧問 塚越寛さんが主人公です。

 

『評伝 伊那食品工業・塚越寛 会社はどうあるべきか 人はどういきるべきか』を参考図書に制作しています。

 

 

主なゲームの内容は

1 結核で父・姉・兄を亡くし、貧しい生活

 

2 伊那食品工業に出向、従業員のための会社の実現

 

3 従業員の努力で業績が向上、全従業員で海外旅行

 

4 寒天業のビジネスを改善、理想の姿を提案

 

5「かんてんぱぱ」が大ヒット、ファンの拡大

 

6 塚越さんの経営理念に注目、多くの経営者と交流

 

7 景気や市場の変化に左右されず成長『年輪経営』

 

・・・になります。

 

 

1937年 塚岸さんは、6人兄弟の4番目として長野県・駒ケ根市に誕生します。

 

高校2年の春、肺結核に感染します。

 

当時「肺結核」は不治の病とされ、すでに家族3人が結核でなくなっていました。

 

 

1957年 肺結核が完治します。

 

就職活動を開始するも門前払いでしたが、母の友人の紹介で製材会社に就職します。

 

1年間事務の手伝いをしたのち、社長指示で伊那化学寒天(現・伊那食品工業)」に出向、21歳で実質的な社長業を担当します。

 

 

出向した会社の生産現場は、何もかも滅茶苦茶でした。

 

寒天の製造作業は大半が手作業で、床は水浸し、おまけに海藻を煮るとすさまじい臭いがしました。

 

儲からないうえに、ひどい職場環境でしたが、「心地よく、働き甲斐があり、従業員が辛い思いをしない会社の実現」を目指します。

 

黙々と働いてくれる従業員のため、利益を追求します。

 

 

塚越さん自らお金をかけず、効率的に寒天を作る方法の研究に取り組みます。

 

倒産という言葉がいつも目の前にあり、必死で企業経営します。

 

1981年 独創的な商品=80℃のお湯を注ぐだけで寒天のできる「カップゼリー80℃」を発売します。

 

「カップゼリー80℃」は「かんてんぱぱ」のブランド名で販売、大ヒットします。

 

 

2004年、塚越さんは『いい会社を作りましょう』と題した本を出版しました。

 

会社の目的は、会社の成長ではなく、会社で働く社員の「幸せ・楽しさ」の追求だとします。

 

会社は大いに利益を追求すべきだが、その目的は社員の幸福の達成だとします。

 

 

この本が多くの経営者の目に留まります。

 

その影響で、経営について塚越さんと話をしたいと、日本を代表する企業の経営者が伊那食品工業を訪ねてきます。

 

 

2009年に出版された『リストラなしの「年輪経営」』がきっかけで、塚越さんへマスコミからの出演依頼が増加します。

 

2013年、トヨタ自動車・豊田章男社長が伊那食品工業の塚越会長を招き歓談します。

 

この出会いから、豊田章男社長はトヨタ自動車の労使協議会で「私に“年輪経営”を教えてくださった塚越さん」と称賛します。

 

「塚越さんの経営哲学」は巨大企業のトヨタグループにも影響していきます。

 

 

このゲームでは、従業員を最優先に、「厳しい環境に負けず、心地よく、働き甲斐があり、従業員が辛い思いをしない会社の実現に取り組んだ塚越さんの働き方」を学べます。