今年も、年末年始「ビジネス成功者の仕事ゲーム」を制作していました。
正月も頑張り、「ビジネス成功者の仕事ゲーム」第39弾、《働くことが誇りになるファミリーマート店の実現》澤田社長さん編が完成しました。
ご存じ方の方も多いと思いますが、澤田さんは伊藤忠商事を退社してファーストリテイリング社=ユニクロに在籍していた方です。
『職業 挑戦者 澤田貴司が初めて語る「ファミマ改革」』を参考文献に制作しています。
澤田さんは運動神経に優れ、上智大学に入学するとアメリカンフットボール部に入部、キャプテンを務めます。
就職先に総合商社を志望しますが、アメフトに打ち込んだせいで成績的に合格は無理でした。
諦めかけていると、伊藤忠に在籍するアメフト部先輩から入社の誘いがきます。
就活で体育会系学生が有利の時代でもあり、先輩の支援もあって1981年に入社します。
伊藤忠では化学品部門に配属されます。
入社12年目、転機が訪れます。
アメリカのセブン・イレブン再生プロジェクトのメンバーに選ばれます。
このプロジェクトを通じ、小売業こそ伊藤忠が目指すべき方向と確信し、社長宛に小売業進出の提案を行います。
しかし、小売業進出案は採用されず、1997年伊藤忠を退社します。
人材紹介会社を通じ、ユニクロを運営するファーストリテイリング社に入社します。
ファーストリテイリング社長の柳井さんに評価され、入社1年半で副社長に昇進します。
さらに、柳井さんから社長就任代を打診されます。
澤田さんの評価がそこまで高くなったのは、都心型店舗・原宿店でのフリースブームです。
ユニクロのフリースは、1998年200万枚、1999年850万枚、2000年2600万枚と、驚異的な販売数を記録します。
ファーストリテイリング社の売上は、1998年の831億円から2001年4185億円に拡大します。
しかし、この爆発的ヒットにより、「ユニクロ離れ」が起きます。
誰もがユニクロ商品を着ていることに嫌気を感じ、購入を控えます。
フリースブームの反動から2003年売上は3100億円に低下します。
業績低迷により、澤田さんは柳井さんから厳しく責任追及されます。
精神的に追い詰められるほど、叱責を受け続けたようです。
澤田さんは社長就任の申し出をことわり、2002年にファーストリテイリング社を退社します。
ファーストリテイリング社を退社後は、自ら企業支援の会社を設立して活動します。
スーパー・ダイエーの再建などの提案も行っています。
2016年、古巣の伊藤忠からファミリーマート社長就任の要請を受け就任します。
このゲームを通じ、一度退社した会社から再び協力依頼が来るというケースについて、どのような経緯だったかを学ぶことができます。
社長就任後は、オーナーや店舗スタッフの働きがいいを感じる店づくりを目指し経営に取り組んでいます。
コンビニの24時間営業の見直しにも積極的です。
ファミリーマートを、やりがいを感じる職場にしようとしています。
ゲームを通じ、働く人が誇りを持てる職場づくりへの取り組みについて学ぶことができます。