海外移住をすると、「現地の言葉を勉強しましょう」「積極的に人と交流しましょう」「努力すれば仕事が見つかります」と言われることがあります。
もちろん、海外で暮らす以上、現地語を学ぶ努力は大切です。
新しい社会に適応するために、自分から動くことも必要でしょう。
でも、実際に海外で暮らしてみると、私は何度もこう思いました。
「努力だけでは、どうにもならないこともある」
私は日本で博士号を取得し、中学校や高校で教師として働いていました。
ところが、海外に移住すると、それまで積み上げてきた学歴や職歴が、そのまま評価されるわけではありません。
言葉が通じない。
日本での職歴が現地では分かってもらえない。
移民として就職する難しさがある。
そして、就職支援を受けても、最後には「もっと努力したほうがいい」と言われる。
そんな経験を重ねた結果、私は一度、現地語の勉強をやめることを決めました。
ただし、最初から働くことを諦めていたわけではありません。
むしろ最後には、
「よし、清掃の仕事に応募してみよう。何もしないより、まず働いてみたほうがいい」
と、かなり前向きに考えていました。
その直後に、コロナ禍が始まったのです。
海外移住すると、日本でのキャリアはそのまま通用する?
海外移住を考えるとき、多くの人が気になるのが、
「日本での学歴や職歴は、海外でも評価されるのか?」
ということではないでしょうか。
私の場合、日本では博士号を取得し、中学校や高校で教師として働いていました。
もちろん、自分のキャリアを特別に立派なものだと言いたいわけではありません。
でも、長い時間をかけて学び、専門性を身につけ、仕事をしてきた経験があります。
ところが、海外に移住すると、その経験が簡単には伝わりません。
何より大きかったのが言語の壁です。
現地の言葉が十分に話せない。
英語も必ずしも通じるわけではない。
そして、日本で取得した学位や、日本での就業経験が、現地の労働市場でどのように評価されるのかも分かりません。
海外移住では、国境を越えた瞬間に、それまで積み上げてきたキャリアが一度リセットされたように感じることがあります。
「清掃の仕事はどうですか?」と言われたときに感じたこと
就職支援の場では、私は自分のバックグラウンドを説明しました。
博士号を持っていること。
日本で教師として働いていたこと。
これまでの専門や職歴。
すると、
「日本人でも大丈夫ですよ」
「現地の言葉が話せなくても大丈夫です」
「私たちがサポートします」
と励ましてもらいました。
ところが、その後に満面の笑みで、
「清掃の仕事はどうですか?」
と紹介されたのです。
ここは誤解されたくないので、はっきり書いておきたいと思います。
私は、清掃の仕事を下に見ているわけではありません。
日本でも清掃の仕事をしている方はたくさんいます。
清掃は、社会にとってなくてはならない仕事です。
病院でも学校でも、駅でもオフィスでも、誰かが掃除をしてくれているからこそ、私たちは快適に生活できます。
私は、そういう仕事をしている人たちをむしろ尊敬しています。
だから、私がショックだったのは清掃という仕事そのものではありません。
私がそれまで積み上げてきた学歴や職歴、専門性を説明したにもかかわらず、それらがほとんど見えないものになって、
「移民なら、こういう仕事」
という枠の中に入れられたように感じたことでした。
移民はどんな仕事をする?海外で感じた「移民のキャリア格差」
当時、私は語学クラスにも通っていました。
そこで使っていた語学テキストにも、印象に残ったことがあります。
「仕事を探す」というチャプターに出てくる仕事が、
- 清掃
- 家政婦
- ドライバー
- 梱包
といった仕事ばかりだったのです。
もちろん、どれも必要な仕事です。
問題は、語学教材の中で「外国人が仕事を探す」という場面になると、こうした職業が中心になっていたことでした。
そして実際、ヨーロッパのほかの国から来た移民、特に東ヨーロッパ出身の人たちの中には、家政婦などの仕事をしている人も多くいました。
教材に出てくる仕事と、目の前の現実が重なって見えたのです。
そこで私は、
「移民はこういう仕事をするもの、というイメージがあるのかな」
と感じるようになりました。
これは私にとって、海外移住における移民のキャリア格差を実感した瞬間でした。
同じ「移民」でも、海外でのスタート地点は違う
海外移住者は、ときに「移民」という一つのカテゴリーで語られます。
でも、実際には同じ移民でもスタート地点は大きく違います。
どの国から来たのか。
どんな言語を話せるのか。
どんな学歴があるのか。
どんな職歴があるのか。
現地に同じ国出身者のコミュニティがあるのか。
家族や親戚がいるのか。
現地の人との人脈があるのか。
こうした違いによって、海外生活の難しさは大きく変わります。
私の場合、同じ国出身者同士で助け合えるようなコミュニティもほとんどありませんでした。
母国語も通じない。
英語も通じないことがある。
小さな子どもを育てながら、新しい社会に一から入っていかなければならない。
そのうえ、日本で積み上げてきたキャリアも簡単には評価されない。
「移民」という一言では片付けられないほど、移民の中にもさまざまな格差があるのだと思います。
海外の就職支援で「もっと努力して」と言われた
就職支援では、私はこうした状況についても話しました。
「語学教材に出てくる仕事もこういうものばかりです」
「実際に周囲の移民にもこういう仕事をしている人が多いです」
そんな話をしても、
「それは一例ですよ」
「大丈夫ですよ」
と励まされます。
もちろん、悪意があったわけではないと思います。
私を安心させようとしてくれていたのでしょう。
でも、現実には仕事が見つからない。
言葉の壁もある。
日本での学歴や職歴も、そのまま評価されない。
そして最終的には、
「もっと努力したら?」
「もっと社交的になったら?」
「みんな苦労しているんだから」
という話になっていきました。
私はだんだん疲れていきました。
最初は「あなたなら大丈夫」と言われる。
でも、うまくいかなければ、今度は本人の努力不足になる。
だったら、
「日本でのキャリアを現地で生かすには、具体的に何が必要なのか」
を教えてほしかった。
そのほうが、私にとってはずっとありがたかったと思います。
それでも私は「清掃の仕事に応募してみよう」と思った
ただ、ここで誤解してほしくないことがあります。
私は、清掃の仕事を紹介されたことで「働くこと自体を拒否した」わけではありません。
むしろ、いろいろ考えた末に、
「よし、清掃の仕事に応募してみよう」
と思いました。
何もしないより、まず働いてみたほうがいい。
今の自分にできる仕事なら、やってみればいい。
仕事をしながら言葉を覚えるかもしれない。
人とのつながりができるかもしれない。
そこから別の仕事につながるかもしれない。
そう考えました。
つまり、これは「仕方なく清掃の仕事を受け入れた」という話ではありません。
むしろ、
「今の自分にできることから始めてみよう」
と、前向きに気持ちを切り替えたのです。
「よし、頑張ろう」と思った矢先のコロナ
ところが、ちょうどそんな時期でした。
日本で新型コロナウイルスの感染が大きく報じられるようになり、
「これがヨーロッパにも来るかもしれない」
という恐怖が広がり始めていました。
当時はまだ、これから世界がどうなるのか誰にも分かりませんでした。
そして、ヨーロッパの一部では、アジア人がコロナウイルスと結びつけられ、白い目で見られているというニュースもありました。
私自身は、コロナ禍にアジア人だからという理由で、特に嫌な思いをしたわけではありません。
ただ、当時の空気を感じた出来事はありました。
ある外出先で、通りすがりの白人のご夫妻から、じーっとこちらを見られたことがあります。
「なんだろう?」
と思いました。
もちろん、そのご夫妻が私を見ていた理由は分かりません。
単純に目に入っただけかもしれない。
何か別の理由だったのかもしれない。
だから、「コロナのせいで見られた」と断定することはできません。
ただ、当時すでに、アジア人がコロナと結びつけられて見られているというニュースを知っていた私は、
「もしかしたら、あれもコロナの影響だったのかな」
と後になって思いました。
それくらい、社会全体の空気が変わり始めていた時期だったのです。
コロナ禍で語学学校にも通えなくなった
私は、それまで語学クラスには通い続けていました。
言語を学ぶ気持ちがすでになくなっていたとはいえ、決められたクラスには出ていました。
ところが、コロナが始まると感染対策への不安が出てきました。
マスクのルールはあったものの、実際にはマスクをしていない人もたくさんいました。
窓も開きません。
そんな教室に朝から夕方までいることに、私は不安を感じるようになりました。
家には小さな子どもがいます。
離れて生活しているとはいえ、義父とそのガールフレンドとの交流もあります。
そして、
「ここに一日中いるのは嫌だな」
と思い、語学学校にも通うのをやめました。
こうして、海外移住してから続けてきた語学学習も途切れることになりました。
なぜ私は現地語の勉強をやめたのか
でも、私が現地語の勉強をやめた理由は、コロナだけではありませんでした。
それまでの経験の積み重ねがありました。
自分のキャリアが評価されない。
移民として扱われる。
言葉が通じない。
就職支援を受けても、最後には「努力不足」と言われる。
「みんな苦労している」と言われる。
そんな経験が重なって、
「私は、この国の人と話したいと思わない」
と思うようになりました。
そして、
「この国を好きになりたいとも思わない」
と思いました。
もちろん、すべての人が嫌いだったわけではありません。
親切にしてくれた人もいました。
私の事情を理解してくれた人もいました。
でも、語学を学び続けるには、単純に「勉強しなければならない」という義務感だけでは難しいこともあります。
その言葉を話す人たちと話してみたい。
その社会をもっと知りたい。
その国にもっと近づいてみたい。
そういう気持ちが、語学学習を続ける大きな原動力になることもあると思います。
私には、その気持ちがなくなってしまったのです。
だから、
「私はこの国の言語を勉強するのをやめよう」
と決めました。
海外移住では「本人の努力」だけでは説明できない
海外移住すると、
「現地語を勉強すればいい」
「もっと積極的になればいい」
「もっと人と交流すればいい」
「努力すれば何とかなる」
と言われることがあります。
もちろん、努力が必要な場面はあります。
私自身、それは分かっています。
でも、海外移住を経験して強く感じたのは、
努力することと、努力が報われることは別だ
ということでした。
景気が悪いこともある。
制度が合わないこともある。
外国で取得した学歴や資格が評価されないこともある。
移民に対する偏見があることもある。
家庭の事情もある。
子どもが小さいこともある。
そして、世界的な感染症が突然やってくることもある。
自分ではどうにもできないことが、人生にはあります。
「うまくいかなかった=努力不足」ではない
私は今では、「努力不足」という言葉を簡単には使わなくなりました。
もちろん、本当に努力が足りないケースもあると思います。
でも、誰かが何かに失敗したとき、
「もっと努力すればよかったんじゃない?」
と簡単に言うことはできないと思います。
その人がどれだけ努力したのか、外からは分からないからです。
私だって、
「もっと言語を勉強すればよかった」
「もっと人と交流すればよかった」
「もっと積極的に仕事を探せばよかった」
と言うことはできます。
でも、それだけでは説明できないことがたくさんありました。
私は語学学校に通いました。
就職支援にも行きました。
自分の学歴や職歴について説明しました。
そして最後には、
「清掃の仕事に応募してみよう」
と前向きに考えました。
それでも、思うようにはいかなかった。
そのうえ、コロナという自分ではどうにもできない出来事が起きたのです。
コロナを生き抜いたことは、今の私の強さになっている
そして私は、その後のコロナ禍を生き抜きました。
海外で。
小さな子どもを育てながら。
言葉にも苦労しながら。
先の見えない状況の中で。
今振り返ると、これは私の中に残っている大きな自信です。
何か大きなことを成し遂げたわけではありません。
でも、
「あんな状況でも、私は生き抜いた」
という感覚があります。
人生でまた何か大変なことが起きても、
「まあ、あのときも何とかしたから」
と思える。
これは、学歴や資格とはまた違う種類の、自分の中に残る財産なのだと思います。
頑張ることと、自分を責めることは違う
私は、
「頑張らなくてもいい」
と言いたいわけではありません。
ときには、ものすごく努力しなければならないこともあります。
勉強しなければならないこともある。
新しい環境に飛び込まなければならないこともある。
自分から動かなければ、何も始まらないこともあります。
でも、
頑張ったのにうまくいかなかったら、自分を責め続けなくてもいい。
私はそう思うようになりました。
できることをやった。
それでもダメだった。
だったら、
「自分の努力が足りなかった」
と決めつけるのではなく、
「今回は、自分ではコントロールできないものが大きかったのかもしれない」
と考えてもいい。
それは逃げではないと思います。
海外移住を経験して、私が学んだこと
海外移住を経験して、私は「努力」というものを以前とは少し違う角度から見るようになりました。
努力は必要です。
でも、努力だけでは人生は決まりません。
環境もある。
タイミングもある。
制度もある。
周囲の人もいる。
そして、運もあります。
だから、うまくいった人が、
「私は努力したから成功した」
と言うことはできても、
「うまくいかなかった人は努力が足りなかった」
とは必ずしも言えない。
私は自分自身の経験を通して、それを実感しました。
自分のキャリアが評価されないように感じた海外生活。
それでも最後には、
「よし、今の自分にできることから始めよう」
と思えた自分。
そして、その直後に始まったコロナ。
それでも、子どもを育てながらその時期を生き抜いた自分。
だから今は、
「うまくいかなかったからといって、全部自分のせいにしなくていい」
と思えます。
ときには、ものすごく努力しなければいけない。
でも、どれだけ努力してもうまくいかないこともある。
それは、人生では普通に起こることです。
だから私は、
努力することと、自分を責めることは別物。
そう思っています。
そして、これを身をもって知っていることは、海外移住を経験した私が今も持っている、一つの強さなのだと思います。
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