トロントの公共交通機関TTC(Toronto Transit Commission)を利用していて、ある日とても印象に残る出来事がありました。

 

駅で息子が駅員さんと話していたところ、TTCのロゴが入った缶バッチをもらったのです。

 

そのバッチには「Please Offer Me a Seat(席を譲ってください)」という意味があり、電車やバスで座席を必要としている人が、自分の状況を周囲に伝えるためのものです。

 

もちろん、日本のヘルプマークと完全に同じものではありません。

 

しかし、「見た目では分からない事情を抱えている人が、周囲に助けを求めやすくする」という点では、共通する部分があると感じました。

 

そして何より驚いたのは、何の事情もない息子が駅員さんから普通にもらったことでした。

 

TTCの「Please Offer Me a Seat」バッチとは?

TTCの「Please Offer Me a Seat」は、外見だけでは分からない理由で座席を必要としている人のための仕組みです。

 

対象になるのは、例えば以下のような人です。

  • 妊娠中の人
  • 高齢者
  • 障害や体調不良がある人
  • 長時間立つことが難しい人
  • 一時的に座席が必要な人

特徴的なのは、「本当に必要な人かどうか」を証明する必要がないことです。

 

本人が「座れたら助かる」と感じた時に使える仕組みになっています。

 

 

実際につけている人はあまり見ない。でも存在する意味がある

正直に言うと、私はトロントでこのバッチをつけている人を頻繁に見かけるわけではありません。

 

しかし、利用している人が少ないから意味がない、ということではないと思います。

 

こうしたサインは、

「毎日必ず表示するもの」

ではなく、

「必要な時に助けを求める選択肢」

として存在することに意味があります。

 

混雑している時だけ使う人もいるでしょうし、バッグの中に入れて必要な時だけ取り出す人もいるかもしれません。

 

妊娠中、見た目では分からない辛さを経験した

このバッチを見て「いい仕組みだな」と感じた理由の一つは、自分自身の妊娠中の経験があります。

 

妊娠中、私は周囲から妊婦だと気づかれないことが何度かありました。

 

むしろ席を譲ってもらうどころか、「咳を変わってください」と言われたこともあります。

 

もちろん、相手に悪気があったわけではありません。

 

ただ、自分の体は大きく変化していて、体調も辛い。

ホルモンバランスの影響なのか精神的にも不安定になる時期がありました。

 

それでも外から見ると「普通に見える」。

 

この経験があるからこそ、「私は今、少し助けが必要です」と言葉にしなくても伝えられる仕組みは大切だと感じました。

 

日本のヘルプマークとの違いは「信頼の置き方」なのかもしれない

日本でもヘルプマークがあります。

 

一方で、ヘルプマークについては、

「誰でも受け取れるのは問題ではないか」
「本当に必要な人なのか分からない」
「ファッション感覚で使われているのでは」

という議論を目にすることがあります。

 

もちろん、悪用があれば問題です。

 

しかし、TTCのバッチを見て感じたのは、考え方の違いでした。

 

日本では「その人が本当に困っている証明なのか」という視点になりやすい。

 

一方で、TTCの仕組みは、

「本人が助けを求めているなら、まず尊重する」

という考え方に近いように感じました。

 

息子がもらったことで感じた「助け合いを学ぶ仕組み」

特に印象的だったのは、必要としていない息子が駅員さんから受け取ったことです。

 

これは「必要ない人に配っている」ということではなく、周囲の人にも仕組みを知ってもらう役割があるのではないかと思いました。

 

子どもが小さい頃から、

「このバッチをつけている人がいたら席を譲ることがある」
「見た目では分からない困りごともある」

と知ることは、公共交通機関を利用する上で大切な学びになります。

 

見えない困りごとに気づける社会へ

妊娠、体調不良、障害、高齢など、人には外から見えない事情があります。

 

すべてを周囲が察することは難しいからこそ、本人が声を上げやすい仕組みが必要です。

 

TTCの「Please Offer Me a Seat」バッチを見て感じたのは、これは単なる座席確保のための道具ではなく、「困っている人が説明しなくても助けを求められる社会」を作るための仕組みなのだということでした。

 

日本のヘルプマークと形は違っても、目指している方向には共通するものがあります。

 

大切なのは、マークやバッチを持っている人を疑うことではなく、その背景にある「見えない事情」に想像力を持つことなのかもしれません。

 

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