小さい子どもがいる家庭で、こんな場面はありませんか?
「ちょっと子ども見ててくれる?」
そうお願いして、やっと家事や仕事を始めたのに、数分後には結局子どもが自分のところへ来てしまう。
お願いされた側はソファーに座っている。
子どもも同じ部屋にいる。
でも、なぜか母親だけが何度も作業を中断することになる。
「見ててくれてるんじゃなかったの?」
そう感じて、モヤモヤした経験がある人は少なくないと思います。
「子どもを見る」の意味が、実は違っている
このすれ違いって、単純に「協力してくれない」という話だけではないんですよね。
母親側が思う「子どもを見てて」は、
- 子どもが危険なく過ごす
- 母親の作業を中断させない
- 子どもの気持ちを受け止める
- 退屈しないよう関わる
- 必要なら別の遊びへ誘導する
…という、“環境づくり”まで含まれていることが多いです。
一方で、頼まれた側は、
- 同じ空間にいる
- 危険がなければOK
- 泣いたらママへ行くのは自然
くらいの感覚だったりする。
だから、ソファーに座って子どもと同じ部屋にいるだけで、「ちゃんと見てる」と思っているケースもあるんですよね。
でも母親からすると、
「いや、子ども全部こっち来てるんだけど?」
という状態になってしまう。
なぜ子どもは、結局ママのところへ来るの?
ここでよく言われるのが、
「ママが好きなんだよ」
「ママが安心するんだよ」
という言葉。
実際、それはかなり大きいと思います。
小さい子どもにとって、母親は“安心基地”になりやすいんですよね。
- 甘えたい
- 暇
- 不安
- 疲れた
- 眠い
- なんとなく確認したい
そんな時、無意識に「一番安心できる相手」のところへ行く。
だから、たとえ家族がそばにいても、母親が家にいる限り、子どもの意識はどうしても母親へ向きやすいんです。
「ママが好き」は、母親の負担を軽くする言葉ではない
ただ、ここでつらいのは、
「ママが好きなんだから仕方ないよね」
だけで終わってしまうこと。
もちろん、子どもに好かれているのは嬉しい。
でも、家事も仕事も全部中断され続ける側は、現実としてかなり消耗します。
しかも、多くの母親は逆の立場なら自然に、
- 子どもを別室へ連れて行く
- 静かに遊ばせる
- 集中を邪魔しないよう配慮する
- 泣いてもまず自分で対応する
と、“相手が集中できる状態”まで作ろうとする。
だからこそ、
「どうして私が何かしたい時だけ、成立しないんだろう」
というストレスにつながりやすいんですよね。
「見てて」は、もっと具体的に伝えた方がいいこともある
この問題、愛情不足とか性格の問題というより、
「子どもを見る」の定義が違う
というケースがかなりあります。
例えば、
- 「30分は私の部屋に来ないようにしてほしい」
- 「泣いてもすぐ戻さず対応してみてほしい」
- 「別の遊びに誘ってほしい」
- 「スマホ見ながらじゃなく関わってほしい」
みたいに、かなり具体的に共有したほうが、伝わることもあります。
母親側は“空気を読んでやっていること”が多いので、意外と相手は気づいていないこともあるんですよね。
子どもがママを好きなのは自然。でも、それだけで終わらせなくていい
小さい子どもが母親を求めるのは、とても自然なことです。
でも、
- 母親だけが何も進まない
- 母親だけが中断され続ける
- 母親だけが常に気を張る
そんな状態が続けば、ストレスになるのも当然。
「子どもはママが好きだから」
その事実は温かいものだけれど、同時に、
「じゃあ、どうすれば母親が少しでも動けるか」
を家族全体で考えることも、同じくらい大切なんだと思います。
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